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「天皇」か「天皇陛下」か…

   今日も人物の呼称、「呼び方」のことについて書いてみたいのだが、その人物は「天皇」。この上の記事は、前に私もここで『象徴の務め』と題して“平成天皇が象徴天皇を実体化する解釈改憲を行った”と書いたが、その平成天皇がつくり上げた天皇制について原教授が分析、批判した素晴らしい論考なので、ぜひ一読して貰いたいが、この記事の冒頭中にこんな気になる記載があった。

ちなみに、原教授は天皇について語る際、敬称や敬語をいっさい用いない。客観的、学術的に対象を扱うためだ。敬語使用と批判、批評は両立が難しいものであり、こうした姿勢は本来ジャーナリズムにも求められていた。だが敗戦後の1947年、主要メディアは宮内府(当時)と「普通のことばの範囲内(「玉体」は「おからだ」、「宸襟」は「お考え」に)で最上級の敬語を使う」という方針で合意。この考えは国語審議会にも受け継がれた

   これは、この記事の中で原教授が天皇について敬語や敬称を用いて話をしていないことへの編集部からの謂わば、「言い訳」の一文なのだが、そもそも天皇に対して敬語や敬称を使うべきものなのだろうか?

   こんなツイートもtwitter上で散見したし、そもそも『「陛下」という言葉は敬称でない』という指摘もあったし、こういう浅田彰の論考も紹介されていた。

    こういった「陛下」の語源や天皇の呼称や敬称の問題を離れたとしても、“天皇に「陛下」をつけて呼べ!”という意見には同意しかねる。そもそも「天皇」というのは名前ではなく役職名であり、「天皇」と呼ぶことは名前を呼び捨てにしている訳ではない。

    例えば、「○○社長」というように、その人の名前に役職名をつけて呼ぶのは「敬称」の一種だと言える(勿論、「○○社長さま」と更に敬称をつける呼び方も出来るが、逆にバカにしているようにも感じる筈だ)。

   今の「天皇」の場合で言えば、「徳仁」が名前なのだから「徳仁天皇」とでも呼べば敬称だとも言えるし、同じような意味として慣例で使う「今上天皇」で敬称としては十分と言える筈だ。

   同じように、我が国、政府のトップという立場にある安倍晋三内閣総理大臣にしても、安倍という名前に「首相」や「総理」といった役職名をつけて呼べば「敬称」としては十分だということになるし、マスコミなども実際にそうしている。ところが、“天皇に「陛下」を付けて呼べ”という論理で言えば、それこそ安倍にも「閣下」をつけて「安倍総理大臣閣下」とマスコミや私たちも呼ばなければおかしなことになってしまうのではないだろうか。

  それにそもそも今の「日本国憲法」下では、主権者は天皇でも、ましてや総理大臣でもなく、私たち国民。その国民が国の公的な存在や役職にある人間に「陛下」だ、「閣下」だと敬称をつけて呼ぶのもおかしな話だろう。

    ついでにもう一つ言えば、「陛下」だけではなく、天皇の一族、皇室の子どもにまで「さま」をつけて呼ぶのも納得しかねる。呼び捨てにしろ、とは言わないが、「さん」で十分な筈。「天皇や皇族には最上級の敬語を使う」というマスコミや国語審議会の方針はやはりこの国の憲法の下では間違いと言わざるを得ないのだが…。

                                                              ※phot by 宮内庁ホームページ


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