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もはや怒りも湧かぬ



もはや怒りも湧かぬ






 新年早々枯れ始めている
と思ったら、風邪をひいていました・・・





 発達障害の旦那さん、それに天才の長女ちゃんと、タレントの長男くんという家族構成で、自身は海外渡航歴多・英語力高・モデル歴ありという設定でブログを書かれているママさんが、


 

「長男くんも発達障害じゃないか?旦那さんに似てるんじゃないか?ってアンチとかに言われて、本当ショックだった。たしかに小学生低学年で、大学数学まで学んでいるような長女ちゃんほどじゃないし、ゆっくりめ?とは思うけど、検査してみようか悩んで、あれよあれよと言う間に小学校一年生、最近勉強する習慣ができてきて、繰り上がりの計算も楽勝」


 原文ままじゃ無いですが、大体こんな感じのことを書かれていて



 そのブロガーさんは、日常を創作していますが、どうしてこういう酷い嘘を書けるんだろうと思う。



 なんで嘘とわかるかって、いろいろ理由はありますが分かりやすいのは長男くんがいつの間にか一歳うちの息子の歳を追い越していたことですね。そんなバカな。



 けど、それ以前に、発達障害と疑われること自体が侵害、とか、ショックとか、酷い差別意識を平然と持っている人が多いってことなんですね。私もですけど。



 ただ、当事者だからか、悲観的にならず周りの環境作りに力を入れているからか、偏見は薄まってきていると思います。


 関心の度合いによると思うけど、いまの発達障害に関するニュースをかじり読んだり、知り合いに数人いるとか、迷惑かけられて疎遠になったぐらいの経験程度だと、ただ偏見や色眼鏡が膨らむだけだろう、と思います。




 まず、学校で○人に一人発達障害の疑い、早めの受診を。みたいな見出しのニュースを読んだんですが・・・




 正直ヤバいと思いました。頭が。



 



 およそ1割弱の人間が「発達障害」だと・・・そこまでの数なら、現在の教育機関 評価の基準、検査が、不完全であることを疑ったり見直したりしませんか?



 なぜ、あくまでも「発達障害の診断される人間の問題」にしようとするのか。

 自らの都合良い世界を求める人間のサーガに絶句です。

 

 そうするべき、じゃなくて、可能性の話。

 1割弱、そんなに多いなんて!みんな病院に行って!じゃなくて、




 コペルニクス的展開があり得るよね、世界の中心には定形がいるのか?って話。その可能性を見ないのが、やばいと思う。





 それで、病院に行って発達障害の診断書をもらって、どうするんですか?

 以前、とある放課後等デイサービスのスタッフさんの説明を聞いて目からウロコでしたが


 放課後等デイサービスは、生活の力を付けるサービス。

 療育手帳は、医療的ケアなど、行政から守ってもらうためのサービスを受けるのに有利。




 発達障害の診断書って、お医者さんに書いてもらえば書いてもらえるものだけれど、たとえば仕事や学校でお休みを取るためだとか、なんのために診断してもらうかって目的意識が、ごっそり抜け落ちているんですね。


 ただ発達障害をネタにしたいだけのニュースって。




 まあウクライナ侵攻も、まるで流行りのエンターテイメントコンテンツみたいに、戦争は続いているのに数字が取れないとなると、報道が減ります。


 京都の学生さんちが現地でボランティア活動した、というニュースに、最近ほっこりしましたが、

 ニュースには、たとえ全国区であろうと必ずしも教養や良識、真実すら求めちゃいけないのが、民主主義の悪いところなんでしょう。

 


 


 発達障害は、世間的に見れば「治らない病気」ですし、医療機関の中にも、不安を煽って効果のあるのかどうか分からない治療で稼ぐようなアコギな商売をしているところもあります。


 また、これは繰り返し書いていることですが、そもそも発達障害の検査って、どういうものか広く周知されているものですか?


 簡単に言うと消去法です。

「この人は社会性がない、MRIとか聴覚の精密検査をしたけど異常なし、じゃあ発達障害だろう」






 これが医者の診断です。


 えっ?て思った方、いませんか?

私は息子の検査を経て、思いました。

 え、それって結局よくわかんないってこと?と。


 噂では、投薬治療ができると聞いたことがあるけど、定型にして社会に馴染めるような薬なんて無いよ。あったら私が呑むわ。で、息子に勧めるわ。



 


 それでさらに環境の話をすると、そもそも比較的最近認知が広まった分野で、医者の中にも発達障害の専門家ってほとんどいないんです。


 きっと研修とか知識のアップデートはしていると思うけど、だから、私にとって診断書を書いたお医者さんは、私と息子を助けてくれる人ではなくて、ただの診断書を書ける資格がある人、だったんですね。



 お医者さんを軽んじるわけではありません。療育を通じて知り合う医療関係者は、専門的な知識があります。

 また、施設で子どもをたくさん見てきているからか、知識×経験で、まず「この子は他人と違う」なんて絶対に言いません。

 息子も安心するみたいですし、私も安心します。


 そういう人たちに共通しているのが、発達障害ということばはおろか、ちゃんやくん、先生ということばすら、ほとんど使わないところです。



 マニュアルがあるのかはわかりませんが、上下関係を作らない、子どもを萎縮させず成長を促す、という意図があるのだと思います。



 

 

 そこで思うのですが、定型・発達障害に限らず、上記のような方針の施設が教育機関で、なにか悪いんでしょうか。


 私は、昔の中国の教育方ー素読に感銘を受けていて、これは詰め込み教育に近い方法で、とりあえず息子に「強要」していますが、自分のやることが正しいという自信は持っていません。


 通所型施設や学校とは違ってもいい、間違っていても、なにか吸収してくれれば良いと、自分に甘くやっていますが、




 

 学校とか世間とか、大きな「場」が、それでも良いのか、と。いや、間違っていてもいいと思うんですよ。問題は、場が大きくなればなるほど、間違いを認めないよね。

 だから、崩壊するまで変わんないんだろう、と、個人が推測しやすい。 


 やたら、あだ名禁止とか中傷目的かもとか妙な新設ルールを聞くし、意味はわかりますけど、「大人の狙い通りにいくわけない」って思います。


 まず、あだ名禁止にすれば、親睦を深めるための機会も相当失われるだろうし、そもそも教師は24時間子どもを監視しているわけではないから、攻撃性の高い子どもは大人の目のないところで狡猾にやると思う。


 と、すると、結局大人が教育としてやっていることって、大人による大人のための子供の教育、なにか不祥事が起きたとき、こんなに頑張っているのにダメでしたって言い訳にするような気がします。


 

 年齢を重ねると気付くことがあります。これが問題だっていう提起のニュース、日本人の基礎論文引用数右肩下がりとか、地球温暖化とか、ほとんどの問題で、十数年前にも予兆はあったんです。

 

 

 問題は分かっていたはずなのに有効な対策を取らず、今「我々はどうしたら良いのか、考えましょう」

 遅くない?



 もうひとつ別の側面があって、数ある問題の中で「発達障害者」が増えることに、なんの問題があるんだろう?


 定型が権力や影響力を保っているはずの世の中でも、局所的な問題はともかく、人間社会においてグローバルな問題は解決できていない。

 先見性がありません。


 


 発達障害者は受診するべきだ、と、問題解決能力がそれほど高くない定型が訴えている世の中って、

 今批難されている白人至上主義と構造があまり変わらないと思う。




 発達障害者は差別しやすいんだろう。

 

 たとえば、雇用形態が厳しく、定型ですら正社員登されていない人がいるのだから、発達障害者が普通枠で正社員になるのは、ムカつく、とか 。

 


 ユダヤ人は劣等民族なのに、ドイツから富を奪っているという、かつての禁断の考え方と一緒。


 発達障害者は全員あぶりだして一線引きたいというのが、いきすぎた定型の考え方と思う。

 けどその考え方って、発達障害者より発達障害者らしい執念深さを感じます。


 


 ヒトラーに全てかぶせて、過去の話だから、日本だから、まるで関係ないと考えるのは、愚かというほかないでしょう。

 


 たまごを割らなきゃオムレツはできない、なんてことにはならないと良いけど


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