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日本語教師が国家資格になるとどんないいことがあるか

東京都のオンラインマスタークラス「日本語のタネ」の糸川優です。
複数の大学で、日本語教育、キャリア支援、日本人のアカデミックライティングなども担当しています。

今でこそ、男性の日本語教師もいますが、私が駆け出しの頃には、あまり見かけませんでした。なぜかというと、食べられないからです。昭和の時代ですから、男性は家族を養う責務を負わされており、自分の興味だけで仕事を選ぶわけにはいかなかったのです。私が研修に行った時には、同期の研修生16人中、男性は2人でした。

そんなわけで、当時、日本語教師は、「家族を養わずともよい」好奇心に溢れた女性たちと、社会に何か貢献したい、やりがいを求めて、という退職した人(主に元教師)が多い仕事だったように思います。結果的に、女性ばかりが従事する「食っていけない」仕事のままだったのです。

時代は移り、仕事の環境は…思うほど変わっていません。例えば、地方の私大の中には、どう考えても、減ってしまった18歳人口の穴を留学生で埋めようとしているのだろうなと思える場合があり、当然、それは日本語教育が専門分野としては認められていないというにもなります。日本人なら、日本語喋れるだろう、日本人なら、日本語教えられるだろう、という具合です。ある時、仕事を求めた際に、模擬授業をしましたが、ご自分も留学生に日本語を教える教授で、日本語コーディネーターの立場にある方が、ほおおおお、日本語教育っていうのはこんなやり方をするんですか!とおっしゃいました。

ここからは、ますます、一非常勤講師としての、私見となります。報酬に関して、あからさまな話をすると、関東の大学で教えた後に、転居により、地方のある私大で働いた時、コマ単価は1/3以下になりました。どこまで薄給になろうと、学生相手に手を抜くことはしませんが、留学生が、そして日本語教育がどのように見られているかを如実に反映していると感じました。

また、大学の中では、専門科目>教養科目>語学>留学生に対する日本語というような位置付けがあるように感じることもありました。自分のコマ給を考えると、絶対に専門科目の非常勤の教員が同じ単価のはずはありません。なぜなら、標準的なコマ単価の半分以下だったからで、その理由は、留学生科目だからだろうと確信しました。

もう、本当に、ごまめの歯軋りというか、蟷螂の斧というか。それでも、一寸の虫にも五分の魂です!

いい加減、この領域の専門性を世間に認知してもらう必要があるのです。私の場合、とりあえず、曲がりなりにも職を得ているので、国家資格になってもならなくても、あまり関係ないと初めは思っていました。けれども、違いますね。これは、日本語教育に従事する者全体に関わることです。きちんとした教育を受ける、きちんと研鑽を積む、仕事に専念できる環境で働く、学識経験・技量に見合った対価を得る。これは、職業として当然のことではないでしょうか。

日本語教師は、どうしてもボランティアのような働き方を求められます。さらに、自分を振り返って思うに、日本語教師自身も、困っている留学生のために、やりがい搾取に自ら飛び込んでいってしまいます。人間相手なので、仕事の範囲の線を引くことは難しい。でも、現場が疲弊してしまう、食べられないから離職する、これでは、いつまでたっても現場はよくなりようがないのです。教育の質に直接影響する問題です。

働く環境がよくなければ、いい授業は望めません。単価が低ければ、食べるために、あちこちで多くの授業を持たなけれなりません。勉強の時間も必要でしょう?せっかくこの仕事を選んだのです。継続して働ける環境だといいですね。やりがいのある、楽しい仕事です。けれども、仕事は、情熱だけでは続かないのです。そのための国家資格だと思っています。

というようなことで、先輩たちの尽力おかげで、今後は少しずつ改善されていくのではないかと期待しています。


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