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日記を書くこと、つづること

りんご農家、ただいま台風情報を見ながら夏りんごの収穫をしております。
それと並行してお盆だし子どもたちは夏休みだし、まぁやることは色々あります。しかも猛暑で頭がぼーっとしている。我が家はまだエアコンというのもがないのです(笑)毎日がサバイバルという心持ちです。

やりたい!やらなきゃ!と思うことは山のようにあるけれど(なんでだ、これは年がら年中言っている気がするぞ)、その2割も多分できていない。結論としては、やらなきゃどうにもヤバいことになるぞ!というのはなんとかこなしておいて、あとは気にしないことも大事なんだろうなぁ、そうした上でやりたいことをある程度やっておくといいのだろうなぁ……というあたりに落ち着いております。仕事は早朝、午前中、昼間は涼を求めて何処かへ……夕方は家事をこなしながら仕事を少々、小人たち就寝後はやりたいことをやる。そんな今日この頃。念入りな掃除とか断捨離とか、いつかまとめようと思っている保育園の写真整理とか、いつか縫おうと思っている古布の処理とかそういうのは全く手付かずです。

そんな手付かずだらけの中、最近は記載の頻度が落ちていた日記帳を開く。
早く起きてコーヒー入れて日記を書く。ちょっと整う。私、農園の妻の方は文章化してスッキリするタイプの人間です。理論的にものを考えられるようになる、というのともちょっと違います。自分の中のモヤモヤが静まる=整うという感覚に近い。

そんな日々が数日続いて、そして年の離れた友人(と言っていいものか、お姉さまと言った方がニュアンスが近いのか?)とこの2日お茶やらランチやらを楽しむ機会に恵まれる。SNSにシェアしなくてもブログを書き溜めていってるよ〜ということを聞く。今回会っていろいろ話してみて(本筋がそこにあったわけではないのだけど。感じたことや背中を押されたようなことは自分の中で大事にしておきます)、ふと、昔の日記帳を読み返してみたり、昔の農園ブログを眺めてみたり、そしてこの滞ったままのnoteを開いてみたり。一見関係のないそれぞれ、あれこれが、ふっと繋がっているような不思議な感覚に陥っている。←今ここ。

こちらのnoteは農園のもので、もともとはりんごの詳細な説明をする場所が欲しくて始めました。その後、インスタを始めて、農園情報の更新はブログからインスタへ移行し、そのうちなんとなく絵日記も始めてそれも楽しくなりインスタで更新、販売も産直サイトの食べチョクを始めてりんごの説明はそちらで可能になり、公式LINEもやってみて……などなど場所というか手段というかはどんどん増えながら変化している。でもいわゆる「中の人」=農園夫婦は増えるわけではないので、正確に言えば増えているわけではなくて行きつ戻りつ変わり続けているだけ。時々思い出して、あれnoteの必要性ってなんだっけ?と思わないわけではなかったし、現に約1年前にブログ的なnoteを書いている。が続かなかった。

じゃあやめてしまえ、断捨離も必要というのも一理あり。けれど、なにかがふっと繋がっているような感覚の今、それはそれでありだな……と思える自分がここにおります。続かなくても、1年後に更新するかもしれない。その時の考えが変わっていったとしても、ブログや日記って腐るものではないし。干からびる?とも違う気がする。間があきつつもある程度の積み重ねになれば、それはそれで訴えてくるものがある気がする。

こちらの農園noteが今後どうなるかはわからないけれど、こういう更新がたまにはあってもいいのかもしれないと思った次第でした。実際、ブログだとこういう「なんでもないこと」も書けてしまう。でも画像ありきのインスタだとうまくアウトプットできない。

農園情報とは全く関係のないこちらの記事ですが……。でも境界線なんていつも曖昧です。農園は良くも悪くも会社ではないので、中の人のあれこれが滲み出てもいいんじゃないかな?そんなことを思います。もちろん、滲ませていいものだけを選ぶようには気をつけますが。

※イメージ画像はスケッチブックにあった落書きの一部。春に描いたものです。忘れていたけれど、機会があれば活きてくるものもあるんだなぁ繋がることもあるんだなぁ、という感覚を大事にしたい。

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