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精神性がお金に負ける時代

「精神性がお金に負ける時代」というのは、もしかしたらここ数十年の話ではなく、もっと昔からのことなのかもしれない。でも今の時代を生きている限り、そう思えてしまう場面はいくらでもあって、一般庶民である私達もそうであるように思えてしまう。

お金がなければ生活できないというのは当たり前なのだけど、肝心なこと、大切なことすらお金で買われてしまうことがあるのは事実だと思う。

前に投稿した「日本人の陥りやすい思考①」でも、家族の大事なイベントや病気等でも仕事を休むことができないというのを書いたけど、お金のことだけではないが、ある意味においてはお金で買われてしまっているとも思う。

よくメディアで言われる官僚の天下り。これだって天下りする側だけではなく、受け入れる方もそれなりにプラスになることがあるからという一面も持っているはずだ。

優秀な技術者が中国の企業に流れてしまうのもそれに違いない。日本ではそこそこの収入しか得られないけど、中国なら莫大な収入が得られ、生活の質というのも格段に上がる。「高収入=幸せ」というカタチ。

ここで急に個人的な話になりますが、生活状況の変化もあって、乗っていたロードスターを手放し、軽自動車のタフトに乗り換えました。今の軽自動車ってなんだかすごいですね。車体価格も燃費も経済的なのはもちろん、デザインだっていいし、乗り心地も良くて気軽に運転したいと思える。何十年も前の私は、大して車に興味はなくとも、外車がカッコいいなんて思っていた時代もありました。今でも多少高級車でカッコいいな~って思う車種もありますが、昔ほどの感情は全くなくなっています。それに対しての憧れがいい意味でなくなりました。いや憧れは憧れとして持っているけどそれほど強くもなく、経済的な身の丈を受け入れられるようになったのかもしれません。ファッションや生活スタイルも同様です。私はバブル出口世代でもあって、40代を経て、50代に突入し、バブルの呪いは90%は溶けたと思っています。

お金がなければ生活ができないと悩む私達庶民、一方十分な生活はできるがそれ以上を望む人達。中にはその十分なお金を日々使い切れないくらいまでの人達も存在する。お金は権力にも結び付き、十分なお金をもってしてもまだまだという具合に求めていく。求めるというよりは、もうその頃には自然とお金が得られる状態になっているのでしょう。
現代人はお金に呪われていると言っても過言ではないかもしれない。
お金を儲けることに猪突猛進。別に悪いことではないけど、行き過ぎているかもしれない。お金自体は新たに作りだされることはあるものの、その瞬間には一定の金額(量)として存在しているならば、増えているところがあれば、減るところもあるということ。減っているところは死活問題であることもある。そんな人が増えてもまだ増やそうとするのか…?現実はそうなっている。もちろん増えた側がその施しとしてお金を与えるにも限界があるだろうし、全ては救えない。そう考えるどころか「そんなの知るか」と全く見向きもしないのかもしれない。

「魂を売った」という言葉。現在あまり聞かない。
精神性なき人間が増えてしまって、その精神性は一円にもならないというように軽視され、忘れ去られてしまっている気がしています。
精神性なき人間は、人間として意味はあるのだろうか?

これから知識やそれに基づいての判断はAIがしてくれる時代になっていくかもしれない。ヨーロッパのある国ではAI党というような政党もあるという。確かに利権や私欲にまみれてしまう人間が行う政治こそAIに任せてしまう方が合理的かつ効率的なのかもしれない。知識と言われる情報も膨大に包括した存在であるから、フラットに、そして感情や思惑に流されないだろうし、人間があーだこーだ言っている時間も時短になる。

やっぱり人間が人間である理由を考えるならば、最終的にはその精神性や魂というものなのではないかと思う。逆に言えば、それをなくしたら人間である意味がないような気がします。一日本人として思うことは、それが宗教というのではないところでの何か本質性というフェーズ(次の時代)に突入している気がしてなりません。そして何故かというかおそらく日本人がそれを一番早く気が付ける、あるいは理解していける民族だと思っています。

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