人道主義 - 命をかけて

中村哲さんが亡くなってから、人道支援活動というものについて考えることが増えた。

人道支援活動が行われるところは決して平和なところや恵まれたところではない。戦争が起こり国土も人心も荒廃し、暴力が蔓延しているところで行われる。そこに入って活動するのだから、身の危険はいつも付いて回る。

そう言った、いわば平和が壊されたところということで行くと、ミサイルや機関銃でいつ撃たれるかわからない場所に限らない。DVが日常的に行われている家庭内、いじめや暴力が行われている学校内、またパワハラ・モラハラが鍛錬の名の下に行われている職場、これら全てで平和が犯されている。なぜなら、それらはすべて、生命・身体・自由、ひいては持ち物などの財産を犯すものだからである(対象が子どもだから、日常的なものだから・・・などと行ったことでこれらを矮小化してはならない。子どもについては、「子どもの権利条約」がはるか昔に制定・批准されている。パワハラについては緒についたばかりという感があるが、これらについても法整備が早急に待たれる)。

幼い頃の記憶が蘇ってきた。中学校時代、小動物を虐待していた友人がいた。僕に「hiro, あとで体育館の裏に来い!」と言われて行くと4,5人がそこにいた。ヤンキーどもである。見るなりみぞおちに一発食らった。最初みぞおちにパンチを食らったときの恐怖をいまでも覚えている。数秒間息が詰まってしまいこのまま死ぬのではないかと思ってしまった。その後「俺らの仲間になれ!」と強要されタバコのフィルターを口の中に羽交い締めにして突っ込まれた。必死に抵抗し、なんとか3年間しのいだ。

どうすればこの災難からまぬがれるか考えた。いや、彼らによっていじめにあっている他のお友だちをどうしたら守れるか、必死に考えた。ふと、担任が、僕らに与えていた日記の課題を学級通信に載せていたのを思い出した。
「よし、これに告発しよう!エミール・ゾラ(フランスの作家)ではないが「我、糾弾す!」(=J'accuse!)でやるぞ!」と思い、書いた。

案の定、担任は僕の日記を載せた。するとこれまた案の定、いじめグループから呼び出され脅されたが、なんとかしのいだ。

学校に行くのが恐怖だった。しかし、こんな不正に負けてなるものかと自らを奮い立たせて頑張った。将来のために勉強にも励んだ。

あれから30年後の今、当時のいじめっ子と話すと、「hiro、お前はすごかったぞ。」と一様に褒めてくる。何か気恥ずかしい感じがするが、当時の恐怖を思うとき、人道支援活動に取り付く魔の手は恐ろしいものがあるのを肌で感じる。

高校時代、国際的な人道支援活動に携わった人に興味があり調べたことがある。北欧に興味があったこともあり、そっち方面の方に偏るが、ざっと挙げるだけでも・・・
ラウル・ワレンバーグ(ハンガリーのユダヤ人を10万人救助。ソ連に拘束され処刑されたことがのちに判明)
ダグ・ハマーショルド(国連第二代事務総長。PKO創設。コンゴを飛行中に墜落死)
オロフ・パルメ(スウェーデン元首相。英米からテロ組織扱いされソ連からの支援に頼らざるを得なかったANC(アフリカ民族会議)への支持を西側の国で最初に表明し資金援助を行う。映画鑑賞の帰りに町の通りで何者かによって射殺)
・・・と行った人たちが思い当たる。その他、ロメオ・ダレール(1994年のルワンダ大虐殺時のPKOカナダ人司令官)のように、生粋の軍人家庭に育ち自らもそのように生きてきた人でさえ3ヶ月で100万人が殺しあうルワンダ人を前に何もできずこころを病みPTSDを発症。自死未遂を生き延び、上院議員として平和のために尽力した人もいる。


人道主義を実行することにはこれだけのリスクが付きまとう。日本で有名な杉原千畝もリトアニアにくる前はソ連に配属される予定だったが、当のソ連から「好ましからざる人物」(ペルソナ・ノン・グラータ)とされ受け入れ拒否。当地への外交官赴任が叶わず、リトアニアに行ったとのことである。いわば、あのスターリンという鬼のような存在に睨まれていた人物だったのだ。
僕の頭の中にある人たちだけでこれだから、数かぎりない人たちが自らの信念に殉じたに違いない。

いじめ・DV・モラハラ・パワハラから大虐殺に至るまで、それらを食い止めることは至難の業である。それを考えると、善悪両方の道に立たされて人は何を思うか。大抵の人は、どちらも選ばず退却するはずである。

善の方向に舵を取り、その上でことを成すには何が必要なのだろうか。ない頭で考える。まずは自らの人望と信頼を築くこと、中でも土地の言葉や文化を学ぶこと。今流に言うとブランディングとでも言うべきであろうか。その後は、一般大衆の世論を味方につけること。何かことが起きたときに、第三者の公平な支援は決め手になるだろう。
そして、平素からの修練と何か自分にしかできないことを磨き上げていくこと。この3つが大きな武器になるように思えた。

中村さんはこの3つを見事に身につけられていた。殺害された原因としてあげられる水の奪い合いであるが、これは本来、中村さんの責任ではないと見るべきだろう。せっかく日本人が与えてくれた福利をしっかり分配できなかった地元有力者のエゴによるものであると思われる。

生きていくためには、広い意味での力が必要である。まして、魔に魅入られた人がいる場所ではなおさらである。もちろん、力というのは相手と同次元に立ってのむき出しの武力ではない。相手すら認めざるを得ないようなものをこっちが築き上げることである。

その力の中身がなんであるか。人道主義に徹しようと思えば、中村さんがとった方法による以外ないのではないかと思える。

最後に、改めて中村晢先生に追悼の誠を捧げる。

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