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AI翻訳の現在地

鶴田知佳子

2023年も押しせまった12月4日、「日本の英語を考える会」は、AI翻訳をめぐる最新の知見に接する機会を得た。隅田英一郎先生と言えば、『AI翻訳革命 あなたの仕事に英語学習はもういらない』というなんとも意味深(英語教育者にとって)な著書で名高いAI翻訳の専門家である。正式には国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)のフェロー、またアジア太平洋機械翻訳協会(AAMT)の会長でもあられる。この隅田先生の日本橋オフィスに会のメンバー5名が伺い、機械翻訳についてお話しいただくとともに、最新AIの同時通訳のデモに参加させていただいたのである。
 
『AI翻訳革命』にも述べられているように、「人工知能による自動翻訳は使える!」というのが隅田先生のお考えで、今回は、その隅田先生のお話も大変面白かったのであるが、メンバーが興味津々だったのは、AI君の「同時通訳」の実力がどこまで向上したか、最新ソフトを使わせていただくことだった。隅田先生お持ちの試作機で、英語ないし日本語の「音声」を入力し、それに対する同時通訳を音声と文字の両方でアウトプット、という形式で、AI君に同時通訳に挑戦してもらった。
 
これまでAI翻訳と言えば「文字情報(A言語)⇒文字情報(B言語)」の開発が進んできた。しかしすべての日本語の文字情報を把握するのはとても難しいらしく、例えばかつてこのnote blog にも書いたように、天女の「羽衣」という文字情報を入力した途端、機械翻訳ではrobe of feathersとfeathers が入った訳が出てきてしまっていた。羽衣、という言葉を知らないが故の「漢字直訳」である。「天女の衣」と「羽」を抜いて初めて「robe of a celestial maiden」という訳が出てきていた。これは2年前の話で、今は改善されているかもしれないが、文字で入力する機械翻訳でもこういう問題がある中で、音声認識も必要とする「同時翻訳」では訳出は果たしてどうなるのか、興味深いところだった。
 
結果は、正直なところ思っていたよりもずっと優秀であった。つまり音声の言語が「明瞭・よい発音」ならばかなり同時通訳能力は高い。チャールズ国王がCOP28で行ったスピーチは、ほぼ完璧な日本語訳が出た。しかし逆に「明瞭・よい発音」でないと途端に成績は芳しくなくなった。某国の英語が母語でない大使が発話している英語の文章は、入力段階でミスが多く、訳出は残念な出来であった。そこは人間の同時通訳者には及ばないところのようだった。
 
ここまでは英語⇒日本語へのトライ。では日本語⇒英語はどうだったか。日本語のニュースを読み上げている日本人アナウンサーの発話は、英語への訳出がかなりうまくいったが、例えば政治家の記者会見での発話の同時通訳の成績は芳しくなかった。つまり日・英ともに同時通訳にはまだ「相手を選ぶ」段階、ということではある。
 
また、これは文字情報のみのAI翻訳の時から問題になっているのだが、「イベントと年月日の整合性を不完全な情報の中から類推することができない」という課題があって、これは今回の同時通訳AIでも未解決であった。例えば、日本語で「台風1号」という言葉が出た時、生身の人間の同時通訳者ならば、①前後の文脈から判断して「いつの年の」台風1号か類推する②その上で、その年の台風1号が、国際的にどのような名前が付けられていたか(例えば2023年の台風1号は「SANVU」である)を素早く思い出し、訳出する、というプロセスをたどる。しかし同時通訳AIは、そうした場合、「いつの時点の台風なのかの背景情報をあらかじめ入れておかないと」国際名まで訳出がたどり着けなかった。しかし、とは言え、これは生真面目さというか、「情報を持ち合わせておりませんので正確に訳せません」という、AI君のある種の誠実さを原因としているだけのことで、隅田先生のオフィスを後にした私たちの共通認識は、「AIの翻訳技術は確実に、しかも格段に進歩を続けていることは間違いない」というものだった。かなり実用に使えるところまで、進んでいる!というのが率直な感想だった。
 
隅田先生も、『AI翻訳革命』の中で、「自動翻訳とはさみは使いよう」とおっしゃっておられる。つまりミスはゼロではないが、かなりの仕事はしてくれる存在である、上手に使わないと、ですよ、ということだ。
 
そうなると、AI翻訳と人間との付き合い方は、「AIが得意なことは積極的に任せて、最後のチェックと責任は人間が負う」という「共存共栄役割分業」の世界が、もうすぐそこまで来ている、ということになる。私の同時通訳者としての仕事ぶりもいよいよそう変わっていくかもしれない、そう思わせた今回の邂逅であった。

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