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御中、御札、御用、御苑、御輿?

 記事は約4分強で読めます。全2335文字。

 大学進学が近くなってきて、書類を作成するときに宛先の「行」を「御中」に書き換えることが増えてきた。そういえば卒業式のために作った答辞には「厚く御礼申し上げます」というフレーズが出てきて、これを「おれい」と読むか「おんれい」と読むかで誰かと会話を交わした気もする。私たちの生活になじんでいる敬意の接頭辞「御」について、読みのあれこれを調べてみる。

漢字の成り立ち

 彳 + 午 + 止 + 卩。

 祭具である杵を表す「」、それを持って人がひざまずく様を表す「」で神降ろしの祭事を表したものが甲骨文字に見られる字。やがて邪悪を防ぐ意の「」を加え、としたものが金文文字に見られる初文。のちにたたずむさまを表す「」を加えてとなったが、これに神事を表す「」を加えたもこれを初文とする。

 よって原義は神をおろしむかえることと邪悪からふせぎまもることであり、「卸す」や「防禦」という語に表される意味が本来正しい。また、神降ろしの祭事から転じて神や高貴な人に関して用いる語となったのが現在敬語として用いられるもとである。

 また、「制御」や「統御」、ひいては「御者」といったあやつる意は同音であるの字から来たものであって本来は関係のない用法だと見るべきらしい。一説には「卸」が車を止め馬より下りることであるとも言われるが、これは初義ではない。

読み方とその成立

 現存するのは表題の5つのみ。すなわち「おん」ちゅう「お」ふだ「ご」よう「ぎょ」えん「み」こしの5つのみである。これらは音訓でまず2つに大別され、「ご」「ぎょ」が音読みで「おん」「お」「み」が訓読みとなる。

音読み:「ご」「ぎょ」

 音読みの2つは日本への伝達年代によって分けられる。ヤマト政権期あるいは飛鳥時代に中国呉地方から百済を通して伝わった「呉音」での読みが「」、奈良時代後期から平安時代前期にかけて遣隋使や遣唐使によって伝えられた長安地方の読み方である「漢音」での読みが「ぎょ」である。

 朝廷は、長い歴史の中でに土着していた呉音よりも新しく日本が導入した漢音を当然重視した。御名御璽など、今でも天皇に関するものについた「御」が「ぎょ」と呼ばれがちな理由もここに存在する。

訓読み①:「み」

 訓読みの3つはもともと1つの読みであった。最も古い読みは「」。元来この読みは神格を表す尊称であり、神霊のことを指した和語である。海神を指す語として知られる「ワタツ」も漢字で表せば「海つ」であることを念頭に置かれたい。

古語:「おおん」

 この「御(み)」に「大(おほ)」をつけて「大御(おほみ)」としたものは平安時代前期に至るまで用いられた上代日本語から既に見られ、神や天皇そのものやそれにまつわるものに用いられたことが確認されている。奈良時代においてハ行は無声両唇破裂音 [p] が唇音退化して無声両唇摩擦音 [ɸ] で発音されたので、当時の音源が残っていれば「大御」は [oɸomi] (オフォミ) と聞こえたであろう。
※ [ɸ] はあくまで両唇音であり、「フォ」とはいえども英語のような唇歯音 [f] と混同してはならない。

 国風文化の興隆と時を同じくし、平安時代中期に用いられた中古日本語ではハ行転呼と呼ばれる音韻変化が起こる。これもまた唇音退化の一種であり、無声両唇摩擦音 [ɸ] は両唇接近音 [β̞ ] となった。また同時期には語末の「み」の [i] が摩滅したと予想され、『倭名類聚抄』によれば「大御」は [oβ̞om] (オヲム) と発音されている。

 院政期に入る平安時代末期から鎌倉時代まで用いられた前期中世日本語では「お」と「を」は混同が起きて両方とも [β̞o] で発音されるようになり、語末の鼻音 [m] は読みとしては「ん」と書かれるようになった。「大御」も最初の1文字表記へ回帰しており、このころの読み方が現在古語として広く知られたものであろう。「」と書いて「おおん」と読みを振る語である。ただし [β̞oβ̞om] (ヲヲム) と発音することには注意が必要。

訓読み②:「おん」「お」

 末尾が子音であることから分かる通り、マ行から始まる単語に前置するときは「御迎へ」 [β̞oβ̞om mɯkäje] → [β̞oβ̞omɯkäje] (ヲヲムカイェ) のように連音化した。すると当然、マ行の前では語末の鼻音は脱落すると捉えられることになる。

 室町時代を主とする後期中世日本語において語末の鼻音は読みの表記「ん」に(正確に言えば [N] というモーラに)まとめられる形で口蓋垂鼻音 [ɴ] に統一されたが、それでも語末の鼻音はマ行の前で脱落した。

 江戸時代を通して用いられた近世日本語における大きな特徴は、国学の発達に伴うア行の脱子音化である。「お」も [β̞o] が唇音退化の果てに唇音を失って [ʔo] または [o] に変わっており、「御」は [oːɴ] [oː] 、ひいては [oɴ] と [o] 、つまり「おん」と「」という読みとなる。

 これら2つの読みは近世日本語においては既に明確な規則なく混合して使われていた。歴史的観点から「おん」の方が礼儀正しく「お」の方が口語的だと評価された可能性は現在の用法を考慮すれば少なくないだろう。

さいごに

 今回は「御」の字について、その読みを中心に取り扱ってみた。これを機に、みなさんが日本語の変遷や漢字の世界、ひいては世界の言語全般に興味を持ってくださったら御の字だ。

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