NPO法人の闇
先日の事件は衝撃でした。
ひそかな目標?が、毎日朝更新なので、普通に更新します不謹慎さを、寛大な気持ちでお許しいただけると嬉しいです。
発達障害育児、真っ最中のママです。放課後デイサービスは、やはり四の五の言えないほど、受け皿に余裕がありません。保活ならぬ放デー活動、勃発か?
ちょっと叫びます。
もーどこが働くママに優しい世の中なのよ。出生数が減る?
当たり前だー!!
だー!!
だー!!
清濁、併せ呑む。世の中白黒付けずに、グレーに置いたままやっていくことが良いと、20代の若さが無くなった代わりに感じ入ることが、多くなっています。
夫婦関係など身近なことでもそうですが、仕事におけるブラック企業も、超ブラックなら健康のために対策が必要ですし、終身雇用の時代ではなくなりましたが、この会社のためにという気持ちが全くなくなるわけでは無いし、「ちょいブラック」「グレー」程度なら良いかな、と、私は思います。
と、いうのは学生の頃、NPO法人のボランティアに、積極的に参加していたのですが、ご存知でしょうか?
NPOって、玉石混交なんです。
HomeDoorのように、大阪の誉れのような団体・活動もありますけど、
さる動物愛護団体では、代表の贔屓やセクハラがまかり通って、私もかつてナンパされたあとに、被害者の会までできていることを知り、性格破綻者が曲がりなりにも法人のトップで良いのか?と、驚きました。
活動の助成金をもらったり国からの事業を委託されるのに、従業員やボランティアの声を出ないようにできるなんて、専制主義もいいところじゃないですか。
さらに、元旦那も、結婚した頃にNPO法人を作り、その行動力は良いのですけど、海外旅行で知り合った女のコに、適当に言質を取り、勝手にホームページで会員として紹介するとか、郵送費の
名目で10万円を寄付させ、それを生活費に当てるとか、やっていることはろくでも無かったです。
後者のは確実に詐欺罪です。ただ、相手が障害者でまともに働けない人だったので、どうやら泣き寝入りしたみたいです。
私も、元旦那と離婚して、NPO法人についても関わりたくなくなったあとの事だったので、どうにもなりませんでしたが、本当に胸糞悪いことでした。
ただ、愚痴を書きたかっただけではなく、最近、どうしようもないNPO法人に対して打てる手が全く無いわけじゃないってこと、これを書きたかったんです。
ご存知でしたか?おかしいと感じたら、NPO法人でも労基署にチクることはできる、と。
私は主人に教えてもらうつい先日まで、「NPOは民間企業とは違うから、労基署の定期監査なんてないし、ましてや無通告監査なんてない」
まるで、タダで労働力を消費する、犯罪の温床みたいに思っていたので、第三者の目が通るところであるというのは、目からウロコでした。
元旦那の法人が看過されるのは、結局、彼のやっていることとか被害額がしょぼいからです。
弁護士に依頼すると、成功報酬なくても10万円くらいかかりますし、それじゃあ泣き寝入りにもなりますね。
以前、素人文芸集のNPO法人の活動に、試しに参加してみたんですが、これもまた代表があまり良い人ではなかったようで、
特によく目にするのが
辞めたくても辞めさせてもらえない。
せっかく取り込んだ出資者を逃してなるものか!、と、2ヶ月以上前に申し出でろとか、辞めたいとなると理由を言え、など、NPO法人の代表というのが一国一城のあるじみたいな、自我を膨張させるのでしょうか?
相手の立場になれない人が、けっこういます。
私の場合、一回参加してみて、もういいや、と、お試しを終えて期日までに不参加の表明を出さなかったというだけで、「ルールを守れない人は要らない」という手紙が届きました。
怒りと気持ち悪さがありましたので、「寄付」の名目で、参加費用・二ヶ月分に相当する切手を送り、こちらも無礼な人間の運営する法人に参加する気はありません、と、返事をすると、
詫び状を寄越し
「本来なら受け取るべきではないけど、頂戴しておく。不快な思いをさせて申し訳ない云々」という文言が書かれていました。
感覚としては、「挨拶を返さないと、キレだす高齢者」に、近いと思いました。
もしくは、新型コロナウイルスで、ソーシャルディスタンスが自分と違うとか、マスクをしていない他人を犯罪者として罵る、ような。
言いたいことは分かります。
ただ、「伝え方」の問題ですね。コミュニケーションを取る相手のメッセージを、過分に受け取ってしまう、というのは、ラインの既読スルーでも分かるように、スルーの理由なんて、些末なことが大半なんです。
相手のことが嫌いなんじゃなく、関心が薄いから、スルーになるんです。
それを、攻撃された、侮られたと感じ、その気持ちをもとに「返事」をすれば、当然、人間関係はこじれます。
と、ごく一般的な話ですけど、そういったコミュニケーション能力が低くてもNPO法人というのは設立できてしまう一方で、意志堅固な人が強いイメージ力で人々の核となる素晴らしい団体にもなり得る。かくいう私は、野鳥の会会員ではあります。
この団体の活動を疑ったことはありません。
内閣府もNPO法人への苦情に動かないので、参加者にとっては見極めが難しいと私は思っていたんです。
労働基準監督署の仕事をご存知の方は、チクリというか、通報というか、労働者でなくとも疑念の受け皿になることはご存知かと思うのですが、労基署は、通報を受けて監査を行い、場合によっては是正勧告をします。
NPO法人相手にも監査するなら、今後自分がボランティアに参加する時もそうですし、子どもにも、理不尽な目に合っていると感じたら、誰かに相談するように、もちろん、健全なコミュニケーションを望むのなら、まず直接関わっている相手に話をしてみるべきなのですが、それで「話にならない」とか「相手にされない」とかで、従属する関係だからとて、自分がおかしいのかもと弱気にならず、勇気を出して外に相談してみることをオススメできそうです。
オマケといいますか、元主人の周りに、もうひとりNPO法人の代表がいて、この人も話をするのに難がありました。
一回り年上の女性なのですけど、当時、離婚報告をすると、新婚で別れるなんてと説教され、元旦那にも話をしてくると「橋渡し役」を買って出てくれて・・・と、いうと聞こえは良いのですし、本音を言うと私のほうが非道なようですが、頼んでいないのです。
と、いうのも、根回しって人間関係構築の妙ではありますけど、勢いだけじゃだめなんだす。あと、他人の感情の機微がひろえる人でなければ、決してうまくいきません。
彼女に対して言えば、止めても聞かなさそうだし、面倒なので「あなたの言うとおりです!」と言っておだて上げ、「ありがとうございます〜」と言って、キレイに疎遠になったのは良いのですが、最近知りました。
それから彼女も結婚して一年と経っていない旦那さんと、離婚していたんですね。
それで私、当時彼女に
「お相手の男性も、結婚したてで不安なんだから責めちゃダメ」的なことを言われた気がするのですが、彼女自身は、私に言ったことを自分に当てはめて考えなかったのだろうか?と、悩みました。
私は、自分のことを、正直「相手の立場になって考える」のが、苦手だと思います。
と、いうのは、自分は自分だし、注意しないと、すぐ自分の都合良いよう考えちゃう。
でも、昔は逆で、悪い方へ悪い方へ考えて、すぐ落ち込んでいましたから、今は悪い方へ考えるのは変わっていなくても、人に嫌われることを必ずしも悪と捉えなくなったのは、私にとって良いことと思います。それは、本当は私の言動で傷付いている人がいるかもしれないのを、無視することなのですけど。
前述の彼女のような人と関わると、私は苦手というのが正直な感想ながら、日々の発言に考えすぎるのもよりけりと思うのです。
たぶん、彼女は6年前、なんにも考えずに、その時、かくあるべきと思っていた結婚像を語り、当時の私は、元旦那をまだちょっとは信用していたので、そうなのかもと思いましたが、今、明らかになったところでは、元旦那は私が当時思っていた以上に、救いようのない人間で(子どもを育てられない親はもはや、どうにもならないと思います)、今、彼女はもう、あのとき誰に何をいったかなど、忘れているんだろうな、と。
なぜこういうことを書くかと言いますと、彼女がSNSで法人での活動を書く中で、今の旦那さんや私生活のお話も出てくるのですが、その旦那さんの紹介が
NEW夫 君
なのですね。
私は、「これ、『今度の』奥さん」って旦那さんから紹介されることを思うと、イラッとすると思うので、たとえいい意味であっても新旧を露骨に比較するような言葉はなるべく使わないようにします。
そして、彼女は、今の旦那さんは、「あなたと一緒にいられて幸せだ」と言ってくれるのに対して、前の旦那さんは、「あなたがいろいろしてくれて幸せだ」と、マンパワー重視の発言が目立った、というエピソードを披露していましたが、このことが結婚において大きな問題になるとは、私はあんまり思わないのです。
旦那さんの発言として、前者後者どちらが良いか、と、答えるべくもないですけど、発言はしょせん発言。
人格や、そのパーソナリティから今後起こる(起こす)出来事を正確に推測するなど、たとえ自分の配偶者でも不可能と思うのです。
冒頭の、発達障害という意味だけでなく、グレーゾーンって広いんだな、と感じます。私が嫌だと感じることを、相手は全く嫌だと感じていないかもしれないし、私にとって当たり前のことでも、相手にとっての当たり前ではない。
できれば嫌な思いはしたくないけど、何も言わないのはつまらない。怒ってばかり、不満を抱いたまま別の見方ができないのも、健康に悪い。
意見を二極化しがちのネット社会では、私の意見はネチネチしていて不快に思われる方も多いかもしれないのですが、悪気は無いです。
私としては、自分はこう考えます、と、善い悪いを決めずに胸筋を開く、そうして、相手の本懐を教えてもらう、知る、これが私の望む「究極のコミュニケーション」なので、そうしていきたい、と思うわけです。
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