頑張る気持ちの「勘違い」が一番辛くなる。

こんにちは、にこママです!
私が最も勘違いしていた「頑張る」ことについてお話ししたいと思います。
頑張ることの何を勘違いするの?言葉の通りじゃん。と思われるかもしれませんが、私の勘違いは「何を」頑張るのか、それは「価値」ある頑張りなのかという部分を経験を元にお話ししていきたいと思います。

過去の私が思っていた「頑張る」

例えば、前職時代の実体験からお話しすると、

・自分のタスクがいっぱいでも頼まれごとは受け入れる
・案件の大小問わず全てを受け入れる
・物事のすべての過程を気にかける
・昼休憩も取らずにサービス残業、徹夜は当たり前

大まかですが、いくつか例に出すとこんな感じです。
今、字面で見てもキツイな〜と思っちゃいます。

前職時代はとにかくこれらを全て対応し、身を粉にして働くこと(常に忙しなく動いている自分がいること)が「頑張る」ことだと考えていました。

勘違いし続けていたが故に起きた変化

その結果、どんな変化が起きたかというと、

・体調を崩す
・常にイライラして家庭と仕事の両立に歪みが生まれる
・本来の自分の仕事がおぼつかなくなる
・ミスを指摘される

こんな感じです。最悪ですよね。マイナスなことしか起こっていません。

通常、自分のタスクを管理しながら作業していましたが、それに加えて何かと受け入れるわけですから、せっかく立てたスケジュールがゼロになることもしばしばで…、その状況が繰り返されると本当にストレスを感じます。

そして、受け入れたからには最後までやり抜かなければいけなくなり、ここからサービスタイムが始まります。お給料には全く還元されませんし、さほど自分の実績になるわけでもありません。という事は、それだけ頑張ったつもりでいても、私の価値は上がってないんですよね。残念としか言いようがありません…。

また、当然と言えば当然ですが、自然と体調にも影響が出ました。
睡眠時間が削られ、常にストレスを感じている状態にあるので頭の回転も悪いですし、体がだるく、眠たいんです。

子どもたちに癒されることももちろんありますが、小さな子たちには常にサポートが必要ですので気が抜けません。いつしか全てにストレスを感じてしまい、常にピリピリしていました。

「頑張る」という言葉を考えてみた

果たして自分はうまく頑張れていたのか、ただ自分が頑張った気になっていただけではないかと考えたんです。結果として自分の頑張りに対する評価は低く、頑張った分だけ自分に還元されていたわけではありませんでした。

「何を」「どのように」頑張れば「価値」があるのか

ここを考え実行するだけで、周りが変化しました。
まず、すべてを受け入れないことです。

私ではなくても、隙間のありそうな方へお願いすることもできるでしょうし、力を合わせて達成させることもできると思います。それによって自分の価値が高まるのであればやるべきですし、何かのアクシデント処理など実績に残らないのであれば専門の方へ流せば済む話だと思いました。

もちろん自分の部署で完結させることで色々な方とのやりとりが減り良い面もあるかもしれませんが、果たしてそれは本当に効率的なのか。やりとりを最小限にし、効率よく仕事を振った方が圧倒的に自分への負荷は減ります。

また、このように考え、実行することで自分のタスク管理もうまくいくようになり、本来の自分の仕事での実績が積み上がりました。正当な評価を受けることもあり、「頑張る」バランスの重要性を再認識したように思います。

頑張ることのバランス

以前の私はバランスを取ること自体難しく感じていました。と同時に、「こんなに頑張っているのに…」のような被害者意識と言いいますか、マイナスな感情が渦巻いていた気がします。こういった感情を持つこと自体おかしいのですが、当時は持っていましたね。今振り返ると、自分でいろんなものを受け入れておいて、全てに評価を求めるなんて厚かましいにも程があるなと思います。

過去の自分を往復ビンタしたい勢いです。

現在、フリーとして活動していますが、全く持って収益も生めてないですし、実績もさほどないです。そんな自分だからこそ、力を入れるべきところを見極めて頑張るべきだなと感じています。

今一度冷静に、自分の状況を確認していきたいと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!



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