寄生虫

金持ちに寄生しようとするとこうなる…『パラサイト-半地下の家族-』<映画考察>

2019年アカデミー「作品賞」「脚本賞」「監督賞」「国際映画賞」の4冠で最多受賞の快挙を成し遂げた「パラサイト-半地下の家族-」。史上初の外国語作品ということで大きな脚光を浴びています。ポン・ジュノ監督は、なんと「脚本賞」も受賞しており、脚本の構想に4年もの年月を費やしたそう。その濃密で風刺的なシナリオが1時間半に凝縮されています。今回はそんな「パラサイト」について、紹介していきたいと思います。

格差社会を赤裸々に描いた…だけじゃない

TVなどの紹介では、格差社会をテーマとした映画であると言われることが多い。確かに社会問題への命題としての評価は重要視されるべき要素であり、監督自身も「共生することの難しさ」を描いたと言っている。しかし、それ以上に作品としての完成度・濃度がすこぶる高い。想像を超えるストーリー展開と綿密に練られた物語構造、それぞれの個性に重要な意味をもつキャラクターと細かな描写、コメディタッチな部分と不自然な状況を共存させることでより違和感と恐怖を倍増させる演出、これらの点で非常に優れた映画であることは間違いない。そりゃアカデミー獲るわ。

<あらすじ>富裕層の豪邸に寄生した半地下に住む4人家族の波乱劇

4人家族のキム一家は、半地下で人の家のWi-Fiを盗んで使っているほどの貧しい生活をしていた。ある日、ギウのもとに大学生の親友があるおいしい話を持ち掛けてくる。その内容とは、ミニョクが1年間海外留学するため、家庭教師アルバイトの代わりを務めてほしいという頼みであった。これが生徒はIT社長の娘だという。高額な報酬が期待できるが、ギウは大学生ではない。大学生のふりをして身分がばれてしまったら大変だ。しかし、ミニョクは言う。「大丈夫。そこの奥様は”シンプル”なんだ。」ここから、ギウの寄生計画が始まる…。


 ※以下、ネタバレ含む。



<登場人物> ※ここからネタバレ注意



キム一家:ギテク(父)、チョンスク(母)、ギウ(兄)、ギジョン(妹)

パク一家:ドンイク(父)、ヨンギョ(母)、ダヘ(姉)、ダソン(弟)

地下夫婦:グンセ(夫)、ムングァン(妻)


<内容・結末>

簡単に物語の流れを説明すると、

ギウが金持ち家族に寄生完了 → 4人家族全員寄生完了 → そこに元から居た家政婦も寄生組で、夫婦がパク家の地下に住んでいた → キム一家と地下夫婦がもめるが一時停戦 → 翌日開かれたパーティーで家政婦の亭主が地上に現れて惨劇に → ギジョンを殺害 → ギテクがドンイクを殺害 → 殺人者となったギテクはその豪邸の地下に隠れる → ギウが空き家になった豪邸を買い取って再会を果たす(?)  (終)

と、こんな感じになるのだが、はっきり言って鑑賞していない人からしたら何が何だか分からないだろうし、面白くもないだろう。詳しく見ていく。

寄生開始)親友のミニョクの代わりにギウが家庭教師として裕福な家族(パク一家)に寄生したことを皮切りに、”シンプル”なパク家の奥様に付け込み、もともといたパク家に従事していた者の悪事やトラブルを家族総出で捏造・演出し、代わりとして自分の家族を紹介していく。妹のギジョンを発達障害をもつダソンの精神療法士として、父のギテクを専属運転手として、母のチョンスクを家政婦として抜擢し、4人家族全員が裕福なパク一家に寄生することに成功する。

キム一家の宴)ある日の晩、パク一家は弟ダソンの誕生日を祝してキャンプに行き、一晩家を空ける。外は大雨だが、ダソンは雨が好きだから雨天決行するという。4人は家主のいない豪邸のリビングで寄生の成功を祝して飲み明かす。ギウがダヘへの恋心を告白したのがこの時であった。ダヘと結婚したら本当にこの家の家族になって、結婚式は家族役のエキストラを雇って…そんな将来への明るい話が尽きなかった。もしここにキャンプを中止したパク一家が帰ってきたらどうしよう…。そんな不安が脳裏によぎる中、インターホンが鳴り響く。

元家政婦の訪問)恐る恐るインターホンの画面をのぞくと、そこにいたのは元家政婦のムングァンだった。何やら薄ら笑いを浮かべ、家に忘れ物をしたから開けてくれという。レインコートを着たムングァンは、ずぶ濡れのまま地下倉庫へ一直線に向かう。地下倉庫に着くと、大きな棚を動かし始める。その棚の後ろに隠されていたのは、そこからまたさらに地下へつながる重厚な石扉。ムングァンが死に物狂いで取り戻しに来た”もの”とは、ムングァンの亭主であるグンセであった。なんと、家政婦は地下で借金取りに追われる亭主を匿っていたのだ。半地下に住んでいたキム一家が寄生した先は、すでに寄生済みであったということになる。以前、家政婦だった頃のムングァンを「気が遣えて、私よりこの家のことを知ってる。ただ、人の” 二倍 ”食べるところが難点ね。」とヨンギョが評価していることのつじつまが合う。その事実を盗み聞きして知ってしまったキム一家だが、家族がグルだったことが家政婦夫婦にばれてしまう。弱みを握られてしまったキム一家だが、隙を見て謀反を起こす。寄生虫同士でわちゃわちゃしているところに、ついに恐れていた事態が。

寄生がバレる)鳴り響く電話をチョンスクがとると、パク一家から。想定外の大雨でキャンプは中止で帰ってくるという。今帰り道であと8分で着くから、ジャージャー麺を作って待っていてねとのこと。「はい、かしこまりました。(チン)」…やばいやばいと全員大慌て。リビングの惨状を片付け、ジャージャー麺を作り、地下夫婦を地下に押し戻し(ムングァンは地下に蹴倒されたため死亡)、なんとか全員は身を隠すことに成功。実は、グンセは地下で一階の電灯を点けるボタンを人が通るたびに毎回押し、センサーの役割をしていることが判明。グンセはパク・ドンイクを慕っているらしかった。パク一家が帰って来たこの時も、グンセはいつものようにドンイクが通った瞬間にボタンを押した。彼は夜な夜なモールス信号を地上に送るのだそうだ。何のためであろうか。状況を戻すと、ギウ、ギジョン、ギテクの3人はパク一家の帰宅にぎりぎり間に合わず、リビングのテーブルの下で身を潜める。帰ってきたパク一家。ダソンは帰ってきてもなお飽き足りず、庭のテントでキャンプごっこをし始める(実はダソンはこの時、グンセの送るモールス信号 ”たすけて” を読み取っていた)。それを見守りながら寝ようと、3人が隠れているテーブルのすぐ近くのソファにパク夫婦が来てしまう。パク夫婦が寝静まり、3人は脱出に成功する。

半地下が洪水被害)家政婦のチョンスク以外の3人は、大雨が降る中、ひとまず外に出てこれからどうするかを焦りながら思案する。半地下の家に帰ると、そこは洪水の被害で住民らは混乱状態だった。自分たちの家を確かめると、キム家は窓が開いていて、家の中まで浸水している状態だった。トイレから噴き出すギウはミニョクからもらった石を、ギテクはチョンスクが昔受賞したトロフィーを持って逃げる。避難所となった近くの体育館で人が箱詰めになったような状態で一夜を過ごす。翌朝、パク一家からパーティーの招待が。こんな状態だが、行かない訳にはいかない。

パーティーへの招待)パーティーは息子のダソンの誕生日パーティーとして開かれた。急な招待であったのにも関わらず、パク家の友人らは悠然とパーティーに足を運んだ。賑やかなパーティーが行われ、昨夜の洪水被害が嘘のようであった。ギテクはインディアン好きのダソンのためにインディアン役を任され、チョンスクはパーティーの料理を作り、ギジョンはケーキを持っていく役を任され、ギウは恋人であるダヘと二階の部屋でくつろいでいた。昨日大雨で自分たちがあれほど苦しんでいたのに、庭では優雅なパーティーが行われ、人々が笑いあっている。「俺はここに居て自然だろうか。」何かを思いついたギウは、ダヘをそっちのけで地下夫婦のいる地下へ向かう。ミニョクから貰った大きな石を持って。

悲劇)ギウは地下へ行くと、待ち伏せしていたグンセに襲撃され、持って行った石で頭を二回殴られ、仕留められる。グンセはサーベルを持って庭へ足を運ぶ。ちょうどギジョンがケーキを持っていく最中だった。グンセはギジョンのもとへまっすぐ向かい、ギジョンの胸に刃を突き刺した。会場は大混乱。ダヘは地下倉庫に倒れているギウを見つけ、背負って集団とともに逃げる。物陰でサプライズの準備をしていたギテクは急いでギジョンのもとへ。ドンイクはギテクに車のキーを差し出すように言い、近くに来た瞬間、ギテクからする下水の匂いに、つい顔をしかめる。すると、ギテクの中の何かがぷつんと切れ、今度はギテクがドンイクを包丁で刺した。

その後)ドンイクを刺してしまったギテクは、逃げ場所を失い、姿を消す。ギウは生きていたが、頭を打たれた後遺症で何を見てもへらへら笑うようになってしまった。警官に調査を受けている時も、ギジョンの死を偲ぶ時も、笑っていた。時が経ち、ギウは、今は空き家となってしまったパク家の豪邸を見える丘に行ってみた。すると、家の中の電気が不規則に点滅しているではないか。彼はこれをモールス信号だと気づき、解読する。手紙の内容は、ギテクが地上からギウへ送ったメッセージだった。ギテクはあの地下にいたのだ。手紙をモールス信号にして、毎晩ボタンを押し続けていた。いわく付き物件だったがじきに人に住まれるようになり、よなよな抜け出して食料を拝借する生活をしているという。そして、ギウを信じ、毎晩毎晩モールス信号を送り続けた。ギウはある壮大な計画を立てる。お金を稼ぐ。あの家を買えるくらいお金を稼いで、母と一緒に住む。そして、母と、父と一緒に暮らすんだ。  (終)


<考察・深堀>

あらすじを書いていると分かりますが、一つの時間に一つの出来事じゃないんです。本当に整理するのが難しかった。ポンジュノ監督はこの映画に対して、「共生することの難しさ、そこから生じる笑いと恐怖、悲しみの悲喜劇です」と言っていますが、まさにこの映画、いくつものストーリーを一つのタイムラインで見事に共存させていた。いくつもの感情や状況を、喜劇として、時には悲劇としての側面を現します。私たちに「共生」を魅せてくれたポンジュノ監督にスタンディングオベーションでございます。

階層構造(階段と水害の使われ方)

実は、キム一家、パク一家はすべて美術セットである。映画を見た方ならわかるだろうが、パク家なんか製作費の予想もできないくらいのクオリティ・規模である。既存の建物ではどうしても実現できないものがあったのだろう。その一つが、階層構造である。この映画では階級が家の階層構造に比喩されている。大きく分けて、上流階級、半地下、地下の3つ、さらに上流階級のうち2階と1階という4つに大別される。パク家ではこの4つが同時に存在している様子が描かれる。ムングァン夫婦は地下、キム一家は地下倉庫、パク家の2階は上流のテリトリー、一階はエントランス的意味を持つ。この階層構造を可視化したことで各々の立場を共存を実現した。

また、階層が如実に表れるシーンとして、キム一家が水害に見舞われた日を思い出してほしい。キム一家や周辺の家族は大雨による下水管の破裂で大被害を受けた。しかし、どうだろう。パク一家では、雨を興じてキャンプを楽しんでいるではないか。雨が止んだその日にパーティーを計画し、すぐに実行に移してしまう始末である。ギウは、そんな悠然な顔をしてパーティーを楽しむ人々を上の部屋から眺め、こんな人々と自分たちは決して相容れないだろうという諦観の念から「俺はここに居て自然だろうか。」と、声を漏らしたのである。

なぜギジョンだけが○○されたのか?

ギジョンは事件当日のパーティーでケーキを持って登場するという重要な役をヨンギョからもらっていた。ここから、ダソンが唯一心を開いた者として、ギジョンはヨンギョからの絶大な信頼を得ていることが分かる。ところが、ギジョンはキム一家の中で唯一の帰らぬ人となってしまったのはなぜだろうか。

ギジョンは他の3人との相違点がある。それは、他の3人と違い、誰かの代役として仕事を得たわけではないということ。ギウは家庭教師のミニョクの代わり、ギテクは運転手の代わり、チョンスクは家政婦のムングァンの代わり、それぞれがもともといる者の代わりとして仕事を得ている。しかし、ギジョンはダソンの描いた絵から精神的な歪みを見つけ、カウンセラー・絵画療法士として自ら仕事を勝ち取っている。ギジョンはギウの学歴偽造のときにそのずば抜けた美術的センスを証明しており、大学に不合格だったことが疑問なほどの実力をもっている。また、彼女は冷静で、状況に応じて適切な行動をとっている。この家族の中のブレーンは間違いなく彼女である。彼女は他の三人とは違い、半地下にいるべき人間ではないのではと思われる。それを裏付けるシーン。パク一家が不在の自由な時間を過ごしていた日、彼女は二階の風呂で優雅に湯船につかっている。ギウはその姿を見て、似合うと口にしている。二階の風呂にはドンイクが同じように湯船に浸かるシーンがあり、二人は重ねて表現されている。つまり、ギジョンはキム家族の中で最も上流階級に近かった人物なのである。

しかし、これらの理由を踏まえても、だからといって殺される理由になるのか?これが素直な反応である。ポンジュノ監督はインタビューでこのように話している。

” 他の3人が誰かの代役として金持ち一家の下での仕事を得たのに対し、ギジョンだけは唯一自分の力であの仕事を得た。そして彼女だけが地下夫婦に食べ物を分けようとした。だから殺された。 ”

そりゃないぜ監督。なんとこの皮肉っぷり。

なぜギテクは○○を殺したのか?

ピザの箱折り内職でミス箱の4分の1はすべてギテクのものだったり、雨の日一人だけ逃げ遅れてピンチを招いたり、家族の中でギテクは足を引っ張っている印象を受ける。

ギテクは終始、自らから発せられる”半地下の匂い”を気にしていた。ドンイクとヨンギョがギテクの匂いに眉間にしわを寄せる度に、自らの匂いを気にした。そして、事件当日も、ドンイクに匂いで顔をしかめられたため、ギテクはドンイクを刺した。

彼は自らの低い地位と、消えない半地下の匂いに薄々コンプレックスを抱いていたのかもしれない。自分たちは金持ちに寄生するただの貧乏人。上級のパク一家にその事実を叩きつけられることが心底嫌だったのだ。自分の匂いに嫌気がさした。だから、刺した。ポンジュノ監督はまたもこのようなことを言うのだろうか。

刺されたドンイクはなぜ自分が殺されたのかを理解することはできないだろう。キム一家から匂うのは、彼らが決して注意を払うことのない下流の匂いだったからだ。気づけなかったわけだ。それが死んだわけである。

モチーフである”石”の意味

ポンジュノ監督は、しばしば登場するモチーフである石について、”ただの石”と言っている。しかし、これにはやはり意味がありそうだ。

石は、ミニョクから親戚のコレクターからの贈り物だとかなんとかで、財運を引き寄せる石として贈られた。そして一連の出来事が起こった。これが不幸のシンボルとして作用していると考えるのがふつうである。そして、洪水の日ギウがたったひとつ手に取ったのがこの石。避難所で寝ている際もずっと肌身離さず抱いていた。「なぜかこれがくっついて離れないんだ。」と父に話しているように、翌日のパーティーでも地下に行くときになぜか石を持って行った。そして、その石でグンセに殴られた。やはり、石は幸運の象徴だと考えられる。しかし、石を手にしたギウは幸運を呼んだだけでなく不運をも招くことになり、皮肉にもギウはその石で重傷を負わされる。強いて言うなら、石は幸福と不幸の象徴といえる。彼はパーティーの事件の後、石を川へ戻した。元々あった場所が川であったかはさておき、あの禁断の石は誰の手にも渡りうるということを象徴している

本当に賢いのはミニョク

ミニョクは物語の冒頭を最後に姿を見せない。だが、筆者はミニョクが重要な人物であると考える。ギウに石が渡った元凶がミニョクであるにも関わらず、彼は何の被害も被っていないことに気づいただろうか。彼は直感的にパク家族と関わってはならないことを知っていたのかもしれない。とにかく、彼は賢かった。ギウはギウで、賢くない訳でもない。大学受験に何度も失敗しているものの、それなりの知識は持ち合わせているし、チャンスを切り開いてきたのもギウだった。なにがギウとミニョクの運命を分けたのだろうか。

実は、ギウはミニョクに憧れていたのではないかと考えられる場面が物語中に多々出てくる。ギウは大学生ではないが、ミニョクは大学生で華やかな生活を送っているだろう。海外留学を経て、ダヘと結婚する予定があり、上流階級にふさわしいほど出来た人物だった。ギウはミニョクの恋人であるダヘをそそのかしてはならないという暗黙のルールのもとダヘを生徒として引き継いだのだが、早速ギウはダヘをものにしてしまう。この行為はミニョクへの裏切りのようにも思えるが、彼の行動があまりにも自然で、悪意や蔑視は感じられない。一種のリスペクトのようにも思えるほどである。ミニョクの恋した相手を自分のものにすることで、自分の価値が高いことを感じられたのかもしれない。さらに、雨の日にパク家から逃げ出した際、ギウはこんな言葉を口にしている。「ミニョクだったらどうするかな。」この言葉は、ギウがミニョクを尊敬していなければ出てこないはずである。これらから、ギウはミニョクを尊敬し、憧れていたことが分かる。

なにがギウとミニョクの運命を分けたのか。それは”階級”という答えに収斂されるのだろう。ミニョクにはダヘと結婚して幸せになる道があったが、それが叶わなかったとしてもいくらでも選択肢に困ることはない。しかし、生活に困窮していたギウは突如現れたチャンスにすがるしかなかった。これはいつどこでだれの判断が間違っていたという問題ではなく、置かれた環境で結末が決まっていたのかもしれない。そしてそれは半地下の”匂い”として、一生付きまとうことになる。

ダソンは知っていたのか

 発達障害を抱えているダソンは、唯一地下にいるグンセのことを知っていたのではないか。冒頭に出てきたダソンの自画像とされる絵には、間違いなくグンセの顔が描かれている。また、キム一家の匂いが全員一緒であることに気づいたのもダソンであった。しかし、ダソンは一切これに触れなかった。庭のテントでキャンプしているときも、モールス信号を解読して”たすけて”のSOSをキャッチしていたわけだが、それを両親に伝えるでもなく、地下へ訪れるでもなく、何一つ行動を起こさなかった。なぜだろうか。

ダソンは知っていたと上述したが、どこまで知っていたのかは不詳である。自らの証言通り、グンセを幽霊だと思っていて、幽霊によるSOSであると認識していたのかもしれない。これが正しいとすると、何も行動を起こさなかったことが不思議に思える。特異な好奇心をもつダソンは幽霊からのメッセージが受け取れたことに歓喜し、さらにコミュニケーションをとろうと試みるはずである。それをしなかったということは…。

また、グンセはなぜ”たすけて”とモールス信号を送り続けていたのだろうという疑問も残る。グンセは地上では戸籍もなく存在してはならない人物であるにもかかわらず、地上にメッセージを送った。もちろん、妻のムングァンが命の危機であることがその動機となったのかもしれないが、それでも地上に助けを求めることは彼にとって最善であるとも考えにくい。実際、信号を受け取ったダソンは何もしてくれなかった。しかし、彼は額が裂けるほどボタンを頭で押し続けた。彼はいったい何を知ってほしかったのだろうか。

この映画に希望はあるのか

この映画の批評を参照していると、「この映画には希望はない」という指摘を見つけた。計画とはどこかで崩れるものだ。そうギテクは悟っていることから、これから家を買ってギテクと再開するという計画を立てた時点でハッピーエンドは期待できないという。しかし、本当にそうだろうか。最後の計画の描写は、希望の計画として表現されたものなのではないか。計画の無意味を悟るギテクは、ギウを信じて何年も地下からモールス信号を送り続けた。毎晩ライトを点滅されていれば、いつかギウが気付いてくれるだろう。こんな無謀とも計画は生半可な覚悟ではやり遂げられないだろう。こうした計画の実行が一つ奇跡を生んでいるのである。筆者は、ギウは必ず最後の計画を成し遂げてくれると信じている。

また、パク一家の姉弟の存在は格差社会をテーマとしたときに非常に重要なパーツになる。まず、ダソンはアメリカがおしゃれで高貴だとする家族に生まれながら、その影響を受けずインディアンにはまる。また、幽霊とのコンタクトにも成功しており、下の階級と一番近かった人間であると考えられる。しかし、ダソンは介入的な行動をとったわけではない。上流と下流における透明なパイプの役割を果たしていた。そして、ダヘは半地下出身であるダソンと恋に落ちる。ここだけでも十分にダヘの階級にこだわらない真実の愛といえそうだが、本質はそこではない。ダヘは、パーティーが大波乱の状況で一緒に家を逃げ去ったのだが、彼女は地下倉庫で倒れていたはずのギウを背負っているのだ。ダヘの部屋は二階で、地下倉庫になど行く機会は少ないだろう。にもかかわらず、家中をくまなく探し、地下倉庫まで足を運んでいるということだ。ギウが地下倉庫にいるかもしれないという予想が浮かんだのは、ギウが地下倉庫にふさわしい人間であると認めているようなものなのだが、それをも認める包容力が感じられた。

実はこれがポン・ジュノ監督の提示したかったテーマの答えになるのではないか。認識しながら、あえて指摘せず、共存する。彼は幽霊の存在に気づいていながら追い出そうとしたりしなかった。ダヘは愛する恋人のために地下倉庫まで探しに行った。あの両親に育てられたと思えないほどである。グンセがもしダヘやダソンを殺していたとしたら、これまた皮肉が過ぎませんかとなるのだが、そうではなかった。彼らは我々が”共生”するための行動を提示してくれていたのかもしれない。そして、彼らがこの映画に残された唯一の希望なのである。

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