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世の中は常に可愛さを求めてくるのに、わたしの可愛さには、消費期限がある。


はじめまして!SNSを中心にコスメ情報を発信している、ありちゃんと申します。毎月の支出の半分はコスメに充てるくらい、コスメをよく買います。

日頃からコスメ情報を発信している私が言うことに違和感を感じる人もいるかもしれないのですが、、、私はたまに可愛いか、可愛くないかの評価軸から逃げたくてたまらない時があります。

中身どうこうの前に、可愛いか、可愛くないか。若いか、若くないかの評価軸という壁がある感じ。そしてこの世界で生きている限り、その評価から一生逃げられないんじゃないか…?と思ってしまう息苦しさ。

可愛いかどうかで評価されたくない!と思いつつ、心では常に可愛くなりたいと願っていて、可愛くなる方法にも敏感でした。この矛盾を抱えながら、今でも可愛い至上主義の世界で戦っている感じがします。

だけど最近、昔と比べると少しずつ自分の中で【可愛い】に対する意見が変わってきました。まだ答えが出ているわけじゃないし、「自分は中身で勝負するので、外見はどう思われてもいいでーす!」と言い切れるほど強くもない。けど、もし同じ生きにくさを感じている戦友がいるのであれば、その人たちに向けて26歳時点の私が思うことを発信してみたいなと思ったので、今回勇気を出してnoteを書いてみました。


世の中って、結局顔じゃんと思った中学時代

世の中は、顔が良いと得をするように出来ているかも、と思い始めたのは中学2年生くらいの頃だった。

当時は、勉強を頑張っても、部活を頑張っても、顔が可愛いあの子の方が結局人生得をしているんじゃない!!??という違和感が常にどこかにあって、そんな違和感も気づいたら【どうにかして1ミリでも可愛くなりたい】という強い願望に変わっていった。​

もちろん、顔が全てではないのはずっと分かっていた。でも可愛ければ可愛いほど、誰かに必要とされるし、愛されやすい。好きな人からも好かれやすくなる。だから、顔が全てではないのは分かってるけど、とにかく頑張って 1ミリでも可愛くなりたい。そんな気持ちで当時はいっぱいだった。

こういう経験や想いをしてきている女の子は、私以外にも結構いるんじゃないのかな、と思ったりもする。というより、思いたくなくても思わざるを得ない世界なんじゃないかと思っているくらい、世の中は美しいものには優しく出来ているような気がしていた。

可愛い至上主義の世界で、徐々に変わり始める現実。

そんな中学時代を経て、時間やお金はかかったけど、多少は自分の見た目を好きになれる瞬間も増えたり、好きな人に可愛いといってもらえる経験もできた。自分はビジュアルで勝負できる!みたいな事は決して思わなかったけれど、自分なりに可愛い至上主義の世界でうまく生きていこう、と思いはじめていた。

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↑よく周りからインパクトあるねといってもらえるお気に入りの写真


だけど最近、1つ気づいた事がある。

それは、世の中は常に可愛さを求めてくるのに、自分の可愛さには消費期限がある、という事実だった。

この事実に気づくようになったきっかけは2つあって、1つ目は、シンプルに自分の見た目の劣化を感じ始めたこと。

昔は全く気にならなかった目の小ジワなどが気になるようになってきたし、肌悩みがニキビからくすみなどに変わってくる。睡眠時間を削ったら、翌朝なんとなく肌の調子が悪くなりやすい。

25歳を超えたらお肌の曲がり角だよ!なんて言葉は聞いたことがあったけど、本当に少しずつ変わってくるんだな、という事を知った。

2つ目のきっかけは、昔よく飲み会に誘ってくれていた異性の先輩から、最近そんなに誘われなくなってきた事にふと気づいた時。

そういや最近何してるんだろうな?くらいの興味でInstagramを覗いてみたら、20歳〜22歳くらいの可愛らしい女の子達と楽しそうにしている姿がたくさん写っていた。

別にその先輩から飲みの誘いに誘われなくなった事は何も思わなかったけど、あ、もしかして、そろそろ私の可愛いの需要なくなってるのかな?と思った。

この時、「なるほど〜可愛さって消費されるんだ!」と学んだ。

女の子は可愛くあれ、綺麗であれという呪縛を無意識のうちにずっと刷り込まれて生き続けてきたのに、その【可愛さ】という武器は、今日までずっと消費され続けていて、いつの日か私自身に【可愛くあれ】という事自体が求められなくなる気がした。なぜなら、私の【可愛い】の替えは、世の中にごまんといるから。

可愛くい続ける、という事にだって相当な時間と労力が必要だったのに、突然、その時間と労力をかけて作った武器が強制的に奪われる感覚。

いやいや、こんな事になるなら最初っから可愛さとか、求めないでほしいんですけど。

別に、本当は可愛さで戦いたいわけじゃなかった気がする。内面で認めてもらいたかった。でも、可愛くないと内面すら見てもらえなかったから、頑張ってただけなのに。

そんなこんなで、近い将来訪れる可愛いの消費期限を目の前に、私は本当の意味で可愛くなりたかったのかなぁ、なんて事を考えるようになった。

世界は変わらないから、自分が変わろう。


そしてもう1つ気づいたことがある。

それは、あんなに「可愛いね」と褒められたかった私なのに、実は外見よりも、自分の内面や考え方、頑張ってきたことの過程を褒められた時の方が、何百倍も圧倒的に嬉しかった、ということだ。

可愛い至上主義で生きてきた私は大学生の頃にミスコンテストという可愛い至上主義の典型とも言えるコンテストに出場した事がある。結果としてミスグランプリをいただく事が出来たけど、今振り返ってみると、ミスグランプリという肩書きよりも、半年間目標としていた事が達成できた事を褒められた時が本当に本当に嬉しかった。

自分の顔でミスグランプリを獲得できた、という感覚は全くなくて、周りの友達がたくさん協力してくれたり、私自身の毎日のSNS発信だったり、そういった事の積み重ねで、獲得できたという実感の方が大きかった。

私がどんなに気合いいれてメイクをしたって、佐々木希の寝起きすっぴんの方が、絶対に何百倍も可愛いのだ。可愛いの中の勝負だったら、私は一生佐々木希に勝てる事はない。

もちろん可愛さを維持するのにはお金も労力も必要になるので、元が恵まれている人だって圧倒的努力を続けている事はわかっている。けど、やっぱり神様から配られたカードの違いの影響が大きいのも事実でしょとも思ってしまう。

神様から与えられたものじゃなくて、自分で1から作り出してきたもので勝負できる世界を選ぶ方が生きやすいと気づいてからは、少しずつ他者からの「可愛い」の呪縛から解放されていっているように思う。

誰のためでもなく、自分のために可愛くなりたい。

とはいえ、「自分は中身で勝負するので、外見はどう思われてもいいです!」と言い切れるほど強くもない。

可愛い、可愛くないの評価から解放されたいといいながら、アンチエイジングなどで老いに逆らっている自分もいるし、年齢をあまり言いたくない自分だっている。まだ全然もがいている。

大前提として、可愛くなりたい、という気持ちは絶対に否定しないし、否定もされたくない。年齢に問わず自分は一生自分の好きな見た目でいたい。それに、あーだこーだ言ったけど、好きな人からだけは絶対的に可愛いってめちゃめちゃ思われたい。絶対に、思われたい(しつこい)

けど、自分が可愛かろうが、可愛くなかろうが、消費されない価値というものは、自分の手で作り出す事ができるんだ、という事ももう学んだ。もがいていること、戦っていることは何も変わらないけど、この事実を知っているか、知っていないかは大きい違いだったと思っている。

私が生き続けるこの世界は、これからもずっと可愛さや若さは正義になり続けると思う。
そんな世界で私はいつか若くなくなるし、誰からも可愛さを期待されなくもなって、傷ついたりするんだろう。

そんな未来を目の前に、もがいていること、まだ戦っている自分がいる事を受け入れたうえで、「誰のためでもなく、自分のために可愛くなりたい」と心から思える日がくるといいなと思っている。

その日のために私は、今できる自分の消費されない価値を作り出していくことを全力で頑張りたい。

もし同じような気持ちで毎日戦っている女の子が私以外にもいたら、このnoteが少しでもそんな気持ちに寄り添えるものになっていたら嬉しい。
そして、そんな子たちが少しでも自分のために可愛くなろうと思えるきっかけや瞬間を提供できるように、私は可愛くなる方法をこれからも発信し続けたい。

Writer:ありちゃん

 supported by:ほしゆき

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