おなかのおおきなおひめさま


まえがき

いつだったかの、こちらのマシュマロ(マシュマロなので匿名なのだけど、おそらくあの子がくれたもの🤔)を元に書きました。




おなかのおおきなおひめさま

 とある国とあるお城の高い高い塔のおへやに、おなかがふっくらまあるく、手足もふっくらまあるく、お顔はふっくらあかるい、まるでひなぎくの花のようなおひめさまがいらっしゃいました。

 おひめさまのいちばん好きなものといえば、塔の真下のお花がたくさん咲いているお庭で召し上がる午後のお茶と、お城いちばんの料理人が作るお菓子でした。お茶菓子は毎日ちがうものが用意され、それをおひめさまはなによりも楽しみにしているのでした。

 ところが、ある日の夜、高い高い塔のおへやで、おひめさまはたいそうものうげで、眠れない夜を過ごしていました。

「ねえ、ばあや。わたし、明日のお茶の時間がとても心配で、たまらないの。」おひめさまはとうとう、おふとんから身を乗り出しベルを鳴らしてばあやを呼びつけ、言いました。

「まあ、まあ、おひめさま。ご心配がおありだなんて。
 午後のお茶の時間をおひめさまがいちばん楽しみにしていらっしゃること、城中の者がよくよく存じておりますよ。」
 ばあやはおどろいて、おひめさまのふっくらとした温かい手を取って言いました。

「わたし、とっても心配なの。明日のお茶会には、おきゃくさまが百人も参られるでしょう?お茶や、お菓子が足りないなんてことはないかしら。」

「心配はご無用です、おひめさま。明日のお茶菓子は、おひめさまがいちばんお好きな、ヴィクトリアケーキですよ。お城いちばんの料理番が国いちばんの材料で、手間暇かけて作った、おいしいうつくしい、おおきなおおきなヴィクトリアケーキが、百台もあるのですから。足りないわけがございません。」

「まあ、ばあやったら。それは明日までの、料理番の秘密でしょうに。」
 おひめさまはすっかりびっくりして言いました。

「それに、おきゃくさまが百人もいらしたら、わたくしのぶんのヴィクトリアケーキなど、すっかりなくなってしまうわ。」

「おひめさまの心配もごもっともです。明日いらっしゃるのは、おひめさまのおじさま、おばさま、それにいとこさまがた、みんなおひめさまのごしんせきなのですから。みなさま、それはようお召し上がりになるでしょう。でも大丈夫ですよ、料理人の作るヴィクトリアケーキといったら、いつも、ひとつひとつがたらいのように大きいのですから、いくらごしんせき一同といえど、食べきれやしませんよ。
 さあさ、お布団に戻って、おやすみくださいな。」

 ばあやは、おひめさまの心配などよそに、さっさと寝に行ってしまいました。

「まあ、ばあやったら、薄情だこと。」

 チクタク、チクタク、チクタク、チクタク。

 時計の針はどんどん進んでいきますが、おひめさまはすっかり目がさえてしまってねむれません。

 ボーン、ボーン、ボーン。

 時計が夜中の三時を打つと、おひめさまはとうとう、おふとんを抜け出しました。はだしの、ふっくらとした白い足がぶあつく敷かれたじゅうたんの上を、ふかふかと一心に走り出します。
 目指すはもちろん、台所です。

 おひめさまの塔と台所は、広い広いお城の中でも、迷子になりそうなほどとおく離れていますが、おひめさまはしばしば台所をおとなっては、料理番たちのきびきびと働いている様をながめたり、ときにお手伝いすることを好んでいたので、どの道をゆけばいいかは、しっかりそのまあるいあたまに入っています。もちろん、昼間に台所をたずねるときは、かならずばあやと一緒でしたが。

 おひめさまは、おへやのある高い高い塔の階段をぐるぐる回って降り、天井の高いろうかをわたり、いくつもの広間を通り過ぎ、横目にお庭を見ながら、たくさんの柱が立った、お城のおもて玄関を通りすぎます。並び立ったまどから、つめたい月の光がおひめさまを照らします。月影は、おひめさまがまどの前をとおるたびにあらわれて、ヒラリヒラリと踊るようについてきます。

 ふかふか、ヒラリ、ふかふか、ヒラリ、ふかふか、ヒヤリ!

 足がつめたいものにふれて、おひめさまは、びっくりしました。もうすこしでひめいを上げて、たおれこんでしまうところ。でも、おひめさまはめげません。足元を見ると、つめたいものの正体がわかりました。床がじゅうたんから石へと、かわったのです。

 ひたひた、ひたひた。

 おひめさまは今度は、足音を立てないように、慎重に歩いていきます。なぜって、こんな夜中におふとんをぬけだしていることがわかってしまえば、いまごろぐっすりねむっているはずのおとうさまやおかあさまや、ばあやが心配してしまいますからね。
 台所は、もうすぐ。

 おひめさまは、お城の一階の、うらがわへきています。くらくしずまりかえったろうかには、月の光もぼんやりとしか差しません。

 ひたひた、ひたひた、ひたひた。

 さあ、いよいよ台所に到着です。はた、おひめさまは思い当たります。昼間いつも、いかにもたのしげにあいていて、ようきな料理番や女中たちがひっきりなしに行きかっている台所のとびらは、もちろんしまっていて、見上げるほどおおきく、古く、いかめしく、いかにも重たげです。おまけに影になっていて、真っ黒に見えます。
 鍵がかかっていたら、どうしましょう。開けるときに、おそろしい音がひびいたら、どうしたらよいのでしょう。

 おひめさまはしばらくためらっていましたが、おおきなとびらを、おそるおそる押してみました。

 おおきな古いとびらには、鍵はかかっておらず、びっくりするほどかるい力で開けることができました。音もなく開いた扉には月の光が当たり、よく磨きこまれてすべすべした彫刻が見えました。
 そしておひめさまの見た光景といったら、すばらしいものでした。

 ところせましと並んだたくさんの、うつくしい、たらいのようなヴィクトリアケーキです。ヴィクトリアケーキ、ヴィクトリアケーキ。天窓からの月の光に照らされて、ひろいひろい台所を、見渡すかぎりヴィクトリアケーキがうめつくしています。おひめさまは、そのあまりの迫力に、じぶんが小さくなってしまって、大きなものの国にまよいこんでしまった、そんな心地すらしました。

 おひめさまは、端からじゅんに、ヴィクトリアケーキの数を数え始めました。

 一列目、ひのふのみ……
 二列目、十一、十二、十三……
 三列目、……

 おひめさまの足取りは、どんどんかるくなります。
 きがつくとおひめさまは、おどりながらヴィクトリアケーキの間を飛び回っていました。ヒラリヒラリと、月の影も一緒です。

 十列目、……九十九、百!

 おひめさまは、ばあやが言ったように百台もならんだヴィクトリアケーキを数え終わると、息をきらしてその場にすわり込んでしまいました。つめたい石の床が、ほてった体に心地よく感じます。

 そのとき、おひめさまは気付いたのです。百台目のたらいのようなヴィクトリアケーキの陰に、ごく控えめに、おひめさまのふっくらとした手のひらほどの、ちいさなちいさな百一台目のヴィクトリアケーキがあることに。

 おひめさまは、そのちいさなちいさなヴィクトリアケーキを持ち上げました。
 ヴィクトリアケーキには、粉砂糖がまぶしてあり、月の光にキラキラと光って見えました。スポンジとスポンジの間の真っ赤なジャムは、いったいなんでしょう。甘酸っぱいラズベリージャムでしょうか、香り高いイチゴジャムでしょうか。月明かりでは、どうにもわかりません。
 おひめさまは目を閉じて、そのちいさなまあるい鼻をケーキに近づけて、クンクンとにおいをかいでみました。わかりました!これは、イチゴジャムにちがいありません。お姫様がうれしくなって目を開けると、そこには、いい香りのイチゴジャムがいかにもさっくりと、そしてふわっとしたスポンジにはさまっているのが見えました。

 おひめさまのふっくらとしたくちびるが、ケーキにすいよせられていきます。

 さっくり、ふかふか、どっしり。まずはスポンジです。
 そこへ、ふわーん、とろり、じゅんわり。イチゴジャムがやってきます。

 おひめさまは、ゆっくり時間をかけて、ちいさなちいさなヴィクトリアケーキを召し上がりました。
 ヴィクトリアケーキをこんなにおいしいと思ったのは、はじめてのことでした。おひめさまのふっくらとした頬には粉砂糖がつき、指はイチゴジャムでよごれてしまいました。

 粉砂糖をはらい、指についたイチゴジャムをきれいになめおえたおひめさまは、ふと石の床が冷えることに気づいて立ち上がりました。ちょうど百台のヴィクトリアケーキを静まりかえった台所にのこして、おひめさまはまた、ヒラリヒラリと月の光に照らされながら、高い高い塔のおへやへと戻っていきました。

 おやすみなさい。

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