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戦争について思うこと

「はじめての投稿」以降の初回のテーマに「戦争」ってのもどうかと思いましたが、ロシア・ウクライナ戦争も現に世界が日本が注目しているトピックでもありますので。ただただ早く終息してほしいと願います。

どんな時代でも、やっぱり戦争ってなくならないんだ…って思ってしまいますね。ただただ「野蛮」。
戦争は、歴史上の恨みつらみ、国益?の為の土地や資源の略奪、経済上の巻き返しの為、宗教上の問題、権力者による支配や思惑、単に脅威の排除等いろいろの目的があるでしょう。各国が自国を平和に治めればそれで世界も平和になるというのに。また日本が過去当事国となった人道的観点から植民地だった東南アジア諸国独立の為というのもありますね。
どんな戦争も国の権力者が決め、その犠牲となるのはその国民です。権力者からしたら、自らが戦いに出るわけではないので、国民の命を懸けたゲームなのでしょう。誰を国政のトップに置くのか?というのがいかに大事であるかはわかってはいましたが、改めて思い知らされます。
21世紀、どんな大義名分があったとしても戦争なんてしてはなりません。
この頃国同士の約束が守られないということが目立つような気がします。
また国連も機能していない(意味がない)ように見受けられます。

そして今、ロシア・ウクライナ戦争が世界をいろいろ巻き込んだ戦争になっていますが、全世界を見れば、これまで戦争とは言わないまでも紛争はあちこちで起こっているんですよね。

ロシア・ウクライナ戦争

ロシア・ウクライナ戦争は当初、多くの人はロシアがまさかウクライナに侵攻するとは思ってもいませんでした。
現在、比較的北半球の国々、そして日本もロシアに経済制裁を課しています。しかし地球全体で見れば、経済制裁を課していない国の方が多いのも事実です。経済制裁を課す課さないはその国の立場等政治経済による都合もあるでしょう。ロシアを経済制裁で羽交い絞めにし、よってたかって「いじめ」ている印象を持ってしまいます。まぁもちろんロシアがウクライナに侵攻したのが悪いんですが。
日本地上波のニュースではウクライナを応援し、ロシアをやっつけろ的な一方的な報道→そんな世論が多いようです。偏った報道という意味では日本の地上波メディアは死んでますね。むしろYouTubeをはじめネット上の方が、いろんな角度からの情報が得られます。恐らくこの戦争の「構図」がなんとなくでも見えている人も多いのではないでしょうか。とにかく情報(メディア・ネット)社会では特にプロパガンダにも注意しなければなりません。戦争している国同士の事情をあまりわからずに批判や介入していくのは非常に危険を伴います。
そもそも「善か悪か」というような見方は、わかりやすく言えばアメコミ的というか…実はそういったモノコトの見方について、本当は日本人には馴染まないような気がします。最近では「鬼滅の刃」が最たる例に挙げられますね。悪である鬼になるまでを描いています。しかも戦争の多くの起因は善悪で測れるような単純なものではないと思っています。
ここでは「どうして戦争になった?どちらが悪い?」というような話ではなく、日本(政府)のとった行動が、果たしてそれでよかったかどうかについて書いていきたいと思います。
私自身としては、一言で言えば、「その戦争に関わるべきではなかった」と思っています。そうは言ってもG7の判断だとか、主にはアメリカがウクライナを支持する方向と言えば、属国的にその方向に従わざるを得なかったという事情もあるかもしれません。国際協調?同調圧力?偽善?かっこつけ?結果ロシアは日本を敵国認定…その他小麦等の食料や天然ガス等のエネルギー問題も引き起こって、一般市民、しかも自分も含めた低所得者層にとっては価格高騰の大打撃!
そもそもウクライナとは同盟関係でも何でもありませんし、ウクライナは北朝鮮に武器供与していた国でもあります。それくらいのことは日本としてはわかっていたはずですから、「上記の理由を含め、隣の国にはロシアがあり、中国や北朝鮮の脅威にさらされていることもある為刺激したくないこと」を理由に経済制裁には加わらないことを発信し、またヘルメット、防弾チョッキ、ドローンは支援せず、しかしウクライナ一般市民の人道支援はしていくという方向で良かったのではないかと考えています。経済制裁をしないことで、世界から大きな批判を浴びせられかもしれません。一独立国として公平に、断固平和を願う民意の元、戦争自体に反対という意志を強く示すべきだったと思うんです。そうであっても、食料・エネルギー問題が解消されたかどうかはわかりませんし、それで戦争が終結するとも思いません。例えそれらであったとしても、断固とした意志を持って関わるべきではなかったと思います。
ゼレンスキーの国連演説において、太平洋戦争についての日本に関する発言、ヒトラーと並べられた昭和天皇のこと、支援に関する感謝の国に日本が入っていなかったことを考えても、その時点でやはり人道支援だけに切り替えるべきでした。
私はすでにネットで「太平洋戦争の真実」というようなプログラムを見ていましたし、特に昭和天皇とマッカーサーのやり取りの場面については涙しました。その後のマッカーサーのことや、アインシュタインが日本に向けて核に貢献してしまったことについて詫びているというようなエピソード等からして、ゼレンスキー演説の軽々しい上記二つの事柄は絶対に許せません。

憲法9条・防衛費・核保有

世界を巻き込んでのロシア・ウクライナ戦争、ロシアに敵国認定を受けたこと、中国や北朝鮮の脅威を改めて感じずにはいられない日本。そこで急にというか、反対に待ってましたと言わんばかりに浮上した憲法9条問題・防衛費・核保有、さらには難民受け入れ問題について。

憲法9条と専守防衛

憲法9条問題は、個人的には改正すべきだと思います。敗戦後できた憲法を、何十年もの間そのまま(戦後つくられた)の状態で…というのは、時代の変化において普通に考えて違和感があります。もちろんその改憲内容は慎重にしなければならないけど、現に「自衛隊」は存在しているのだし、自分の国は自分で守る、当たり前のことです。その為には、日本が他の国への侵略はありえなくとも、他の国が日本を侵略してくるというのは十分あり得るし、現に隣国に核武装国があります。平和だった日本において、戦争については考えにくいかもしれませんが、そもそも歴史、常識、発想や考え方が違う外国人に対して、日本人と思考が一緒で、同じように考えるというのは、根本的に間違っていて、妄想だと言えます。
そしてこれまでは「日米同盟」で守られていると、ほとんどの国民は思っていましたが、そうではないんじゃないか?と懐疑的に思い始めてきました。そりゃそうですよね。アメリカ国民が何故日本人の為に命を懸けられるというのでしょうか?同盟を結んでいるからでしょうか?それともアメリカに多額の防衛費を払っているから?それで矢面に立つのはアメリカ人ね!(アメリカ人の命をお金で買っている)みたいな感覚でいるというのは、それだけで最低な国民意識です。脅威がある以上、自分の国あるいは国民を守るのは自分達の手で!というのが本来あるべき基本姿勢であるのは言うまでもありません。
専守防衛についての議論もありますね。専守防衛とは、他国への攻撃をしかけることなく、攻撃を受けた時にのみ武力行使して自国を防衛することです。私はこれには反対です。一言で済む言葉は思いつきませんが、「自国が他国へ先制攻撃することなく」、攻撃を「された時には」武力行使して自国を防衛する「とともに、武力行使される要因となる基地(指令基地含む)を攻撃対象とする」、でいいのではないかと思います。よく核抑止力といいますが、このような感じであれば憲法抑止力とも言えそうではありませんか?日本側から攻めることはあり得ない(はず)ですから、敵国に対して、それが嫌なら攻めてくるなよ、です。

防衛費

今後5年の内に防衛費をGDPの2%にするという話が出てきていますが(決まったのかな?)、何故5年?えっ?と思いませんでしたか?隣国からの脅威迫る中(実際中国船がまた尖閣諸島に迫ってきているし)、今後5年って…悠長すぎませんか?国債発行ですぐにそうすべきではありませんか?今からだとしても、どこまで軍備を揃えられるか…
経済の話もそうですが、こういった話になると、「GDP」とかがやたら出てくるんですけど、GDP〇%ではなく、必要な金額を算出すべきではないでしょうか?
攻撃システムよりも防衛システムの方がお金がかかるようですが、そんなことよりも、敵国の軍事力があまりに勝るようであれば、負けてしまう可能性があり、戦争において、負ければその後は戦勝国の思いのままというセオリーなのですから。第二次世界大戦の敗戦国となった日本を見れば一目瞭然です。
防衛について思うことは、漫画やアニメの世界のようだと揶揄されるかもしれませんが、日本国土をバリアで覆う開発するとか、ミサイルでミサイルを撃ち落とすとかはいいにしても、敵基地や敵の攻撃を無効にするような、ドローンとかを送り込んでコンピューター関係を電磁波か何かで不能にするとかの開発をしてほしいですね。そうすれば、一般市民を殺傷することなく、あるいは最小限にくいとめられる気がします。防衛の為の攻撃という観点に
から、日本には非常に合っている考えだと思います。あなた達(敵国)が作っているミサイルや戦闘機を無駄にしてみせますよ…みたいな。

核保有

日本においては核を議論しようとする時、よく「非核三原則<持たず・つくらず・持ち込ませず>」が挙げられます。私はこれには大賛成です。
ところが今ロシア・ウクライナ戦争で、ロシアによる核の恐怖をほのめかされ、隣国の核の脅威のある日本も核が必要なんじゃないか?と多くの人、特に政治家や軍事評論家が声を上げています。核を持つのが難しいなら、アメリカとの核シェアを…というような。
今回のロシア・ウクライナ戦争、ウクライナが核を持っていないから攻められたんだという人がいます。だから核が必要なんだというロジック。お互いが核を持っていて、それでも攻められたらお互いが使用しないだけというロジック。どうせ核を使用しないなら、核なんて必要ないじゃんというロジックや、反対に核保有か否かの国に対して、侵略しようとする相手が核を打たない保証はどこにもないというロジック等々…
仮に日本がアメリカと核シェアしていて、日本本土に核ミサイルが撃ち込まれたとして、本当にアメリカが敵国に核ミサイルを撃つ?それが怪しいと思えば、日本が核保有する?「目には目」のように、打たれたら撃ち返す?
今こんな状況だから核議論に盲目猛進しているように感じるのですが、そもそも核を撃てば、一般市民に膨大な被害(死者)が出るのは目に見えていて、世界唯一の被爆国日本だからこそそれがよく分かっているわけじゃないですか。核を撃ったら目も当てられないほど悲惨で、時代の発展と共に核の威力も考えられないほど増しているはずで、1発でも着弾すれば長崎・広島を遥かに超えた想像がつかないほどの被害となるのは目に見えています。一般市民が巻き込まれる戦争なんて絶対に見たくはないですね。核議論するにしても、それを承知の上でやってほしいですね。核を撃ち合えば、地球滅亡
の危機に瀕しますよ。世界では核保有することによって、使用しなくてもそれが抑止力という名の「脅し」になり、使用すれば疑いの余地なくジェノサイドですよ。しかも民間人が犠牲になってもいいということなんですよ。核を持つということはそういう意味なんです。
どんな手段であっても核保有すれば、日本はもう日本でなくなるとさえ思っています。日本をそんな野蛮な人間の国にはしたくないですね。国家としては世界中のどの国よりも圧倒的に古く長く、それゆえ世界における天皇のポジションも最高位です。現在日本の文明も世界最古と言われています。
ですから「誇り」に目覚めるべきで、核保有とかそんなことをするのではなくて、不幸にも地球上で唯一の被爆国であるからこそ、核廃絶の使命をもつべきだと思います。日本が中心となって、世界中の核廃絶に取り組むべきです。

難民の受け入れ

私自身、難民の受け入れに関しては人道的支援の側面で見れば賛成ですが、問題はその数ですね。ですから何百人~何万人という規模には絶対に反対です。まず治安悪化の懸念があります。実際にアメリカをはじめ、ヨーロッパではフランス・ドイツがそうですよね。難民と言えば、状況次第で国に帰る者がいる一方、日本に留まることも可能になりますよね!?
戦争による状況とは全く違いますが、まずは日本国内のホームレスやネットカフェ難民、貧困者等、救わなければならない自国民がいるのですから。それをせずしてというのは、偽善に思えます。

人の数だけいろいろな考えを持っていると思いますが、私はこのように思います。

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