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私がドラえもんよりキテレツ大百科が好きな訳(そして、ルフィよりデク!)

ドラえもんその人(ロボット?)はキライじゃない。
嫌いなのは、のび太だ。
映画版ののび太はいいやつなんだけど、アニメでは大体だらしなくて、怠け者で、お調子者で・・・
もちろん故意にそうしてるんだろうけど、ちょっとは自分でがんばれよ!と思ってしまう。

その点、英一はすごい!
自分で発明して、問題を解決する。
藤子ワールドのアニメはほとんどダメな子を助ける主人公が主役だけど、キテレツ大百科だけは違う。
(エスパーマミも毛色が違うね)

やっぱり頑張る人を見て、さらに応援する方が気持ちいい。
昭和のマンガ・アニメじゃなく、今に近付いてくると、世界を席巻しているワンピースやNarutoでは、主人公はがんばっている!
ダメな子のレッテルを貼られているNarutoが一晩中練習して、影分身を体得するところから始まったり、ルフィも途中2年間も島にこもって修行したりする。

ちょっとおバカな主人公が、本人もがんばりつつも、その愛されキャラで周りの支援を受けながら成長していく話は多くの日本人のツボにはまっただけじゃなく、世界中で人気を博した。

いわゆるヒーローものの本家、アメリカの作品では、ヒーローは努力なんてしない。
蜘蛛化しちゃったり、鉄化しちゃったり、宇宙人と融合しちゃったり、というのは偶然の産物だ。
スーパーマンなんてそもそも地球人ですらない。

勧善懲悪なのは、誰が見ても分かりやすいし、「面白かったね~」というエンターテインメント性でいえば、それでいいんだと思う。
ただ、できなかったことを努力してできるようにする主人公には自己投影したり、感情移入したり、ハマり度が違うと思う。

日本のヒーローががんばるのは、仏教の考えに根差していると思う。
日本人は小さいころから結果より過程が大事だと言われて育つ。
人と比べて、いいの悪いの、勝ったの負けたのというのではなく、自分自身と向き合ったり、自分自身を見つめたり、自分自身を高めたりする「精進」こそが大切だという仏教の教えだ。

キリスト教やイスラム教のような一神教は神が全てをコントロールしてるから、偶然という神の意図こそが全てなんだろう。
与えられた力をどう使うかは大事だが、そもそも与えられてない力を無理くりがんばって伸ばそうなんて考えは端からない。

これは教育でも同じ。
日本の幼稚園なら、図工、音楽、体育、お話、協調性・・・みんながんばらないとならない。
図工が苦手なら、じゃあそれをがんばろう!と言われる。

日本の教育の考え方は樽の理論

一方ドイツの幼稚園は、朝から好きなことだけをする。
外遊びが好きならずーっと外遊び、お絵かきがしたいならずーっとお絵かき。
全てをまんべんなくじゃなくて、好きなこと、得意なことをとことん伸ばす!
ストレスなくていいところもあると思うけど、ま、出来上がるのは凸凹な人間ね。
音楽はすごいけど、計算は苦手みたいな。

でも、凸凹でもいいじゃんという風土がある。
それはドイツの強み。
日本で「凸凹な人間」と言ったら、恐らく「不完全」みたいなイメージしかないだろうけど、ドイツでなら「当たり前でしょ、人間なんだから」で終わり。
ロボットじゃないんだから、不完全で当たり前、得手不得手があって当たり前だ。

元に戻して、それでも私はやっぱり日本人なので努力は尊いと思う。
だから、努力もするけど、悪魔の実を食べたり、体に尾獣が封印されてたり、バレー選手としては背は低いけどジャンプ力はすごい!といったラッキー要素ゼロのデクが一番のヒーローだと思う。

もちろん、オールマイトと出会ったことはラッキーかもしれない。
それでも、体に合わない力を使いこなすための努力は半端じゃない。
見てて痛々しいほどの頑張り屋だ。

あと、好きなのはモジャくんこと、宇宙兄弟のお兄ちゃんの方。
すごいんだけど不運だったり、ええかっこしいだったりと、期待を裏切る主人公像だと思う。

おバカな主人公ものだと、周りのキャラクターのが好きなことが多いけど(ルフィよりサンジ、ナルトよりシカマル、翔陽よりつっきー)、「僕のヒーローアカデミア」と「宇宙兄弟」は、手元においておきたい作品だ。




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