暴力表現は悪か/ゴア表現作家を辞めるかと言う悩み
こんにちは
今日は自分の表現を疑い色々書いてみます。
私はホラーや血の流れる表現が好きで自分でそういった表現のある作品を作るし、みるのも好きです。
ですが戦争や病気、死が身近な「現実世界」に住む者として最近悩みが出始めました。
ゾーニング(線引き)、棲み分け、センシティブ設定などの当たり前のことは理解している上で、その向こう側に踏み込んだ心の方で思っている事を書きます。
【健全な、正しいアートとは、なんなんだろう
昔から私は血が流れて身体の部位が吹き飛ぶような作品ばかり作ってたしそれを好きで見ている層が沢山いるので麻痺してたけど、最近戦争や病気などで死がかなり身近になって、それらの表現を「グロい」以前に不快で冒涜的に思う人がいることに気づいた。今までにない観点だったので、私の作品がただグロテスクなだけではなく、誰かの尊厳や心を破壊するような可能性があることに注目し始めた。
それからしばらくは前みたいな絵を世に出していいのかわからず一人思い悩んで比較的にマイルドな表現で、死を表すようにし始めた。私が死をテーマに描く理由は、死ぬ瞬間の生命活動と本能に強い生を感じると言う理由から、生きた心地を得るための祈りのような気持ちで描いてた。
しかしはたから見れば不愉快で業の深いモノであると知って、今までの絵描き歴の中で一番戸惑ってる。
ゴア表現を冒涜的で不愉快、不健全と思うことが健全な感情なのもわかってるし自分が作ってるのモノが異常なのも納得した。
私がやってたのは芸術なんかじゃなくて暴力だったのかな】
上記は、私の思った事をまとめた文章です。
表現したいと自分が思ったならそれでいいと思う意見もあるし、死者やリアルな死への冒涜で不愉快という意見もあると思います。
そして両方に納得します。
なぜnoteにこの内容を書こうと思ったのか、それは私以外にも同じような事を思う人がいると思ったのと
他の方の意見をとにかくどんな内容でも受け取りたいと思ったからです。私のようなグロテスクな作風に対するご意見、批判、このnoteの悩みに関する様々の意見をまず私がどう思っているか以前にできるだけ多くの人から多くの考え方を受け取って噛み締めたいと思ったからです。
Twitterでも呟き、幾つかの意見をいただきました。
そのどれもに意味があると思うし、私の周りはなんらかの作品を制作する人がほとんどなので近い悩みを持つ人もいました。
納得できたわけではありませんが、「芸術に正解はない」「人生をかけて悩む命題である」「真に芸術に踏み込むには他者の事を考えてはいけない」などの作り手側の意見に少しハッとさせられました。
「この世から暴力表現をなくして世界が平和になるのか」
永遠のテーマです...
人によっては恐ろしく不愉快な表現も、私は好きで心底美しいと思ってやっています。なんらかのリアルの事柄に対して揶揄したり、実在する事件や事故などを軽く扱うつもりは一切ありません。
しかしこれが誰かにとって大変センシティブなテーマであり不愉快で、糾弾される事もある事柄なのには目を背けられません。
「ここまで悩むなら作らなければいいのでは?」
こういった意見があるでしょう、それも一個のまっすぐな意見だと思います。
私が描く理由は心が苦しい時の叫びを絵にして表現する事で心を守っているので簡単にやめられないのも一個の意見です。
この悩みにきっと正解はありませんが、一個一個を貴重な意見、考え方であると受け止め、全てスクリーンショットして保存させて頂いているので、今はもっと沢山の意見が欲しいです。
ご意見、肯定、批判、別の考えなど、お返事全てにできるわけではありませんが目を通して大切に保管させていただきますのでここのコメント欄、プロフから飛べるTwitter、LINEなどであなたの思う考えをください。
うまく書けませんでしたが、読んでいただきありがとうございます。
これからも悩んで色々試行錯誤生きていきます
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