見出し画像

言葉の境界線

 幼い頃から、姿かたちの違う人たちが、全く理解できない言葉を話している姿をみるのは、なにか好奇心駆り立てられるものでした。小学校低学年のころから、外国人を見るたびに「よっしゃ、あの言葉がわかるようになりたいもんじゃ!」と思うようになりました。外国語への傾倒は、その頃から始まっていたように思えます。

 長じてネットで海外の人と交流するなかで、ぼくが不思議に思うことがありました。それは、「同じ地域に多言語があるのはどんなかんじなのか?」「陸続きで言語が変わるのはどんな感じなのか?グラデーションなのか、それともどこかの川を渡ったり山を越えてぱっちり分かれてるのか?」という、実に素朴なものでした。

 海外旅行でそれが垣間見えたのが、カナダ・モントリオールと、スイスの旅でした。カナダ・ケベック州は、フランス系の人が多いフランス語の地域。街の看板はフランス語がメインで、フランス語を話す人たちが多い街でした。英語よりフランス語が通じるのでフランス語を話すと喜んでくれますが、英語を話すとすぐに英語にスイッチする人たちは、最初見て驚きでした。
 スイスでは、フランス語圏のジュネーヴからドイツ語圏のインターラーケン(アルプス入口の街)まで乗った特急での経験がおもしろかったです。ジュネーヴをでるときは、あまりしゃべらないフランス系の人たちで車内は静か、車内放送が仏・独・英の順番だったのに、ある場所から突然ドイツ語をしゃべる人たちが乗ってきて、いつのまにやら周りがドイツ語だらけになり、車内放送も独・仏・英の順番に。同じ国で言語が違うというのはなんか不思議な感じでした。

 ただ、よく考えてみると、僕らが住む日本にも方言というものがあります。ものの本を読むと、300の藩をつぶして明治政府を作ったとき、国内での意思疎通ができない問題をどう解決するかで、相当深刻な議論があったといいます。いまの共通語(標準語)ができるまでには、漢字を廃止するという案(これは戦後の韓国での漢字廃止にも通じる考え方ですね)、英語を共通語とする案(インドやフィリピン方式でしょうか)に至るまでさまざまな案があったとか。

 言語は文化と深くつながっています。ときにはそれが戦争の原因にさえなってきました。また、言葉の違いが言語の違いなのか、方言のそれなのかがあいまいなところも世界にはたくさんあります(例・ドイツ南部の「高地ドイツ語」と北部の「低地ドイツ語」は意思疎通できないのに同じドイツ語。なのに、オランダ語は、低地ドイツ語と意思疎通できるのに別言語などなど。)。

 ともあれ、大が小を押さえつけてきたのが人の歴史です。方言であれ言語であれ、大事にしていきたいなと「小」の方言話者として感じます。

 写真は、スイスアルプス山中の駅(ドイツ語の看板です。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?