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ayaaayaaa
より良い授業を提供するための資料「教案」
こんにちは。MIKIです。
先日、こんなツイートをしました。
「教案」
— MIKI /// SDGsな日本語教師 (@okmymiki) July 13, 2021
これ、嫌いな人多いなと思う。
現在、担当している日本語教室では日本語教師の方々に教案の提出をお願いしている。
シラバスを作った責任者として、どのような授業を提供してもらえるのか、共通認識として重要だと思っているから。私は大事な資料だと思っている。TTで教えるなら、なおさら。
こうした共通認識としての資料、より良い授業提供のための資料としているが、いわゆる台本的なネタ帳的な教案ならなくてもいい。そこに時間をかけるべきではないと思う。
— MIKI /// SDGsな日本語教師 (@okmymiki) July 13, 2021
まず、「教案とは何か」を示してから、議論していかないといろいろ面倒くさい。#何か見た
教案には2つの要素があると考えています。
一つは資料としての教案。
そして、もう一つは台本としての教案。
この二つは目的がまるで違うのですが、時としてその役割を明確にされないまま、「教案は必要だ」「教案にかける時間は短い方がいい」などという意見が交わされることがあります。議論する前に、少し整理をしてみましょう。
教案の目的ってなんだろう。
私が考える教案としての役割、目的は次の二つです。
認識を共有するための資料としての教案
台本としての教案
認識を共有するための資料としての教案
複数の教師との共有
例を挙げて解説していきます。
先のツイートにあるように、私は現在、複数の日本語教師の方と日本語交流員と呼ばれるサポーターさんとともにオンラインの日本語教室を運営しています。
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