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「あなたはだあれ。」/ショートストーリー

今年の冬は暑くて寒い。12月だと言うのに20度越えだった日があるかと思えば、翌日には10度にもならない日があったりと。
体がついていけない。
まだまだ若いつもりでいたけれど、来月には不惑の年ともなるとやはり体は嘘をつけないのだろうか。
だから、風邪をひいてしまうのも致し方ないと思う。

「春田さん。風邪ですか?」
「えっ。」
どうやら、休憩室の洗面所で咳き込んでいるのを後輩に見られたらしい。
「ごめんね。休憩室で調べたけれど陽性ではなかったから、安心して。」
「そんなつもりでないんですが。御大事に。」
後輩は困った顔をしてわたしを見ている。
わたしはマスクをしているから、後輩にはあまり表情はわからないかもしれない。
決して不快な表情はしていないはずだが自信がない。
自分はどんな顔をしているのか、なんて。

実のところ、春に社会的にも会社的にもマスクの着用は個人の自由になったのけれど。
わたしはずっとマスクをしている。
化粧が面倒だということも理由のひとつ。元々、顔の造形に自信がない。
ひどく、見た目が悪いわけではないが、とびっきりの美人でもない。
どこにでもいそうな顔だと思う。なんの特徴もなくて。
性格もそんな感じだから。
だから、だから。
マスクをしていようとしていまいと誰も気にしない。

あれはマスクを個人の自由にしますと朝礼で言われた翌日。
ほとんどの人たちが(恐る恐るという雰囲気ではあったが。)マスクなしで出社していた。
中にはフルメイクできるのが嬉しいと言う女性もちらほらで。
わたしはとても慎重派なので、様子見のつもりだった。
マスクをしなきゃいけない日とその翌日のしなくても良いと言う日の違いがどうしてもわからなくて。
それでも、夏になって暑くなると、どうしたってマスクはきつくなるのは過去の経験からだ。
夏までにはわたしだって、マスクをやめるつもりだった。


それなのに。
マスクをしていない同僚たちの顔を見たら。

どの顔も見知らぬ人だった。
あなた、こんな顔をしていたのと心で叫んでいた。
知らない顔が知っている声で話されるのは脳が混乱するようで、その日一日は吐き気が収まらず、早退してしまうぐらいに疲弊してしまった。
一人暮らしのアパートにたどり着くと世界で一人きりになってしまったかのように不安で携帯で弟を呼び出していた。

弟とは仲が良くて、家も近くで、二人とも一人暮らしなのだから子供の時のようにずっとべったりでもおかしくはないのに。
逆にいつでも会えると思っていたせいで実際には半年に一回ぐらいしか会わなかった。
それでも、どこかおかしいわたしの声を聞いてすぐにかけつけてくれた。

ドアが開いて弟の顔を見たとき。
見たとき、わたしは倒れてしまったようだ。
その際の記憶が抜けているからわからないが、悲鳴もあげたような気もする。
弟の顔は全然見知らぬ顔だった。
「ネエサン、ダイジョウブ。」
その声は間違いなく弟の声だと言うのに。

きっと、誰もわたしの言っていることを理解できない。
わたしだってわからないのだから、仕方ない。
マスクがない顔を見るといつもいつも見知らぬ顔になっている。
それは。


自分の顔でもだ。
わたしはマスクを外せない。
そして、毎朝、鏡を見る度につぶやく。


「あなたはだあれ。」


















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