見出し画像

新宿毒電波通信 第二号 書評 二十億光年の誤読「日々のきのこ」高原英理


「日々のきのこ」高原英理

福音としての胞子

山本拓也

 失われた連続性のイメージ。そんな、存在するはずのない記憶が喚起させられるような雰囲気の幻想小説だ。舞台は近未来と思われ、世界中で菌類が大繁殖している。胞子は人々の脳にまで入り込み、意識を変容させる。あちらこちらで「わたし」という存在がじんわりと溶解していく。登場人物たちは各々の過ごし方で、「緩やかな死」を待っている。やがて全身が菌類で覆われて、土の中まで菌糸を伸ばし、山や森の巨大なネットワークと一体となり、自他の境界は消失する。
 ヒトはコトバによって世界を分節し、自らをも分節する。主体であるとは、世界との連続性が切断されていることを意味する。そういう言語ゲームの中で生きている我々は、自意識の檻に閉じ込められた存在だ。しかし、そうした状態が決して普遍的、本来的なものではないという感覚は、バタイユやフロイトを参照するまでもなく、ギリシャ以来の芸術全般や人文科学において、通奏低音のように在り続けた。
 本作において、「個」としての存在が失われていく様子は、恐怖や絶望としては描かれない。人々は事態をただ静かに受け入れている。彼らにとって、胞子は全体性を予感させる徴、あるいは福音なのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?