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青春18きっぷでめぐる日本遺産 関西編 JRだけで行ける日本遺産まとめてみました

執筆:日本遺産普及協会編集部 平嶋

皆さん、夏休みはいかがお過ごしでしょうか。どこかに出かけたいけれど、まだ行き先が決まっていない方もいらっしゃるかもしれません。そこで今回は、お手頃な価格で日本全国を旅することができる夏の風物詩「青春18きっぷ」を利用して訪れることができる日本遺産をいくつか紹介したいと思います。このきっぷを活用して、ぜひ歴史と文化に触れる旅を楽しんでみてください。

関西編として、大阪駅を朝8時に出発し、JR線の普通列車のみでその日のうちに往復できる日本遺産を4件リストアップしました。これらの目的地では、日本の歴史や文化に触れながら日帰り旅行を楽しむことができます。首都圏編と中京編もございますので、そちらも合わせてご参考ください。


青春18きっぷとは?

青春18きっぷは、JR全線の普通・快速列車が乗り放題になる特別乗車券です。春・夏・冬のシーズンごとに販売され、5回分の乗車が可能です。5日間一人で使うことも、友人や家族と分け合って使用することもできます。価格は12,050円で、1回あたり2,410円と非常にお得です。このきっぷを使えば、日本全国をリーズナブルに旅行でき、学生や旅行好きに特に人気があります。

青春18きっぷの購入方法や使用方法・ルール等については、日本遺産普及協会のインターンメンバーが執筆した別記事をご参照ください。

プラン① 戦国城下町・岐阜へ

岐阜の城下町ってどんなどころ?

青春18きっぷを利用すると、日本遺産「『信長公のおもてなし』が息づく戦国城下町・岐阜」にアクセスすることができます。

戦国時代、岐阜城を拠点に天下統一を目指した織田信長は、単なる軍事拠点を超えた革新的なアプローチで知られています。彼は戦いを進める一方で、岐阜城内に「地上の楽園」と称される宮殿を建設し、その設計には「魅せる」という独創性を加えました。城は単なる防御施設ではなく、洗練されたおもてなしの空間として整えられました。

信長は自然景観を巧みに活かし、城内外からの眺望を美しく整えました。また、長良川での鵜飼観覧を取り入れるなどして、訪れる賓客に特別な体験を提供しました。冷徹な戦国大名としてのイメージとは裏腹に、信長のおもてなしは非常に繊細で、宣教師ルイス・フロイスをはじめとする世界の賓客たちをも魅了しました。

信長が築いた城・町・川の文化は、岐阜城がその軍事的役割を終えた後も引き継がれ、現在の岐阜市においてもその影響が色濃く残っています。信長のビジョンは、単なる城の枠を超え、地域全体に息づく文化として継承され続けています。

岐阜城

いざ岐阜城へ

フロイスや山科言継は、岐阜城の山上にも招かれ、城内の軍事施設としての一部を見学しました。豪華な座敷では、音楽を聴きながらお茶や食事を楽しむひとときを過ごしましたが、その際も信長自らが膳を運び、給仕を行うなど、細やかな配慮がなされていました。山上からの絶景は、濃尾平野を一望できるもので、古代から現代にかけての見どころの一つです。言継はその感想を「険難の風景、言語に説くべからず」と記しており、その美しさと壮大さに圧倒された様子がうかがえます。

現在の岐阜城は、昭和31年7月に岐阜城再建期成同盟の活動によって復興されました。城内には史料展示室が設けられ、楼上には展望台が設置されており、多くの人々に親しまれています。また、金華山一帯は平成23年(2011年)に「岐阜城跡」として国史跡にも指定され、その歴史的価値が認められています。

岐阜城は、標高329メートルと現在築城されている城郭の中でも有数の高さを誇り、最上階からは素晴らしい眺望が広がります。眼下には鵜飼で有名な清流・長良川が市内を貫流し、東には恵那山や木曽御岳山が雄大な姿を見せ、北には乗鞍岳や日本アルプスが連なっています。また、西には伊吹山、養老山、鈴鹿山系が広がり、南には濃尾の大平野が広がっています。木曽の流れが悠然と伊勢湾に注ぐ様子も一望でき、豊かな自然の景観を堪能できます。ロープウェイを利用すれば、楽に城頂部まで登ることができます。

城からの眺め

岐阜へのアクセス方法

【モデルプラン】
―往路―
08:30 大阪駅発(JR京都線)
※米原駅で東海道本線・大垣行に乗り換え
※大垣駅で東海道本線新快速・豊橋行に乗り換え
10:53 岐阜駅着
※平日ダイヤ想定

―往路―
17:20 岐阜駅発(JR東海道本線)
※米原駅で琵琶湖線新快速・播州赤穂行に乗り換え
19:43 大阪駅着
※平日ダイヤ想定


プラン② 湯浅・広川2つの日本遺産へ

2つの日本遺産?

大阪から南へ鉄道で約2時間20分。みかんの栽培でも知られる和歌山県有田地方には、2つのシリアル型日本遺産が隣接しています。

1つ目は、醤油醸造の発祥地である湯浅町にある「『最初の一滴』醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅」。ここでは、日本の伝統的な醤油作りの歴史が感じられ、醤油の製造過程やその発展を学ぶことができます。

2つ目は、広川町に位置する「『百世の安堵』~津波と復興の記憶が生きる広川の防災遺産~」。この遺産は、濱口梧陵の「稲むらの火」にちなんだ防災の歴史を伝え、津波に対する地域の取り組みや復興の努力を知ることができます。

これらの2つの日本遺産は、JR湯浅駅を起点にそれぞれの構成文化財を徒歩で巡ることができるエリアに位置しています(レンタサイクルもおすすめです)。約7.5キロメートルのモデルコースが公開されており、「2本遺産」として一度の訪問で両方の遺産を効率よく楽しむことができます。

醤油のまち・湯浅

醤油造りの歴史は中世に遡ります。鎌倉時代の禅僧覚心が1249年に宋に渡り、径山寺(現在の中国浙江省にある径山興聖萬壽禅寺)で味噌の製法を学びました。1254年に帰国し、この製法を湯浅に伝えました。この味噌は夏野菜を漬け込む嘗味噌で、後に金山寺味噌の基となります。

湯浅で味噌作りをしていた時、桶に溜まった野菜の水分を味見したところ、その旨味に驚きました。この発見を基に、湯浅の人々はこの汁をさらに活用し、醤油が生まれました。

角長醤油資料館で醤油について学べる

紀州藩の保護を受けて、湯浅の醤油醸造業は繁栄し、享保年間(1716~35)には製造技術が進み、販売網も広がりました。現在でも、醤油造りで栄えた町並みには、関連する町家や土蔵が立ち並び、醤油の香りが漂っています。

湯浅の町並み

防災のまち・広川

1854年の安政南海地震で、広村(現在の和歌山県広川町)出身の濱口梧陵が活躍しました。当時、ヤマサ醤油の当主であった梧陵は正月を広村で過ごしており、地震発生時には若者を連れて稲むらに火をつけ、暗闇の中の目印としました。この機転により、181戸が流出・半壊する中、村人の死者は30人にとどまり、9割以上が生き延びました。

災害後、梧陵は私財を投じて「広村堤防」を建設し、村人の雇用を確保して復興支援を行いました。堤防の内側にはロウソクの材料となるハゼの木を植え、村人は喜んで建設・保守に従事しました。この堤防は1913年の高波、1944年の昭和東南海地震、1946年の昭和南海地震の際に津波から村人を守り続けました。

広村堤防

1896年、明治三陸地震を契機に大阪毎日新聞が梧陵の話を掲載し、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が「A Living God(生き神様)」で物語化しました。これに感銘を受けた和歌山県の教員・中井常蔵が小学生向けに改作した「稲むらの火」は、1937年から約10年間、全国の国語読本に採用され、防災教育に役立ちました。

広川町の「稲むらの火の館」では、梧陵の逸話や地震、津波について詳しく解説しています。8月8日に宮崎県沖で地震が発生し、南海トラフ地震の臨時情報が発表された今だからこそ、そのリスクについて学ぶ良い機会になるのではないでしょうか。

稲むらの火の館

湯浅✕広川

広川町にある物産販売・飲食施設「道あかり」では、湯浅や広川のお土産を購入することができます。その中には、ヤマサブランドの「稲むらの火」という名前の醤油もあり、2つの日本遺産の関係性がうかがえます。

醤油「稲むらの火」

湯浅・広川へのアクセス方法

【モデルプラン】
―往路―
08:03 大阪駅発(JR紀州路快速)
※和歌山駅でJRきのくに線・御坊行に乗り換え
10:42 湯浅駅着

―復路―
17:24 湯浅駅発(JRきのくに線・和歌山行)
※和歌山駅でJR紀州路快速・京橋行に乗り換え
19:243 大阪駅着
※平日ダイヤ想定

どちらの日本遺産も湯浅駅が最寄り駅となります。


プラン③ 塩のまち・播州赤穂へ

塩のまちとは?

関西の人にとっては、神戸線・山陽線の終着駅としてよく知られる播州赤穂。この岡山県との県境に位置する兵庫県南西部の町には、「『日本第一』の塩を産した町 播州赤穂」という日本遺産があります。

日本列島では岩塩資源が乏しく、古くから海水を使った塩づくりが行われてきました。海水は豊富でも塩分濃度は低いため、多量の燃料を使わなければならず、効率的な海水濃縮技術が重要でした。初期の塩づくりは縄文時代から土器を用いて行われていたものの、中世以降は天日で水分を蒸発させる塩田法が導入されました。

赤穂では、瀬戸内海の気候と地形が入浜塩田に適しており、1645年に浅野長直が大規模な塩田開発を始めました。この塩田は、江戸時代に拡張が進められ、最終的に約150ヘクタール(東浜塩田)と250ヘクタール(西浜塩田)にまで成長しました。

赤穂は入浜塩田の技術が完成された最初の地であり、「塩のくに」として近世日本の塩づくりを代表する場所でもあります。現在でも日本国内の塩の生産の約2割を赤穂が占めています。

科学館・資料館で塩について学ぼう

東浜塩田跡地に立地する赤穂市立海洋科学館では、瀬戸内海の海洋科学と塩に関する資料が展示されています。塩の国では、当時の水尾の一部がそのまま残されているほか、各時代の塩田施設が復元され、塩田や釜屋での作業実演や塩づくりの体験ができます。

赤穂市立海洋科学館

また、赤穂市立歴史博物館では、赤穂の塩、城と城下町、赤穂義士、旧赤穂上水道の4テーマで歴史資料を展示しています。「赤穂の塩」展示では、国指定重要有形民俗文化財の製塩道具を中心に、塩づくりの歴史や赤穂流の入浜塩田の技術、塩の流通について説明しています。展示では、製塩用具や模型を通じて、今日では見ることができない塩づくりの技法や実態を学ぶことができます。

赤穂市立歴史博物館

播州赤穂へのアクセス方法

【モデルプラン】
―往路―
08:08 大阪駅発(JR神戸線)
※姫路駅でJR山陽本線・播州赤穂行に乗り換え
10:11 播州赤穂駅着

―復路―
17:48 播州赤穂駅発(JR赤穂線・長浜行)
19:28 大阪駅着
※平日ダイヤ想定

京都・大阪・三宮などから乗換なしもしくは乗換1回でアクセスすることが可能です。


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運営:日本遺産普及協会


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