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結婚できない人





結婚できない人





タイトルで与えられるようなイメージとは違う、と思います。



自身のことを、結婚できない、という人がいますが、私の友人にも、そんな感じで自称する人がいます。



私はその友人をすごく尊敬していて、かつ美人であることもあり、当然、「選ばなければ相手なんていくらでもいそうだが?」と思うわけです。


結婚できない人というのは、つまり結婚を選ばない人のことであり、わざわざ口に出さないけれど


「良い相手がいれば、結婚したいけれど」結婚できない人


と、いうことです。



結婚そのものが目的なら、昨今婚活なるものがあり、結婚相談所とかお見合いアプリとか、いろいろあって、


それに伴い、着ていく服はどーだ、マナーがあーだ、初めましてのプチギフトでセンス良いと思われるのはどーだ、会話しやすいテーマがうんだ


いろいろメソッドがありますが




そこまでして結婚したいわけじゃない




婚活に精を出す人や、結婚相談所の仲人としては、高慢ちきと誹りたくなるのかも知れませんが、


これって非常に当たり前の感覚です。


事実、別に結婚しても先々のメリットが大きい、なんて、全く言えなくなった現在ですし、むしろ、結婚したいから土日すべてを婚活に費やしている、という人のほうが、私には異常に見えます。




会員〇人を結婚に導きました、私に教えを請いなさい、と、喧伝する自称結婚コンサルタントとかオーガナイザーは、構図が新興宗教と同じなので、恐怖を感じます。




さて、話を戻して、その結婚できないという友人、なんかあんまりな響きなので、Aちゃんとします。


Aちゃんとは、私が結婚してからも、何ヶ月に一度はお茶するお茶のみ友達なのですけど、まあ割りと深い話をします。



Aちゃんは、自分にも相手にも妥協を許さない、潔い性格で、学生時代から、自分が好きかどうか分からないような相手と付き合う、ということは、全く無かった、といいます。


顔貌が完全に整っているし、知的でおおらかなので、気のない人から言い寄られる、ということは、何度もあったようなのですが、距離を取った、と。



そして、自分が好きになった相手は、仕事ができたり、能力があるのですが、どうも彼女のことを馬鹿にしたりキープにされたり?で、うまくいかない。


けれど、彼女には、好き、という感覚があるだけで、そこから、その人と恋人同士になりたい、という願望はあるかも知れないけど


先の、「そこまでして結婚したいわけじゃない」という感覚と同じで、何がなんでも彼氏が欲しいわけじゃない、ですので、諦めて別の人を好きになる、ということが、不可能なわけです。



そのため、彼女の視点から周りを見ると、不可解な現象が起こっています。


なぜ皆、そうポンポン結婚できるのか?


そんな簡単に運命の人?大好きな人?と、たまたま両思いで、結婚に至るなんて、奇跡なのでは?そんな奇跡が、ポンポン起こっているのか?



世の中では、結婚できないことを、高望みし過ぎなどと十把一絡げに断じる人もいますが、一度全ての前提や事例を捨てて考えてみれば、彼女の感覚が、とても真っ当なものであることが分かるはずです。



一昔前こそ、結婚していない人間に風当たりの強い世の中でしたが、現在は、少子化問題は深刻であれ、結婚する・しない、については、とても寛容です。好みの問題です。



別に好きな人がいるわけでなく、結婚していなければ、精々親戚や一部の知り合いに嫌味を言われる程度のことが、メンツ丸つぶれの重大事のごとく捉えて、少しでも良い人と結婚することを目標に、自分磨きと並行し、異性をああだこうだと批評する失礼を、これは婚活だ!といって肯定してしまう方が、異常です。


知的生物のやることではありません。




と、いうのは、知性で結婚を考えるのなら、先にも書きました通り


番になってもいい魅力的な男性はいないのに、結婚を求めるというのは、不合理な感情だからです。



反対に、本能によって結婚を求めるのは、本能≒感情≒好み、と考えると、結婚したいから結婚する、という意見は、まだ理があります。



しかし、本能による行動、エネルギーというのは一律ではありません。むしろ個体差がすさまじく、Aちゃんのように、理知的な部分が大きければ大きいほど、婚活というものが、狂乱そのものに見えて、そこまでやりたくない、と、尻込みしてしまう人も多いのが普通でしょう。



結婚すると、嫌でも、配偶者に、自分の行動、他人に知られたくない弱み、考えを、全て見せることになりかねず、デリカシーの無い人、配偶者の弱みを言いふらし兼ねない人と結婚しないとも限りません。


婚活という枠の中なら紳士的に見えても、そういう思いやりがあるかどうか、見極めるのは困難です。いや、不可能だと言っていいでしょう。



自分の本能に従い結婚した結果なら受け入れることもできるでしょうが、理性的、合理的に結婚した「つもり」で、配偶者の無神経な言動に傷つくと、ショックからかの責任転嫁が起こります。



自分は悪くない、相手が悪い

相手がこんなことをするとは思わなかった


そういう理屈に頭を支配されます。



私も離婚経験者なので、そういう流れに同情はできますが、「自分で選んだことの結果」という考慮が薄くなり、どんどん他責思考になるので、全く理知的とは思わないです。むしろ衝動的動物思考です。




知識・知性主義、というと、グノーシス主義という意味になるので、そのような壮大なことは言えませんが



思考の癖として、私も本能というのがよく分からないばかりに、Aちゃんのように理性的だと感じるものに依ってしまっていることが分かります。




You Tubeの結婚相談動画みたいなのでは、


こうした結婚できない人は、深層心理で人と深い関係になることをおそれていて、初めから関係が深まらない人ばかりに惹かれてしまう、ということを解説しているそうです。


一理あると思います。



先程、結婚すると自分の弱みを相手に晒してしまうことになる、と書きましたが、いかなる時点でも、配偶者が絶対に裏切らない確信なんてありません。


「まだ」配偶者が自分を裏切っていない状態で、「結婚について私の理性的な判断は正しかった」と、結論のように騙ることはできますけど、ロジックとしてそもそも間違っています。



結婚は半永久的に持続する契約ですから、保有株式みたいに株価は上下し、落ちてゆけば、損切りも検討しなくてはなりません。


人を金融商品扱い、まことに冷たい事ですが、知識や知性の定義は感情を排するものです。




人間以外の動物は、種の存続が第一にあるから、本能と知性が同じベクトルを向いているけど、


人間の場合、本能と知性が別の方向にあるんです。



別に子どもを生むためでもなく、快楽のためだけに性交する動物



これがいかに特異な存在か。



それに、株式売買はハイリスクハイリターンですけど、結婚ってハイリスクローリターンです。


あくまで金融商品として考えるのなら。


気持ちとしては、私は結婚をオススメしますが。


ちょっと安っぽい説明になるけど、自分の成長、というか、人間は社会的動物なので、誰かの配偶者っていう役割があるだけで落ち着くもの。

社会的動物だという本能からか?合理以外で、旦那さんや子供との触れ合い・コミュニケーションで精神が安定する、かなり大きな理由です。


逆に、そんなものなくても地域の関わりで安定した精神の人は、結婚なんて必要無いんですね。


経済的に余裕あり、そして、社会的立場の高い人ほど結婚を求めなかったりします。


逆に

「今まで仕事に邁進してそんな余裕無かったけどー」

と、年収高く見た目も良い壮年層の人が、婚活アプリに登録していると、とっても怪しいわけだ。



なぜ周りに良い人がいないの?と、思うから。


再三書く通り、結婚におそれを抱いてしまい、(結婚したいとは思うものの、それほど強い)結婚願望がない、というのは、全く普通のことだし



結婚したいと思ってなかったけど、(弱みを見せられる恋人となら)結婚してもいいかな、と思うのも、本能的・理知的な心境の変化として不自然なところはない




けど、相手がいないのに結婚願望が突然湧くっていうのは、珍しいです。



同調圧力か?

それとも家事担当、サポーターが欲しくなったか?





理由なきモチベーション、すなわち本能的な感情はとても強いけど、たとえ詐欺でなくても理知的な理由で結婚を求める人には気をつけた方が良いです。



理由は、以前結婚を求めた事情や背景は、長い期間の間に変わるからです。



おしどり夫婦と言われる芸能人の間でも離婚が多いのは、本能的な恋愛感情が薄まり、結婚契約を更新するメリットも薄まる、そんな感じだと思います。



円満離婚なんて無い、という人もいますね。そりゃ、契約更新するかしないか、というシリアスなテーマですから、すぐに相手と意見が合わずピリピリすることもあるかも知れない。



けれど、離婚して生きていけないわけじゃない雌雄のことであれば、円満離婚はいくらでも成立すると思います。











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