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にほんしゅ北井の【無濾過生原酒】#3『辛口には愛がいる』

2021年のお盆でございます。ウイルスのことも大雨も大変で「ご先祖さまをゆっくりと迎えている場合じゃない!」なんて方も多いかと思います。

本当は家族親戚集まってお寿司でもつまみながらビールや日本酒を飲んで過ごしたいものですね。

日々の酒日記は結構書いておりますが、めちゃくちゃ久しぶりにこちらのマガジンも書こうと思います。

テーマは『辛口には愛がいる』

問題になっているメンタリストのDaiGoさんの発言の件なのですが、僕はシンプルに恐怖を覚えました。それ以上の僕の感情的なことは語りません。DaiGoさんに対しては以上です。

でもこういう視点でこの件に感想を持った人はあんまりいないかなと思ったので久しぶりに書いてみようと思いました。自分のメモにもなるように。

今回問題となった動画では『超辛口』という言葉を使って喋っていたと思います。

ここがどうにも気になるのです。

元々は芸人さんやタレントさんの世界で使われ始めたものがどんどん世間に浸透して一般化した言葉の1つかと思います。

「(超)辛口」「毒舌」「尺」「いじる」「フリ」「相方」「巻きで!」「見切れる(これは逆の意味で使われてることが多いですね。)」などなど。一般化していった言葉は色々あると思います。

一般化していったこと自体の是非を問うても仕方ないと思うのですが、実際目の前で使われるともぞもぞ、ぞわぞわします。僕の場合。

こういう言葉を積極的に使う人は「俺とあいつが喋ったら漫才みたいになってしまうねん」とか「あの人は芸人みたいなもんやから」「プロの料理人より上手い!」「あいつのギターはプロ級」みたいな発言もよくされると思います。

わりと長く芸人生活をしている僕としては、こういった接し方をされることにも慣れや耐性がありますし、ノリが軽いだけで実はすごく気をつけてこういう言葉を使う人もいたりしてむしろ心地よい場合も多々あるので「人それぞれ」としか思っていません。

でも今回の件の『超辛口』の使われ方は頭を抱えました。

言葉が一人歩きしておかしなことになってしもたなぁ。というのが僕個人の感想です。この現象は怖いのです。

『毒舌』や『辛口』でのコメントやおしゃべりには愛がいる、技術がいる、思いやりがいるんです。

プロの芸人さん同士が愛を持って、技術を持ってチームプレーとしてやってる「いじり」(これも出来る範囲・使える言葉の範囲がすごく狭くなったと思います)を一般の方が大体で真似するとただの「いじめ」になってしまったとか、プロレスラーの技を素人同士でやるとただただ大怪我につながるとか。よくありますよね。

投げ手と受け手、お互いの了承があるのかどうかがまず大事ですね。

毒舌や辛口って投げ手側の技量や愛情や思いやりがめちゃくちゃ必要なんです。これに関してはプロアマ関係なくだと思います。

自分のことを「私は辛口だから」「私は毒舌だから」と言う人は大抵ただの暴言を制御なく言う人で、言葉のナイフを「私は辛口だから仕方ないよね?」という謎の看板に守られているつもり?で投げてくるので本当に逃げた方がいい場合が多いかと思います。

逆に自分からじゃなくて周りから「あの人いつも辛口やねんなぁ」と言われている人は愛や思いやりがある先輩だったり尊敬される人も多いですね。不思議なものです。

プロとアマ、タレントと一般人という線引きがぼやぼやな現代だからこそ、漫才師として自制や思いやり、技術、言葉を大切にしたいものです。

さて、今夜は僕が大好きな日本酒の「司牡丹 土佐の超辛口」を飲んでクールダウンしようと思います🍶

この超辛口には愛も技術も思いやりも詰まってますよ!!


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