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~太陽の通る道は神様の想いが通る道~vol.20 令和4年の年越大祓レイライン

旧暦の神事は太陽の位置だけでなく、月の満ち欠けも大きな意味を持っています。
旧暦でいう朔日(ついたち)とは月の初めの日のことですが、月の満ち欠けでいうと新月の日にあたります。また、旧暦での十五日の月とは月の満ち欠けでいうと満月にあたります。
また、春分や夏至などといった「二十四節気」という1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けた太陽の位置に合わせた基準を設け、旧暦の月日は調整されています。
これは旧暦(太陽太陰暦)が太陽の周期(約365.25日)と月の周期(約29.5日)
を調整して決めた暦であることを意味しています。

大祓という神事は晦日に執り行われます。
月の晦日、つまり朔日の前の日ですが、神事の時期として新月の前の日という意味も含まれていると思います。
また大晦日は元旦の前の日です。旧暦の元旦は一年の季節の始まりです。つまり、旧暦の大晦日は、一年の太陽の周期の最終日であり、月の周期の最終日でもあるのです。厳密には旧暦(太陽太陰暦)でも太陽と月の周期のズレがありますが、基本的には太陽と月が新たになる前の日なのです。

年越の大祓は大晦日に執り行われます。太陽と月が新たになる日の前に行うことに意味がある神事ということです。
新たな年を迎える準備として、大祓の神事によって国中の罪穢れを祓い清めます。

『古事記』仲哀天皇段にその崩御ののち、国の大祓をした記事があり、『日本書紀』天武天皇五年(六七六)八月条に、四方に大解除(おおはらえ)をさせ、国ごとに国造は祓柱(はらえつもの)馬一匹・布一常、郡司は刀一口・鹿皮一張などを出させられた記事があり、同十年七月・朱鳥元年(六八六)七月にも諸国大解除の記事があるが、これらがもととなり『大宝令』以後その制度が定例化したものとみられる。神祇令に「凡そ六月・十二月の晦日(つごもり)の大祓には、中臣は御祓麻(みはらえのぬさ)をたてまつれ、東西文部(やまとかわちのふびとべ)は祓刀をたてまつり、祓詞を読め、訖りなば、百官男女を祓所に聚め集へて、中臣は祓詞を宣り、卜部は解除をせよ」

https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=1842

さてそんな年越の大祓ですが、この神事に最も関係の深い場所はどこでしょうか。
今回は大祓の祝詞や神事に所縁の深い氏(うじ)である天児屋根命の子孫にあたる「中臣氏」、天太玉命の子孫にあたる「忌部氏」に注目し
、さらに饒速日命の子孫にあたる「物部氏」や天火明命の子孫にあたる「尾張氏」、綿津見命の子孫にあたる「安曇氏」も含めて、それぞれの氏(うじ)に所縁のある神社を中心に令和3年の旧暦大晦日(2022/1/31)と令和4年の旧暦大晦日(2023/1/21)のレイラインを確認してみました。

令和3年の旧暦大晦日のレイライン

八丈島を通ったり、阿蘇神社を通ったりとレイライン上に火山を示す地点が現れました。
三輪山のレイラインは忌部氏の所縁のある神社や瀧原宮を通ります。
太祝詞神社のレイラインは宗像大社中津宮を通ります。
石上神宮のレイラインでは伊吹山、鳴門や速吸瀬戸など大祓の祝詞に関連がある地点が現れました。
忌部神社(出雲)のレイラインはたくさんの地点を通ります。

令和4年の旧暦大晦日のレイライン

春日大社のレイラインは八丈島を通り、鳴門を通ります。
忌部山のレイラインは忌部氏の所縁のある神社や剣山や阿蘇の幣立神宮を通ります。
物部神社のレイラインは宗像大社沖津宮(沖ノ島)を通ります。
眞清田神社のレイラインは伊豆の新島を通り、多くの地点を通ります。


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