カタカムナの奇跡でサイアクの彼氏と別れた話ー4・午後も不思議体験が多発!

神秘的な体験をした神社から帰る道すがら、行きとは違う道を通って、お昼食べられる所あるかなぁとか、新しい店が出来てるところ、逆に更地になってしまったところなど、記憶と現実を結びつけながら、冒険しながら帰りました。
相変わらず太陽はピカピカ。汗をかきかき2時間弱を歩き切り、実家に戻りました。時刻はお昼のてっぺんを回ったころ。

すると…何故か庭に、車がある。
父と弟は仕事で出ています。少なくとも夕方まで独りのはずでした。
あれ、どっちか帰ってきたの?なんで?

鍵を開けて入ると、父から声がかかりました。
「おかえり。この後用事は?」
聞きたいことは色々あったけれど
「いや、用事は無いよ」
と返事をした。
「そうか。ワシも仕事が無くなってな。折角だ出かけるか。車に乗ってけ」
「おっけー。…?」
よく分からないが、父の運転する車に乗り込み、午後は父とのデートとなりました。(今は亡き母は、二人きりのお出かけは男女関係なく総称してデートと呼んでいた)
そして父と遊びに行くお決まりコースへ。



母が亡くなった後によく行くようになった、高速で1時間ほどかかる町に向かう。
全国でも珍しい「砂金採り」がアミューズメントとして存在する宿泊施設が、山の中にあるのだ。
数年前に改装が入り、今では週末に人が集まる大人気スポット!GWの日曜ということもあり大盛況!入口には、長蛇の車の列ができていた。
先に車から降り、駐車は任せて、チケット購入を担当しました。購入が済んで入口で待っていると、タイミングよく父と合流して、砂金取りのコーナーへ向かいます。

他愛ない話をしながら、久しぶりの砂金採りが始まります。
砂金を取るのにはコツがある。方法を説明する映像がコーナー内で流れているが、もう慣れっこである。早速始めよう。

砂金取りの桶の中の砂をまずかき分ける。そして、底にある砂だけをパンという黒い皿に入れ、まずは砂と水をゆする。比重の関係で、パン(皿)の底に金が沈む。
そうしたら、円を描くようにして、水中につけて傾けた状態、パン(皿)の溝のギザギザに引っ掛けるように、砂だけを水と共にふるい落とす。ゴールデンカムイ第一話の杉本のごとく!(砂金採りの方法を知らなければちんぷんかんの文かもしれない…)
私も父も、なんなら弟ももはや、何年も通いすぎて、揺するだけで今のパンに金が入っているかどうかを見極めているくらい、目が肥え技術も持っている。30分、全集中!
場所を変えながら、
上澄みの砂を払い、
底の砂だけをさらいパン(皿)に入れ、
パン(皿)をゆすって金だけ取り出し、
持ち帰りの小さい容器へ移していく。

他に見つけた銀の玉や磨かれた鉱石の類は他の人に譲ったり、やってる近くにそっと忍ばせたり。
「あっ!みて!ダイヤモンドあったよ!」と小さい子が親に報告する姿を(しめしめ…いいことをしたぞ)と心でコッソリ喜んでいる。それはダイヤモンドカットのジルコニアなのだよ。でも見えるよね、ダイヤモンドに。
時間が来たよのアナウンスの30分後まで、全身全霊で砂に紛れる金の輝きを探す。

因みに、この時取れたのは30分で私・砂金16枚、父も金10数枚。
一番取れた時は30枚。父は50枚取ったこともあるらしい。

ほんとに、ひとつきあれば一度は行く、くらいのペースで通うので、砂金採りにハマるキッカケとかあったの?と聞くと

父「まだ母がいた頃、家族で砂金採りしたときに、…ワシだけ砂金採れなくてサ…」
私「Σ!!?」

つまりは、負けず嫌いな父なので、悔しかったのだろう。それでのめり込んだらしい。
あぁ…そういえば、母はよく父をからかう性格であった。「あれれ〜?お父さん取れなかったの〜?私は○枚取ったよ〜?ねぇ〜!(子どもに同意を求める)」…のような。そういう人でした。
負けず嫌いの父と、人をあおり倒す母。口喧嘩は多かった二人だが、その内容は愛に溢れていました。長年よく夫婦やれてたな、と娘ながら感心しています。

帰りにラーメンを食べ、最近他にハマった趣味とか、父が運転する車の中でする、他愛のない話。
仕事のはずだった父と、こうして遊びに行っているのが、なんだか不思議に感じましたが、こうやって、文でまとめながら思ったんです。 

「ああ、神さまが、コロナ禍で一度も帰ってなかった私と、父とのわだかまりを埋める手伝いをしてくれていたんだ」って。

その後は自宅でめいめい過ごし、夕方には弟も帰宅して、3人でお寿司!
どこの回転寿司チェーンより、地元のここ!ここの回転寿司が一番だ!のお店へ。
人気店で順番は待ちましたが、めちゃくちゃ美味しいエンガワとはまちを食べられました。
大満足したことと感謝を言うと、「おう」と短い返事だけが返ってきました。
帰宅して、順番でお風呂に入りました。汗をかいた部分、特にアンダーバストは念入りに洗い落とします。
お風呂を出たあとは、今日あったことをひろのさんに報告したいと文でまとめて、時刻は夜22時頃。

そうしたら、ずっと父に対して、心に引っかかっていた事柄が思い出されて、無性に「あの時の事を謝らなければ」と使命感に駆られました。

母が亡くなって、私が実家から仕事へ行っていた頃。
父は、弟を強い男にしようと、厳しめに語って付き合う教育方針でした。うちは三人姉弟なのですが、私と歳が離れた弟は、当時中学・高校の頃の多感な時期。
そして、私達姉妹のみの頃は、父はひたすら楽しい人でした。多趣味で、いろんなことを知っていて、私達姉妹を笑顔にしてくれる、年の離れた兄のような存在でした。
その姿と、今の弟に対する姿が違いすぎて、言ってしまったんです。

「母は、私たちにそんな接し方はしなかった!!」

父の教育方針に、ケチをつけ否定する言葉を投げました。
生意気に、その時は「言ってやった、父にひとこと言ってやったぞ!」と達成感があったのですが、しばらくして家を出てから、妹に電話で伝え聞いたんです。

「あの言葉で、父がめっちゃ傷ついたって知ってる?知らんよな!?私に愚痴ってたもん!あんたは傷つきやすいからよう言わんって!」

それを聞いて、すごく私自身傷ついて、悪いことをした、という後ろめたさが、長い影になって引きずるように、心に残り続けてたんです。

世の中、正しさが全てでもないし、感情が全てでもありません。でも、傷つけた事実はある。ずっと引っかかっていた。他愛ない話の中で、彼自身のこの5年間の苦労の話もいっぱいありました。
次、いつ帰るだろう。分からないなら、今のうちに伝えておかなきゃ。今までなぁなぁで逃げてしまっているもん、向き合わなきゃ!と。

そう思って、父の寝室をノック。幸い、まだ起きていました。
そして、あの時はごめんなさい、と声が涙で裏返りながら謝りました。

返ってきた言葉は、自分には意外過ぎて。

「なんだ、そんな事。
 自分の子どもの言う事だ、それほど気にしていないよ」

とても驚いた。だって、妹には愚痴ったと伝え聞いていた。
傷ついたって。
その言葉がありがたすぎて、あまりに私に都合がよくて、更に泣けてきた。

「お前はね、考えながら言う癖を直した方が良い。思ったことそのままを言う。そして、言っちゃマズいことは黙っておきなさい。お前は、昔から損ばかり拾っているからさ。あと、家族なんだから敬語も止めていい」

口調はぶっきらぼうで、ちょっと命令口調でしたが、おおよそこういった内容で。声は包み込むように、とても優しくて。
ありがとう、おやすみと伝えて、布団がある仏間に戻った。

書きながらすごい涙が溢れてくる。
ありがたすぎて、あまりに出来すぎているなって自分でも思います。
なんだろうこの2日。
漫画かドラマでもなぞってるのか?と思えるくらい、私に都合よく流れていく。ありがたいなぁ、ありがたい。
この数日は本当に、私は物語の主人公でした。

神の応援、追い風が吹くと、こんなに長く悩んで、迷って、後回しにしていたことがスルスル解決するものなのか、こんなドラマチック体験したこと無くて怖いくらいです。

ともあれ、まだ終わっていません。決戦は明日。部屋に帰って独りになることが最終目的。
最高なのは、既に出て行ってて、ストーカーもなく事が過ぎること。完全な縁切れ。
でも、警察には「リュックひとつで出ていきますよ」と伝えていた奴だが、本当にそう出来るなら5年間も女にぶら下がるか?

部屋にまだ居るかもしれない。もしかしたら、刃物振り回すかもしれない。あるいは、「もう暴力的な事はしない!反省した!心入れ替える!だからそばに置いて!」と泣き落としてくるかもしれない。
とりあえず、部屋に戻る時には、会社の人がついて来てくれる手筈になっています。
どういう反応を見せられても弱みは見せません。

柱になろう。洪水だろうと渦潮だろうと高波だろうと地震、雷、火山噴火だろうと揺らがない、私のカタカムナで強固になった柱みたいな根っこで、事にあたろう。これ以上の奴との関係は絶対にNO!!
金が無い?タバコがない?知らないよ、もう知らないよ。
これまで私は最大限、君に寄り添ったつもりだよ。
君が自分で立つのを待っていたよ。あっまずい、と焦るのを待っていたつもりだよ。
でもずっと私にぶら下がったままだったよね。さすがに気の長い私ももう付き合いきれないよ。
それでもまだ、なお居座るつもりなら、こちらも出るとこ出るしか無い!

…と、心を強く持って、自分の部屋に戻ります。明日が決戦だ!

ーーーーーーーー

振り返っての後日談。

すごく不思議なんですよ。
うちの父って「いらち」というか、待つことが苦手な性格だったんです。
前に並んでいる組が二組もあろうものなら
「待ってられるか!次いくぞ次!!」
と車を走らせるような性格でした。

砂金とりに行ったアミューズメントも、昼に食べたラーメン屋も、夜に食べたお寿司も、どこも列を成していて、とっても待ったのです。
「そこでしか得られない」もあったのは事実ですが、私の目には不思議に映りました。
この離れていた時期のことは、あらましを愚痴として聞きました。
そういったこともあり、性格が変わったのかもしれないし、単に加齢で、時間経過をそれほど苦にならなくなったのかもしれませんし。

でも、すごくありがたい変化だなぁと思ったし、この日はとても穏やかで、昨日あんなことがあったのが信じられないくらい、まったりと過ごしました。
やったことは盛りだくさんでしたけど、心はすごく穏やかでした。
こんなに心が平穏なのは、すごく久しぶりに感じました。

…ところで、この日のお昼のラーメンで、私はラーメンのみ食べてたんですが、父が
「これ食え」
と、半分以上残ったライスをくれたんですよね。
「いいの?ありがとう」と遠慮なくもらったものの。
なんだろう。体重は変わってないはずだけど。やつれて見えたのかもしれない。

2024.05.12

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?