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あのマンガと「家族」のはなし 第1回 ヤマシタトモコ『違国日記』

 こんにちは、営業部のHです。
 人と人が共に暮らす、そのあり様はさまざまで、一つとして同じものはありません。古今東西、多くのフィクションがその妙味を描いてきました。マンガもそのうちの一つです。
 決まった形のない人と人との関係性と、その関係性を規定する「家族」という仕組みを並べて見ることで、何か見えてくるものがあるかもしれません。
 そんな思いつきから、本企画「あのマンガと「家族」の話」を始めてみました。
 第1回は、ヤマシタトモコ『違国日記』をご紹介します。


『違国日記』あらすじとその魅力

高代槙生(35)は姉夫婦の葬式で遺児の朝(15)が親戚間をたらい回しにされているのを見逃せず、勢いで引き取ることに。しかし姪を連れ帰ったものの、翌日には我に返り、持ち前の人見知りが発動…!
槙生は、誰かと暮らすのに不向きな自分の性格を忘れていた………。
引きとられた朝は、"大人らしくない大人"槙生との暮らしを物珍しくも素直に受け止めていて───?
手探り暮らしの第一巻!
(公式サイト:https://www.shodensha.co.jp/ikokunikki/

 あらすじのとおり、小説家の槙生が、姉の遺児である朝を引き取り、一緒に暮らし始める、というのがこの物語の主軸である。共同生活がテーマの話ではあるが、見どころは主人公2人の関係性だけではない。槙生にも朝にもそれぞれに人間関係があり、彼らを取り巻く人々を巻き込む形で共同生活はなんとか続いていく。
 作品の一番の魅力は「人と人は違う」という前提に立っていることだ。そしてその人間同士の分かり合えなさがフラットに、当たり前のことのように描かれていることだ。槙生も朝も、それぞれに不器用で、性格のバランスが取れていなかったり、未熟だったりするが、その「違い」こそがむしろ彼らの魅力として描かれている。究極のところ人はみな「違う国」の住人であり、それを認めて生きていくことはそう悪いものでもないのだ、と思わせてくれる作品だ。

「未成年後見人」とは

 さて、『違国日記』の要となる「槙生と朝の関係」だが、これは法的には「未成年後見人」という制度によるものである。このキーワードは槙生の「友人」である笠町の助言に初めて登場する。

笠町「……わかっちゃいたけどおかしな人だよな きみは/ま 大きい出費はないとして入るほう/未成年後見人の申し立てはしたか」
槙生「えっ/し してない/必要?」
笠町「生命保険があるならそれをその子に受け取らせるには必要だ」
槙生「あーー……」
(『違国日記①』Page.5(5話)より引用)

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(©ヤマシタトモコ/祥伝社フィールコミックス)

 「未成年後見人」とはなんぞや。その定義は『事例解説 未成年後見実務』(相原佳子・石坂浩 編/日本加除出版)に詳しい。

 未成年後見人は、選任された後は、被後見人たる未成年者について親権者とほぼ同様の権利義務が認められ(民法820条、857条、859条)、未成年者の監護教育とその財産的利益の保全を行う(民法857条、859条)。
 また、未成年者が他人に損害を与える行為をした場合(中略)未成年者に責任能力がある場合においては、監督行為の過失責任(民法709条)として損害賠償責任を負う可能性もある。このように、未成年後見人は、未成年者の養育及び監督という側面から親権の延長又は補充と位置づけられ、「親代わり」の機能が期待される。(前述書P.13より引用)

 簡単に説明すると、親やそれに類する人と同じように、未成年の子どもを育て、その財産を管理し、他人に損害を与えないように面倒を見る存在である。
 「要するに親じゃん」と思われた方もいるだろう。役割だけを見れば、確かにほぼ親権者と変わらない。しかし「親権者」と区別されている以上、そこには微妙な立場の違いがある。

 例えば、未成年後見人は「やります」と宣言すれば就くことのできる立場ではない。家庭裁判所に申立てをし、面談や調査を経て選任されなければならない。この作品でいえば、槙生は本当に朝を育てるに相応しい人物なのかを判断する過程が必要になる。
 また要求される注意義務も異なっている。親権者が「自己のためにするのと同一の注意義務」であるのに対し、未成年後見人にはさらにレベルの高い「善管注意義務」が課される。これは、親権者に比べて未成年者への自然な愛情を期待しにくいという考え方に基づいている。そして未成年後見人がちゃんと役目を全うしているかどうかについても、第三者のチェックを入れられるようになっている(後述)。 
 ちなみにたった1人の一般人が後見人の役割をすべて引き受けなくてはならないわけではない。育てる役目(監護教育)と財産を関する役目(財産管理)との権限を分けて複数の未成年後見人を付けることができるし、法人が後見人になることもできる。

 このような考え方の根底にあるのは「未成年後見人と被後見人との間に利害関係の対立が起こる」という可能性だ。
 もちろん、親権者と未成年者の間にも、当然意見や利益の対立は起こり得る。利益相反が生じた場合、親権者であっても未成年後見人であっても、基本的に未成年者の利益をしっかり考慮して判断することが期待されている。ただ先にも述べた通り「自然の愛情を期待しにくい」と想定される未成年後見人は、その判断が未成年者の利益を考慮しているかどうかが厳しくチェックされる。
 実親をなくしている場合、生命保険の受け取り一つとっても、未成年者は単独で法律行為ができないため、代理人が必要になる。未成年である以上、生活の様々な場面で、子どもは大人に依存せざるを得ない。そしてその大人に悪意があれば(あるいは役割を全うすることができなければ)、子どもの生活は脅かされてしまう。
 とはいえ、相手が子どもであり、養育の義務を負っている以上、当然大人としては好き勝手を許すわけにもいかない。
 未成年後見という制度は、両者の関係のバランスを保って運用されていく必要があるのである。

思わぬすれ違い 救ったのは「未成年後見監督人」?

 作中にも、未成年後見の実務をめぐるエピソードが挿入されている。

 高校に入学したばかりの朝は、新入生への部活の勧誘が積極的に行われる中、掲示板に所狭しと貼られたビラの前に立ち尽くしていた。自分の代わりになんでも決めてくれた母と、放任主義かつ娘に興味の薄い父との庇護下で育ってきた朝は、彼らが亡くなったことで、どのように自分のことを決めていいのかわからなかった。
 孤独感と怒りの中で、朝のためと言いつつ朝の意思を尊重しない母親の「なりたいものになりなさい」という口癖を思い出し、その態度に反旗を翻すように、母のよく思わなかった軽音楽の道に足を踏み入れることに決める。
 一方、朝の内心を知らない槙生は、ある日家に訪ねてきた弁護士・塔野の差し出した書類を見て驚く。そこには、槙生の覚えのない現金30万円の出金記録が残されていた。書類を見た塔野は、槙生が不正な目的で朝の両親の口座からお金を抜いたのではないかと疑って、家までやってきたのである。

 この塔野も重要な役割を担っている。彼は「未成年後見監督人」と呼ばれる。「未成年後見人」である槙生の事務を監督し、朝を適切に監護・養育しているかチェックする存在だ。
 未成年後見人は、被後見人の財産を適正に管理するように求められる。今回槙生が朝の両親の残した財産を自分のためだけに使っていた場合、その行為は後見人として不適合とみなされ、民事・刑事上の責任を負うことになる。

 身に覚えがなく当惑する槙生の隣で、おもむろに自分が使ったと口を開いた朝。軽音部に入ることを反対されると思い、槙生には内緒で、自分1人で音楽を作れる高性能PCを購入していたのだ。

塔野「朝さん/これまで高代さんにあなたの行動を制限されたことはありますか」
朝「ない…です/ないけど…/大人だから反対すると思って……」
(『違国日記③』Page.15(15話)より引用)

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(©ヤマシタトモコ/祥伝社フィールコミックス)

 事情を聞いた槙生は、PCを返品することを促し、朝もそれを了承した。

 自分の言動で朝の人生が大きく変わってしまうのではないかとおそれる槙生は、部活以外でも、基本的に朝に過度に干渉することはせず、自主性を尊重する姿勢を貫いている。ただ、亡くなった両親の言葉や記憶もまた、朝の中では生き続けている。15歳とはひとりで意思決定ができるようでいて、まだまだ大人の判断を仰ぐ場面も多い年齢だ。「どちらが正しいということもない」というのは、大人の世界では当たり前のようでいても、朝の年齢では実感を伴うことが難しいとも言えるだろう。

 槙生は、元々の人柄からしても、あまり他人に干渉したがらないタイプである。もし今回塔野が現れなければ、事態はもう少し違った方向に転んでいた可能性もありうる。
 槙生はPCが届くまで朝の行為に気づかず、ひょっとすると朝もPCを隠そうとするかもしれない。ことが発覚して2人が対峙したときに、果たして今回のように事態が丸く収まるだろうか。そう考えると「未成年後見監督人」である塔野の存在は大きい。

ふたり「だけじゃない」暮らし

 見てきたように、この槙生と朝とのふたり暮らしは、たった2人の閉じた空間ではなく、かなり他者へ開かれた暮らしであると言えるだろう。
 同居したてで気まずい時期の2人に餃子の作り方を教えたのは友人の醍醐だし、笠町はよく槙生たちを訪って生活を気にかけている。槙生と同じ小説家の先輩を呼ぶこともあるし、さらにのちの話では無断で学校をサボった朝を捜索しに笠町と塔野が駆けつけている。ふたり暮らしではあるが、決して「2人だけの暮らし」ではない。それは、槙生にとっては心強い第三者と問題を分かち合えるということだし、朝にとっては色んな大人の姿を通して生き方は一つじゃないということを知る機会にもなる。
 「違う国」の人間同士が、時に他の「違う国」の人間の手を借りながら暮らしを共にする。その暮らしぶりは「家族」という形に則ったものでありながら、その枠外の人々をも包括する、より開かれた「共生」の関係であるとも言えるだろう。

 朝と槙生、そして彼らを取り巻く人々の暮らしはこれからも変化していく。筆者自身も一読者として、この作品がどのような展開を迎えるのか、引き続き見守っていきたい。

 マンガというコンテンツに「家族」をめぐる制度を並べてみると、そこに描かれた人と人との関係性のあり方にぐっと奥行きが出てくるような気がします。また「家族」にまつわる法制度が、具体的にどのようにして営まれているのかを想像する一助にもなるかもしれません。
 ページをめくる手を止めて顔を上げれば、そこにはわたしたちの生きる社会が広がっています。引き続き、マンガを楽しみ、そして「家族」について考えることを楽しんでいきたいと思います。ぜひお付き合いいただければ幸いです。