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【日本遺産の基礎知識】津和野今昔~百景図を歩く~(島根県)

執筆:日本遺産普及協会監事 黒田尚嗣

島根県の日本遺産「津和野今昔(つわのこんじゃく)~百景図を歩く~」の基礎知識を紹介します。
※本記事は、『日本遺産検定3級公式テキスト』一般社団法人日本遺産普及協会監修/黒田尚嗣編著(日本能率協会マネジメントセンター)より一部を抜粋・再編集したものです。

日本遺産指定の背景

幕末の津和野藩の風景等を記録した「津和野百景図」には、藩内の名所、自然、伝統芸能、風俗、人情などの絵画と解説が100枚描かれています。
明治以降、不断の努力によって町民は多くの開発から街を守るとともに、新しい時代の風潮に流されることなく古き良き伝統を継承してきました。百景図に描かれた当時の様子と現在の様子を対比させつつ、往時の息吹が体験できる稀有な城下町です。

津和野城址と青野山

1.「山陰の小京都」津和野町

明治の文豪・森林太郎(鴎外おうがい)の出身地である津和野町は「山陰の小京都」とも呼ばれ、美しい高津川水系に沿ってまちが形成されています。青野山や城山など周囲を山々に囲まれた盆地に開かれた歴史ある城下町で、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

2.栗本里治の「津和野百景図」

江戸時代、津和野藩は代々絵師を抱えて四季折々の津和野の名所や風習・風俗を襖絵や額などに描かせ、津和野の伝統文化である煎茶とともに藩士や津和野を訪れた人々をもてなしたと言われています。
亀井家14代当主の亀井茲常(これつね)は、最後の藩主亀井茲監(これみ)の業績を伝える『以曽志乃屋文庫(いそしのやぶんこ)』をまとめるため、藩の御数奇屋番(おすきやばん)であった栗本里治(格斎)に「津和野百景図」の製作を依頼しました。後に鷗外とも交流のあった里治も、藩主の側に仕えて茶礼・茶器を扱う仕事の傍ら、絵師から絵を学び、藩内を隈なく巡り、藩内の名所や風俗、食文化等をスケッチしました。
亀井家からの信頼が特に厚かった里治は、茲常から依頼を受けて3年8ヶ月の歳月をかけて100枚の絵を描き、それらに詳細な解説を加えて「津和野百景図」を完成させました。

3.「津和野百景図」に描かれた風景

「津和野百景図」に描かれた風景は、徳川慶喜の側近として活躍した明治の啓蒙思想家の西周(にしあまね)や、鷗外が藩校の養老館で学問に励んでいた時代のものです。
彼らは鯉やウグイ(「津和野百景図」では「いだ」)の群れる津和野川(通称「錦川」)に沿った道を下り、殿町通りにある藩校養老館へ通うのが日課でしたが、途中にある御殿の建物群や、鷺舞(さぎまい)神事が奉納される弥栄神社(やさかじんじゃ)が当時のまま現存しています。
殿町通りには彼らが学んだ藩校や家老の屋敷が残っていますが、学問に励む傍らで、彼らの楽しみは一年を通じて行われる年中行事でした。春、鷲原八幡宮では満開の桜のもと流鏑馬神事が行われ、夏になると、祇園祭のときに弥栄神社の鷺舞が笛と鐘の音に合わせ、まちの辻々で優雅に舞われました。また、お盆には、覆面を被り浴衣を着た人々が盆踊りをまちの各所で踊りました。そのほか、秋の紅葉狩りや、天神祭りで繰り出される神輿(みこし)、正月の年始参りなども当時と変わらぬ津和野の伝統行事です。
鴎外は、小説『ヰ夕(うぃた)・セクスアリス』の中で、自宅の住所や、藩校への通学途中の様子、盆踊りの雰囲気などを記しています。まさに彼が見ていた世界そのものが、この「津和野百景図」に描かれています。

津和野今昔「百景図」

津和野今昔~百景図を歩く~詳しい情報はこちらから

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著者プロフィール

日本遺産普及協会代表監事。近畿日本ツーリストなどを経て、現在はクラブツーリズム株式会社の顧問を務める。旅の文化カレッジ講師として「旅行+知恵=人生のときめき」をテーマに旅の講座や旅行の企画、ツアーに同行する案内人や添乗員の育成などを行う。また自らもツアーに同行し、「世界遺産・日本遺産の語り部」として活躍中。旅行情報誌『月刊 旅行読売』に「日本遺産のミカタ」連載中。著書に『日本遺産の教科書 令和の旅指南』などがある。日本遺産国際フォーラム パネリスト、一般社団法人日本旅行作家協会会員、旅の文化研究所研究員、総合旅行業取扱管理者

運営:日本遺産普及協会


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