ソーシャルディスタンスがもたらすもの。

昔から、群れるのが嫌いだった、というか苦手だった。

私が子どもの頃から友達を作るのが下手くそで、人との距離感が分からず、馴染めなかったり孤立したり仲間外れにされたりして、結構学校生活は苦労した。友達が1人もいなかったというわけではないけど、とにかくグループに入るのが何より苦手で、入ったとしてもすぐに離れたがって、最終的に孤立するという残念な学生時代だった。

子どもができてママ友とかいう言葉が出てきたけど、自分のスタンスはほとんど変わらなかった。一度、ママ友がらみでべったりネッチョリした人にえらい絡みつかれ、そのひっつき具合に嫌気がさし、揉めた挙句、話し合いまで開いて友達を解消してもらったこともある。
どうやらその人の友達の概念は、常に自分の手が届く範囲にいることだったらしい。

おい。恋人か。

今のところ、わたしが友達と呼べる人は両手で足りる。いや、片手か。とにかく少ない。過去にいろんな事があって そのいちいちを振り払ってきた結果の今、わたし的にすごく楽だ。そして、わたしの周りにいてくれる人たちは、イエスマンばかりではない。そしてわりとほったらかしてくれる。そこがまた有り難い。群れるのは悪いことばかりではないこともわかるが、何かあればそこから離れることが難しいのも事実。

今、ソーシャルディスタンスという言葉を当たり前に目にしたり耳にしたりする。会いたい人にすぐに会えないもどかしさはあるかもしれないけど、会わなくてもいい、もしくは合わない人と顔を合わせる機会がグググーっと減って、人付き合いがさらに楽になったのはわたしだけか。

コロナのおかげで失ったものは大きいのかもしれないけど、逆に見つめ直すこと、振り返ること、整理すること、得るものの方が大きいんじゃないかなーって思いながら、今日はごまのグラノーラを焼いてます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?