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ラスサビで話者が変わる!? 左右盲/ヨルシカの歌詞を解説します【考察】

先日リリースされたヨルシカの左右盲
実はラスサビで歌詞の意味合いがガラッと変わります
それを意識するだけで数段「泣ける」曲に聴こえる構成となっているため、本ページではそれを解説していきます。

※少し荒っぽい言い方ですが、分かりやすさを優先して、登場する男女のことをそれぞれ「彼氏」「彼女」と表現しています。

前提

MVの概要欄にある通り、恋人との別れから時間が経ち、忘れていってしまうことを、左右が分からなくなる左右盲になぞらえた曲です。
文中にある「普遍的な別れ」とは「死別」だと捉えてしまって間違いないかと思います。
この曲では「死んでしまった彼氏」と「生きている彼女」が出てきます。
話者は"落ちサビまでは"一貫して「彼女」です。

以下、説明

君の右手は頬を突いている
僕は左手に温いマグカップ
君の右眉は少し垂れている
朝がこんなにも降った

ここは単純に情景描写。
しかし「朝がこんなにも降った」だけはこの曲で最も難解な部分です。
(確信が持てず推測の域を出ませんが、)
恋人のいない現実世界には、今日もたくさんの「朝を迎える人たち」が暮らしているんだよ
と伝えたい気持ちが込められているように思います。
(MVの窓から、街行く人たちを眺めているのではないでしょうか)

一つでいい
散らぬ牡丹の一つでいい
君の胸を打て
心を亡れるほどの幸福を

死んでしまった彼氏へ向けて、生きている彼女が思いを綴っています。
「散らない牡丹の花」は存在しないものです。
「死後の世界にはそれが咲いている」と想像して、それでもいい、なんでもいいから、彼氏に幸福な心でいてほしい
と願っている部分です。

一つでいいんだ
右も左もわからぬほどに手探りの夜の中を
一人行くその静けさを
その一つを教えられたなら

n-bunaは作品の中で度々、人の一生を1日に例えます。(特に顕著なのは、本人自ら言及していた「夜行」など)
これはソポクレスの戯曲『オイディプス王』に登場するスフィンクスの謎かけが元になっており、
夜へ向かうことは老いていくことを表しています。

ここで出てくる「手探りの夜の中を」もまさしくこれだと考えてよいでしょう。
「あなたがいなくてどうしたら良いかわからない(=右も左も分からない)この世界で、一人年老いていく静かさ(=心寂しさ)をあなたに伝えられたなら といった意味合いが込められています。

君の左眉は少し垂れている
上手く思い出せない
僕にはわからないみたい
君の右手にはいつか買った小説
あれ、それって左手だっけ

こちらはメインの題材である”左右盲”を巧みに使った部分。
曲が進むにつれて記憶が曖昧になっていき、恋人との日々を忘れていってしまうことが表現されています。
1番Aメロ(=まだ記憶がしっかりしていた時期)と比較してみましょう。
1番で、右手は頬をついていると言っています。
つまりその右手で小説を持つ事はできないので、小説を持っていたのは正しくは左手となります。
これはMVで女性が小説に左手を置いていることからも分かります。


一つでいい
夜の日差しの一つでいい
君の胸を打つ、心を覗けるほどの感傷を

こちらは、1番のサビ前半と意味するところは同じです。
生者の世界では、夜に日差しはありません。
つまり、夜の日差しは現実と理が反転した死者の世界のものです。
死後の世界でも何かに美しさを感じる心を持っていてほしい といった願いが込められています。
それが幸福でも感傷でも、何も感じない無機質な世界にいるような不憫に遭っていないで欲しい といった気持ちでしょうか。
この辺は説明するのが難しいですね。。。

一つでいいんだ
夏に舞う雹のその中も手探りで行けることを
君の目は閉じぬことを

死者の世界想像描写第三弾。
「夏に舞う雹」ももちろんこの世界にはなく、死者の世界で見れるものです。
ここで彼女が言いたいのは、なんでもいいから何かで心動かされる、生きていた頃の大好きな彼氏のままでいてくれ、
あっちの世界でも元気でいてくれ と言った願いです。
「手探りで行ける」「君の目は閉じぬ」は、どんな場所でも君なら大丈夫だよ と言っています。
生前、彼氏のことを彼女が度々励ましていた姿が思い起こされます。
死後の世界に「私」はいません。彼は一人でそこにいて、孤独です。
そんな中でも君なら大丈夫だよと伝えたい そんな思いが伺えます。

僕の身体から心を少しずつ剥がして
君に渡して その全部をあげるから
剣の柄からルビーを この瞳からサファイアを
鉛の心臓はただ傍に置いて

歌詞のモチーフ(公式HPを参照)になったオスカーワイルドの『幸福な王子』になぞらえた部分。
幸福な王子では、博愛の心から、様々な貧しい人々に王子が身体(宝石や金など高価なものでできている)を差し出します。
左右盲では対照的に、想いが恋人ただ一人に向いています。
「その全部をあげるから」の部分に顕著ですね。
そこから、自分の全てをあげてもいいと思えるほどに相手のことを愛していることが伺えます。
「鉛の心臓」は幸福な王子で鍵となる、最後に残った王子の部位であり、王子が天国に行けることになったきっかけの部位でもあります。
いつかはあなたと同じ場所に行くよ といったメッセージが見える部分です。

一つでいい
散らぬ牡丹の一つでいい
君の胸を打て
涙も忘れるほどの幸福を
少しでいいんだ
今日の小雨が止むための太陽を

最重要ポイント!!!!!!!
ここを理解することでこの曲がグッと「泣ける曲」であることに気付けます。

なんと、実はここで話者が「彼氏」に変わります。
根拠は「涙も忘れるほどの幸福」と「今日の小雨」の2点です。
話者を彼女だとして読むと、どうしてもこの部分に引っかかりが出ます。
泣いているのは、残された彼女だと考えるのが妥当であり、
彼氏は空からそれを見ているのでしょう。
また、小雨が止んで太陽が出てくるのは「生者の世界」で起きる現象です。
生者の世界に住む彼女の上に太陽が出ることを願う と解釈するのが自然な形でしょう。

泣いている(=心に雨が降っている)君を慰める太陽(のような幸福な出来事)が現れてほしいと願っている部分です。
ここから、自分のことは忘れて、これからの人生を幸福に生きてほしいという彼氏の願いが見えてきます。
個人的にかなりの泣きポイントです。

少しでいい
君の世界に少しでいい僕の靴跡を
わかるだろうか、君の幸福は
一つじゃないんだ

泣けます。
「君に幸せに生きてほしい」という思いと「少しでいいから僕のことを覚えていてほしい」という思い、
矛盾する2つの思いが彼氏の心の中でぶつかっている部分です。
彼女のことをそれほど強く愛していることが、この葛藤を通して表現されています。

右も左もわからぬほどに手探りの夜の中を
君が行く長いこれからを
僕だけは笑わぬことを
その一つを教えられたなら

「手探りの夜」とは前述の通り、彼氏のいない世界で一人で生きていく彼女のこれからのことです。
「僕だけは笑わぬことを」は遠回しになっており難しい表現ですが、
「僕は君のそばにいられない(=もう君に笑いかけることはできない)」という意味です。
君がこれから遭う嘲笑に対して、僕は君をあざ笑うことなく側にいる と言った意味にも取れないことはないですが、
恋人と死別した人を嘲笑する世間 はあまり現実的ではないため、その線はないかと思います。
(ここ、説明が下手ですみません。意味がピンとこなかった人はスルーで大丈夫です。)

何を食べても味がしないんだ
身体が消えてしまったようだ
貴方の心と 私の心が
ずっと一つだと思ってたんだ

ここで再び話者が彼女に戻ります。
ここでは「あなたのことを忘れゆく自分の心」を歌っています。
忘れてしまっていることに気づき、「私の心」があなたから離れてしまっていることを感じている部分です。
貴方の心がずっとここにある(=死者の時間は止まったままなため)ことと対照的であり、これまた泣きポイントです。
ここ最近のヨルシカには、『だから僕は〜』あたりと比べて生に対する後ろ向きな肯定を感じます。
生きていくということは、忘れていくことと同義です。
貴方を忘れてしまっていることの悲しさに触れつつも、それでも生きていくことを選択した彼女の心境に触れることができるのではないでしょうか。

以上になります!
ハイポジションで弾かれる美しいコードの響きと、切ないメロディ。
その中にはこんな涙を誘う歌詞が潜んでいることを伝えられたなら何よりです。

原曲リンクはこちら↓
https://youtu.be/1IlTeOMCNJU

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