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小さな小さなグラノーラ屋の店主がボソボソと呟きます。クレイや東洋医学や脈診に出会い看護…

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小さな小さなグラノーラ屋の店主がボソボソと呟きます。クレイや東洋医学や脈診に出会い看護師を辞めました。裏の顔はクレイ足湯セラピスト。家族と犬1匹猫2匹と暮らしています。 instagram▷http://www.instagram.com/nicorirund_250

最近の記事

いくつになろうが怖いものは怖い。

歯医者は怖い歯医者に行くのが好きな人はどれだけいるのだろうか。 わたしは歯医者が大嫌いだ。 理由はただ一つ。 怖い。 その次。 痛い。 何が怖いって、あの削る音と、ガリガリと頭蓋骨に響く感じがもういやだ。 体質的に麻酔が効きにくいからというのもあって、 治療時にいくら麻酔をしっかり気味にかけてもらっても、いつかあのキーーーンといた鋭い痛みが走るのではないかと思うと、怖くて怖くてたまらない。 嫌な記憶前に親知らずを抜いたとき、 変な方向に歯が頭を出していたもんだから切開

    • 人のフリみて我がフリ直そ。

      「おいっ!ちょっと待てーぃぃ!!」 以前本屋さんに立ち寄った時に、 こう叫びたくなったことがある。 今年2月ごろだったかな。 いつものように本屋さんへ立ち寄った。 その日は見てみたい本があって、あるかどうかの確認をしに行った。 あるかどうかなんて、電話して聞くか、店員さんに直接在庫を聞いて確認したらええやんって思うでしょ。 違うんですよ。 分かるかなー。 あの、宝探し感?見つけた時のアハ体験(←古っ)。 あれを体感したいのです。 で、その日欲しかったのは絵本、あるいは児

      • 人を許す=自分を許す

        その昔すごく不快な思いをさせられたことがある。 当時、彼女とは同じ集合住宅に住んでいて、子どもたちの年齢も近かったから割と仲は良かった。わたしの方が彼女より年上だったこともあって、結構頼りにして慕ってくれていた。月日は流れ、お互い引っ越し、やりたいことをそれぞれ見つけ、時々近況報告しながらお付き合いは続いた。なんのいさかいもなく穏やかに続いていた友だち関係だったが、距離が近づけば近づくほど、わたしには何となく、彼女のズル賢いところとか、遠慮がなく、少し傲慢なところとかがチラチ

        • 人はヒト。自分はジブン。

          子どもの頃、母によーく言われてました。 例えば欲しいものをおねだりする時とか。 たいてい、何かおねだりをすると決まって言われていました。 「みんな持ってるもん」 「みんなって何人」 「...みんなはみんなや!」 「だから誰誰やって聞いてんねん」 「クラスみんなや!」 「アホか。そんなわけないやろ。人はヒト。」 てな感じでピシャッと言われて、ハイ、おしまい。 その時は、悲しくて悔しくてキーッてなってましたが、今となっては自分が子どもとあの頃の同じ押し問答を繰り広げているんで

        いくつになろうが怖いものは怖い。

          ソーシャルディスタンスがもたらすもの。

          昔から、群れるのが嫌いだった、というか苦手だった。 私が子どもの頃から友達を作るのが下手くそで、人との距離感が分からず、馴染めなかったり孤立したり仲間外れにされたりして、結構学校生活は苦労した。友達が1人もいなかったというわけではないけど、とにかくグループに入るのが何より苦手で、入ったとしてもすぐに離れたがって、最終的に孤立するという残念な学生時代だった。 子どもができてママ友とかいう言葉が出てきたけど、自分のスタンスはほとんど変わらなかった。一度、ママ友がらみでべったり

          ソーシャルディスタンスがもたらすもの。

          わたしがグラノーラ屋を始めたワケ

          私はとある町の古民家工房で 小さなグラノーラ屋をしています。 実は独断と偏見からグラノーラが大嫌いだった私。ひょんなことからグラノーラにはまり、知れば知るほどグラノーラの可能性に惹かれ、それまで続けていた仕事もやめてぐるりと方向転換し、約2年前に素材にこだわり無添加にこだわった自家製グラノーラを焼くグラノーラ屋になりました。 さて。 グラノーラの一般的なイメージって何でしょ。 わたしのイメージは、「ザ、セレブのオッサレ~な食べ物」でした。知った当時はかなり斜めからみる感

          わたしがグラノーラ屋を始めたワケ

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          古い長屋の古民家でグラノーラを焼いています。 お店のこと。 グラノーラのこと。 思うこと。 色々つぶやきます。

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