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Football Celebrates the Diversity of Humanity

フットボールの魅力


フットボールは多様性のスポーツだと思う。

ワールドカップで日本が躍動する様を見て、改めてそう感じた。

それは、ヨーロッパの代表チームに多様なルーツを持った選手が多くいたり、
複数の代表チームが法的に代表に入れそうな有望選手に積極的に声をかけたりするといったプレーヤーの「人種的な多様性」という表面的なことだけではなく、フットボールの本質的なスポーツとしての要素が多様性を求めるということだと思う。

つまりフットボールとは、
異なる個性を持った11人の選手たちが
(もっと言えばベンチのメンバーやスタッフ/コーチ/監督)
1つのゴールを目指すスポーツだということ。
そして集団と個人の価値が微妙なバランスでせめぎ合うゲームだということ。

これはピッチに立つ選手たちをよく眺めてもらえばわかると思う。

足の速い選手がいれば、
背の高い選手もいて、
小さくてもスキルとアジリティで局面を打開する選手がいる。

不遜な態度で飄々とゴールを奪う選手がいれば、
果敢に敵に突っ込んでいくやんちゃ者、
チームを後ろから鼓舞するリーダーシップを発揮する選手もいて、
ブラボーと繰り返し叫び、チームの雰囲気を高め続けるサムライにもそれぞれに必要とされる役割とポジションがある。

フットボールは時に
15歳の若手と55歳のベテランが入り混じって同じボールを追いかけることがあるスポーツだ。人種やルーツもまた然り。

そしてなにより、
年齢や人種を置いても、
ポジションやチームの中での役割によって、
同じピッチに立っていても要求されるプレーや振る舞いがまるで異なる。

例えば、サイドバックが試合中に繰り返す動きとゴールキーパーがチームの勝利のために積み重ねるプレーは全く違う。

それが、フットボールの魅力なんだと思う。

年齢や人種もそうだけど、
これだけ多様な個性を発揮しながら活躍できるスポーツはきっとどんな人にとっても自分だけのヒーローを見つけられるスポーツでもある。

足の速さ一つで勝負する選手、
小さくても足元の技術が卓越している選手、
恵まれた体格を全面に押し出して闘う選手、
守備はしないのに大事な場面でゴールを決めて英雄になる選手、
スターの陰でひたすらに敵を潰して続けてチームを支える選手、
試合に出れずともベンチから檄を飛ばして仲間を鼓舞する選手。

それぞれのオーディエンスが
自分を重ねて応援できるからこそ、世界で一番人気のスポーツなんだろう。

中国ではなく日本が勝つ理由

そして、おそらく個人競技と違う
強化の難しさがここにある。

例えば中国はフットボールが政治的にも国力を顕示するために重要だとわかっているから、大量の資金を投入して、代表チームを強化しようとしている。
中にはわざわざ別の国から帰化してもらって代表チームに参加している元外国籍の選手も複数いる。

でもフットボールは卓球のように、1人のスターで勝てる個人競技ではない。
(中には1人でチームを勝たせてしまうとんでもないスーパースターもいるけれど。彼らだっていつもうまくいくわけじゃない。)


フットボールで勝つには、11以上のポジションや役割がピッチ内外で求められる。本質的に多様性を要求するスポーツなのだ。

これが個人競技であれば、
エリートを選抜し、競争を煽れば一定の成果が得られるだろう。

ただ、フットボールでそれをしようとすれば、
無数にある役割とポジションの一つ一つでそれを行わなければいけない。
そして意図的に行うこと自体が非常に困難なこうした強化策が仮にうまくいったとしても、その次にはチームとしてその才能をいかに組み合わせるかという問題が生じる。

だから、ヨーロッパの強豪国を見れば明らかなように代表チームを強化するには草の根レベルでフットボールを根付かせることが必要になる。多種多様な人材を生み出すためだ。

日本を背負ってゴールを守る3人のゴールキーパーは日本中でプレーする全てのゴールキーパー達を代表しているし、
サイドバック、センターバック、ボランチ、インサイドハーフ、ウイングバック、サイドハーフ、トップ下、ウイング、シャドー、センターフォワードもまた然りなのだ。

こうしたあらゆるポジションで選手たちの平均値が上がり、チームとして強豪国と戦えるようになるには、フットボールがスポーツとして裾野を広げていくための時間がかかる。

少し極端な言い方をすれば、
投資と競争だけではなく、
あらゆる層であらゆる個性の選手がプレーする環境がこのスポーツの強化につながっている。

JリーグがNPBの成功とは異なる路線で、”地域密着”を掲げて30年積み重ねてきたものは、こうしたスポーツとしての裾野を広げ、多様性の中から価値ある才能を生み出すこと、ひいては日本のフットボールを強化することに少なからず貢献しているのだろう。

人類の多様性への祝祭だと思うんだ

だから、
"Football Unites the World"も地球のお祭りであるワールドカップを観ているとそうなのだけど、

それ以上に
"Football Celebrates the Diversity of Humanity"だと思う。

2026年ワールドカップからは、
出場国が現行の32チームから48チームに変更される。
これには、伝統と希少性、エンターテイメント性の観点から賛否両論あるが、うまくすれば、より多彩なフットボールの魅力を世界中に提供してくれるかもしれない。

なにせ、目が見えなくても(ブラインド)、耳が聴こえずとも(デフ)、片足を欠損していても(アンプティ)できるスポーツなのだから。その魅力はより多くの人に届いて然るべきだろう。

そして、カタールワールドカップはまだ決勝トーナメントだけでも16試合が予定されている。その中には日本代表チームも残っている。きっと"新しい景色"を見せてくれるだろう。
(余談だが、このいかにも広告代理店チックな標語が次第に勝利とともに選手たちの口に馴染むにつれ、意味を持った生の言葉に変わっていく様はそれ自体見ていて中々興味深い。ただ、メディアがこうしてメジャーな国際大会で世論を煽るのは、真にフットボールが草の根で根付いていないことの表れでもあり、小さな田舎町にもクラブがあって週末にそのチームの試合で街全体が一喜一憂するような、ヨーロッパの強豪国との埋まらない差でもある。)


ともかくも、ぜひ多くの人に
地球のお祭りであるワールドカップをはじめとしたフットボールの多様な世界で、それぞれの自分だけのスターを見つけてほしい。フットボールは自由だから。

そして
Let’s celebrate football as football celebrates us all.

Vamos!

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