国文法を学ぶ意味とは?

この記事では、国語の授業で国文法(口語文法)を学ぶことの意味について考えてみたいと思います。


巷では、国語の授業で現代語の文法を学ぶことについては、「日本語は学校で文法なんか習う前からちゃんと使えるようになっているのだから、言語の運用能力を身につけるためには文法の知識など必要ないのだ」という声を少なからず聞くことがあります。

しかし、母語の文法を改めて学ぶことは、自分が使う言語をメタ的な視点で見ることができる、という大きな意味があります。

文法とは、母語使用の背景にある「暗黙知」だと言うことができます。普段は意識することなく使っているその母語の知識について学ぶことで、隠されている自分の「能力」に気づく機会が得られるのです。それとは逆に、「わかって使っている」と思っている母語が、実は「わかっていない」ということに気づくこともあるでしょう。

また、昨今では教科を横断した教育の必要性が叫ばれるようになっていますが、母語である日本語の文法を学ぶことで、英語の授業で学んでいく英文法が相対化されていき、日本語・英語双方の理解が深まっていくのではないか、と思っています(これは学びの与え方が大きく影響する点ではありますが)。そしてさらには、日本語母語話者と英語母語話者の考え方の違いなどにも目を向けていくことができるようになれば、文法による学びはより深いものになるでしょう。


現状では、現代語文法(口語文法)は古典文法(文語文法)の前段階と位置付けられている面が強く、そのようなモチベーションのみでは得られる学びは少ないものとなるでしょう。文法は自分(たち)のことを知り、他者理解にもつなげていくためのものと考えれば、学びも多くなっていくものと思います。


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