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隣のネズミ-2

全7回の短編小説です。
隣人が嫌いで苦悩する主婦の話


もう少し、「坂田さん回顧」を続けてみることにした。

 

「へえ、なるほど」

と、夫は言った。

「だからね、いつからキライになったか、そういえばよく思い出せないなって」

「そういうこと、あるよね」

「・・・」

 夫は穏やかな性格で、私の話の腰を折ることはなく静かに聞いているが、どうも相槌が無難過ぎて、夫との会話それ自体が虚しく感じることがある。

 こちらがムッとした様子にも気付くことなく、私が黙ればそれで会話は終わってしまうのだ。それでも、もうずっと何年も、そういう小さいモヤモヤは、日を跨がず消えてしまう毎日が続いている。息子の成長に感動することも多々あれど、忙しさに押し流されるぼやけた日々の連続。しかし、それを虚しいと思うのは、あまりに悲しいので、流されるままになっている。

 夜、一通りの家事を終えて換気のために雨戸まで開けた。日中は暖かかったのに、日が沈むと同時に寒く感じる。

 先日「花散らしの雨」が降り、街路に沿って植えられた桜の三割は葉に代わっていたが、の幹にはまだイルミネーションライトが巻かれている。「わぁ、きれい」とお隣から聞こえたような気がして、思わず非常用の壁を見たが、その声はおぼろのまま夜の静寂に消え、遠くでガラス戸が閉まる音がした。ひょっとして、坂田さんではなくて、お隣のお隣だったかもしれない。

 私はため息をついて、部屋に戻った。

 どうして私がびくびくするの?

 そして、腹が立った。そう、私は坂田さんが嫌いだけど、坂田さんは悪い人間ではない。私にとっての嫌な奴。彼女と関わるとき、私は彼女に自分の意見をハッキリ言わない。言っても伝わらないから。けれどいつも、もっとはっきり言えば良かっただろうかと、後悔と自己嫌悪がある。その感情が積もって、そのうちに「大嫌い」になったのだ。ある花が、キレイだと思う。ある音楽を、素敵だと思う。たまに意見が合うと、そのこと自体に嫌悪感が湧く。なんで「こんな奴」と感性が一緒なのだ、と。

 去年の今頃、私はマンション自治会サークルのひとつである子供会に入った。予算は自治会サークル全体で組まれるため、興味のあるサークルに入会するために、自治会にも入会しなくてはならない。面倒だとも感じたけれど、勧めに応じて入会した。今もそう変わらないが、私は独身時代よりも社交的になったと思う。ご近所づきあいを避けることは少なくなった。出会いや経験が良くも悪くも、子どもに社会性を持たせるためには、親である私が動かなくてはならない、と、無意識でありながら、経験から動くようになっていた。

 トークアプリに子供会員のママさんから、いろいろな「お得情報」が送られてくる。家から歩いて十分ほどの公園ではシャクナゲが見頃だというので、私と息子は連れ立って遊びに行き、息子を一人遊ばせておいて、私はぼんやりと花を眺めていた。

 傍に見覚えのある人がいるな、と思い、花のついでに眺めていたら、それはどうやら、坂田さんだった。スマホカメラを大輪に向けることに夢中で、私には気づいていないようだった。声をかけるかどうか逡巡しているうちに、彼女も私の視線に気づいた。挨拶せざるを得なかった。

「あ、こんにちは。奇遇ですね」

「あ、どうも、こんにちは」

 坂田さんは、偶然出会った知り合いに、戸惑っているように見えた。その反応には、嫌悪感どころか、親近感を抱いた。私も、偶然出会った知人に対して、妙に自意識過剰になり服装なんかを気にしてしまって、声をかけるタイミングを失うことが、よくある。

「あれ、『えりえり・・・・・・』さんじゃない?」

「本当だ。つぶやきと同じバッジ付けてる。」

 視線を感じて振り返ると、私たち二人を見ながらヒソヒソ話をする見知らぬ女性の二人組がいた。

「あれ、ひょっとして、待ち合わせでしたか?」

「あ、そう。そうなの」

 首肯するので、ぎこちなくも笑顔を作り彼女たちに向けながら、視界の妨げとならぬよう身を後ろに引いたのだが、どういうわけか、坂田さんも女性の二人組も、お互いに近付かない。

「・・・あの、それじゃあ私はこれで失礼します」

「うん、じゃあね」

 坂田さんは、なぜだかホッとした様子だった。それだけのやり取りの間に、ポコポコ音を当てている彼女のスマホは、見る限りでつぶやきアプリの通知を送っているらしかった。状況から察するに、彼らは相互フォローする仲で、おそらく直接会うのは初めてなんじゃないだろうか。

 それならそうと言えば良いのに、何か邪険にされたような気持ちだったが、それこそものの数分で消えてしまう程度のモヤモヤだった。

 坂田さんに、ハッキリ嫌悪感を抱いたのは、それから一月ほど後のことである。

 

 その日は自治会の会合で、私は子供会の代表としてメモを取るために出席していた。子供会以外のサークルでは、朝のラジオ体操部、みんなでお茶会、麻雀、その他卓球クラブなど、高齢社会の色が目立っていた。坂田さんは、「みんなでお茶会」の今月の書記係だというので、集会室で顔を合わせることになった。

 子供会のママさん連中からは「気楽な気持ちで」と言われていた。会合と言っても大仰なことはなく、議題は「各活動」の報告とか備品の補充とか、子供会に関係しないことが大半。けれど、おじいちゃん・おばあちゃんが、思わぬところでこだわりを見せて話が進まなくなることがあるから、覚悟して、と。

 子供会のママさんたちが、平日の夜のその集会に時間を合わせられないことは、晩御飯時であることや、共働き世帯の多さからも容易に想像がついたが、確かに、集会所の顔ぶれを見渡すと、子供会のメンバーは他の自治会サークル代表と、年に開きがあることが分かった。

(時間を変えてほしい、とは言いづらいのかもね)

 坂田さんや、他の面子に軽く会釈をして、用意されているパイプ椅子に座ると、義母と同じくらいの年齢に見えるような女性が「今日の会議資料」です、とA4の用紙を配り始めた。

 私はその紙のタイトルに首を傾げた。

「自治会におけるハラスメントの注意事項」

 勤め先でもこのテの講習を受けさせられたことがあるが、最近は、たかがマンション自治会までコンプライアンス委員会の様子を呈しているのだろうか。

 上座に座った禿頭の男性が書類を読み上げるのを聞き流していた。

 突然、自治会長だという彼が

「水島さんは、ウメハラって知ってる?」と言ったので、私は反射的に自分の苗字に反応し、びくっとした。

「はい?う・・・?」

「ウメ。ウメハラ」

「ええと、聞いたことはあります、けど」

 馴染みは無いが、つぶやきアプリで回ってきたことがあるのを覚えていた。姑が嫁に、結婚したからには子どもを産まなさい、と圧力をかける、とか。しかし、企業的には、妊婦に偏見を抱く上司の、マタハラの方が大きな問題として取り上げていた。「業務上」という枠を超えて、欲張りな人間が高度なモラルを他人に求めて生まれたことばだと、私は思っている。

「うーんと、ね。私も良くは知らないんだけど、自治会に投書があって。このマンションにはいろいろな人が住んでいて、そこにはいろいろな事情があるから、これからもそういうことにも気を付けてほしい、と・・・」

「はあ・・・気を付けます」

 自治会の会合に出席するのは初めてだったので、内容や名指しを不可解に思いながらも、私はそれを洗礼のようなものか、と思い頷いた。

「ちょっと待って。ウメハラってなんですか?僕はパワハラぐらいしか知らないけど、最近はそんなのあるの?」

 卓球クラブの代表というその男性は、自治会長と年こそそう変わらないように見えたが、彫りが深くルネサンス期の彫刻のような顔をしていた。

「産めハラって言うのはね」

 自治会長は、私が思っていたのと、そう変わらない説明をした。

「ふーん。まあいざこざが起きないように啓発は大事だと、僕も思うけど、なんだかシックリこないというか。誰が誰に、その『産めハラ』っていうのをするの?最近は、すごくたくさんのハラスメントがあるじゃない。マンションで起こりそうなハラスメントの注意喚起をした方が良くない?」

 卓球サークル代表と自治会長が問答を続ける間、私は先月の坂田さんとのやり取りを、思い出していた。

「坂田さんのお子さんは?」

「いないけど、なんで?」

 少しだけ坂田さんの顔が曇ったような気がした。けれど、あれが産めハラと受け取られた?いやいや、まさか。

 ハラスメント防止のために、自分が何の気なく発する言葉に気を付けなくてはならない、と言われる。坂田さんの横顔に目を向けたが、彼女は真剣な顔つきをしているわりに、書類にも、私にも、かと言って自治会長や卓球サークル代表の方も見ていなくて、言うならば壁を敵のように睨みつけていた。私は、うっすらと彼女に薄気味悪さを感じた。

「じゃあ、こうしましょう。次月までに、マンションでこういうことが嫌だったっていうハラスメントがあれば、意見用意してもらって。それを話し合いましょう」

 集会室はマンションの一階、管理人室の隣にある。部屋に戻るのはエレベーターで上階に上がるだけだ。坂田さんと一緒だと気まずいな、と思ったのだが、幸い彼女は会合が終わるとすぐに、隣に座っていたカラオケサークル代表の女性とおしゃべりを始めた。お先に失礼します、と、つぶやいて席を立った。

 息子は家を出る前と同じ格好でテレビを見ていた。宿題はデイサービスで済ませてきたというから、お小言は言えないけど、先にお風呂に入りなさい、と言った。

「なんか難しい顔してるけど、どうかした?」

 と、旦那は言った。

「ええー」

 普段は鈍いと感じることの多い旦那が、珍しく私を気遣った。そんなに険しい顔をしていただろうか、と、思わず顔を撫でたが、自分でも杞憂と一蹴されて仕方ない程度のことだった。

 結婚して子どもを産んで、旦那が思った通りの人では無かったと、人並みに嘆いてきた。けれど、その分、人の良いところは、自分で気付かないところか、意識しなければ気づけないものだ、という気付きもあった。私の中に、女の勘などというものがあるのかは分からないし、あったとしても、信用できるか分からない。

「んーまあちょっと。腑に落ちないことがあっただけ」

「そうなの」

 私の歯切れが悪いのだけはいち早く忖度する旦那は、そう言って再び目の前の新聞を読むことにしたようだった。

 

 それから加速度的に坂田さんへの嫌悪感が増したのは、彼女が教えたわけでも無いつぶやきアプリのアカウントを、自ら探し当ててしまったからだ。彼女のアカウント名は「えりえりさばくたに」。原語の意味とは関係なく、語感が気に入り付けた、とある。つぶやきには、ラジオ番組への感想がほとんどだったものの、マンション住民の愚痴がたくさんあった。心ならずも私は「産めハラ」のもやもやを、自ら確定してしまったことになる。「えりえりさばくたに」こと坂田さんは、今から十年以上前、組織改革で夫の給与が下がり、子どもが欲しいという気持ちを圧し殺した。知人親戚からの産めハラに耐えた暗黒期があるそうだ。そうした古傷が、「私のような無神経な一言により」痛むことがあるのだ、と。

 それを見たときにムッとはしたものの、得心があり、妙にスッキリした気分になった。坂田さんへの違和感が、自分の被害妄想ではなく、安心した。それと同時に、私は、坂田さんを嫌う合理的な理由を得たような気がした。だから、坂を転がる雪だるまのように膨らむ嫌悪感に、歯止めが効かなくなった。彼女を嫌うと同時に、誰にでも本人に直接言えない本音はあるのだし、以前偶然出会ったとき、彼女はきっと後ろめたかったのだ。顔に出やすい素直な人、寂しい人。

 そういう見方もできるのに、なぜだが今では、坂田さんへの「嫌い」が止まらない。そもそも、なんなの?えりえりさばくたにってセンスの欠片もないハンドルネーム。ネタ元の「Eli, Eli, Lema Sabachthani?」とは、ヘブライ語で「神よ、何ゆえに我を見捨てたもうや」という意味。そんなに深みのある人生は送っていないでしょう。発達障害の子どもを産み育てる方が、短期的に産めハラに耐えるより、よっぽど大変だもん。それをあたかも被害者のように。フォロワーは、ただフォロワーであるというだけで、深く事実を追求せず慰め合って・・・

 けど、いくら頭の中で坂田さんを罵倒しても、それを本人に言う勇気は持てない。このマンションに住む限り、お隣同士の付き合いは続くのに、あれから彼女の「本音」を調べるクセが付いてしまったからだ。

 


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