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【懺悔】一寸の虫にも五分の魂がある。理不尽な殺生を救済だと思っていた

こんにちは

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この時期は花壇やコンクリートに赤い小さな虫がいると思うのですが、カベアナタカラダニと言い、花粉などを食べる比較的害のない昆虫です。


この昆虫を見て思い出すことがあります。

私は幼少期、母親から聞いた「仏教における畜生道」と言う考え方(罪人は下等生物に生まれ変わる)をぼんやりと聞き、またその時真意は不明ですが
【昆虫は5匹集まって同じ場所で同じ時間に死ぬと人間に生まれ変わることができる】

と言う話を間に受け、

まだまだ幼かった私は、赤ダニ(先ほど書いたカベアナタカラダニ)を花壇で見つけては集め踏み殺し、蟻の群がるのを見つける度に一気に踏み殺し、彼らを「可哀想な存在、人間に生まれ変わらせてあげなきゃ!」と【救済】として殺し続けていました。

私はそれに躊躇いも自己嫌悪もなく、【可哀想な下等生物を救済してあげている】と本気で思っていました。


その頃からガラッと変わった私の死生観と昆虫に対する考えは以下の記事にて掲載しています。


ちょうど小学生の頃までこの行いが続きました。天罰が降ったのでしょう、私は自殺に追い込まれるまで、学校で虐められ続けました。他のクラスからも延々と嫌がらせは絶えず、また私がその行い(殺生)を行っている現場を見た生徒からは「虫殺し」と呼ばれ広められました。

完全に孤立した中で、私は図鑑に興味を持ち始めます。昆虫以外の生き物は勿論、昆虫という何を考えているのか不明で不可思議な存在にも、私と同じ重みの命があり、彼らも必死に日々の営みを行い命を全うするため様々な危険に侵されながらも懸命に生きている。

それを感じた時、自分の今まで行っていた【救済】は、残酷で非道な【殺生】であると強く感じ、彼らに敬意を感じるとともに、昆虫が大好きになり、以降悪戯に殺す事はしないように心がけ、今だに蚊が家にいても殺さずそっとビニールで捕まえ窓から出すようにしています。

ゴキブリ類を殺すのも私には胸が痛いので、ごめんなさい、ごめんなさいと言いながら殺虫剤を使っています。

私は今昆虫が大好きで、自ら月に一度は昆虫館へ足を運び、なぜか蝶がたくさん集まって来てくれたりと嬉しい体験もしていますが、いまだに彼らには畏怖と敬意を感じており、罪の意識を強く持って暮らしています。

好きですが、生きた個体をわざわざ殺して標本を作る事も今後の人生で行いたくないです。

上記の過ちがあるので、今まで死ぬほど不幸だった事も全て因果応報だと思っており、受け入れています。


死後の世界があるとすれば、わざわざ悪戯に数え切れないほどの命を奪った罰を、受ける覚悟もしています。


昆虫を愛する心と共に、この時期になるとあの時殺めた種が沢山観測できるので余計に、終わらない懺悔の気持ちが繰り返し脳裏を焼き続けます。

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