Thank you for playing
目を覚ますと土曜の午後だ。
つけっぱなしのPCは一晩中ランダムに曲を流していて、目覚めのたびに知らない誰かの作った知らない曲を耳にする。
14時。月曜の朝まで40時間。無意識に計算する。
寝る前に浸水させておいた米を炊き、作り置きのスープを温める。肉を切って火を入れる。
PCに向かい、SNSを眺める。寝ている間にも、この世界は更新され続けている。
「本日リリースのゲーム5選」
「本年最高傑作ゲームを遊ぶべき10の理由」
「特別なあなたのための特別なインディーゲーム」
一通り既読にしてウィンドウを閉じる。フライパンの火を弱める頃合いだ。
もうしばらく強火で炙りながら考える。
一日かけても遊び終えられないだけのゲームが、一週間ごとに生み出される。一生をかけても遊びきれないだけのゲームが、一日で生み出される。
独創的なゲームがいくらでも量産される。それは嘘だ。自分一人が働いている間、数万人の人々が働いた労力の膨大さが、そう見せているに過ぎない。ましてや、自分が寝ている間も、数万人の人々が働いているのだ。
産業は発展し、技術は進歩する。自動生成された荒野を好きなだけ歩き、自動生成された文章を好きなだけ読める。自分がプレイすべきゲームの紹介を自動生成することもできる。
弱火にして肉に蓋をする。冷蔵庫を開け、炭酸水とグレナデンシロップを混ぜてレモンを垂らす。いつもより炭酸を強めにして。
PCにもどってブラウザを閉じ、ゲームウィンドウをアクティブにする。オートセーブ付きだが、別に閉じる理由もない。眠っている間も世界は動き、ゲームも止まらない。
ポイント&クリック。キャラクターを操作し周囲を調べる。
ポイント&クリック。アイコン表示、選択肢、ハイライト。
ポイント&クリック。なんて原始的なビデオゲームの喜び。
このゲームをプレイするのは、これで三周目になる。膨大な選択肢が用意されていて、何度プレイしても面白い。
しかし、選択肢によって大きな分岐があるわけではない。ほとんどないと言ってもいい。火曜日と水曜日の違い程度だ。
だからこそ、プレイするたびに気ままに選べる。
いま選んだ選択肢が、過去に選んだものと同じかどうかさえわからない。既視感と未視感の境界を奇妙に浮遊できる。見慣れた町を、いつもと違う時間に歩くときのような感覚。
選ばされるのではなく、選ぶ選択肢。
読まされるのではなく、読む文章。
任意の語句を選んで詩さえ作れる。
きっと、これが今の気分なんだろう。
今週は生き延びるだけで精一杯だった。明日になれば楽になる。そう祈る日々だった。
今週も生き延びるだけで精一杯だっだ。明日になれば楽になる。昨日も、そう思った。
きっと、明日もそう思う。
米の炊ける音がする。火を消して食事の支度を整える。
肉を切り口に運びつつ、目の前のゲームを追っていく。
舞台はアメリカ中東部、名前しか知らなかった町。
いまはもう違う。
そこでは人々が馬を育ててともに暮らした。
そこでは人々がウィスキーを蒸留し飲んだ。
そこでは人々が世界最大の洞窟を探検した。
昔見た一枚の絵を思い出す。
およそ一日だけの冒険。それも夜や闇を過ごす時間が大半。
だからこそ、風光明媚な土地の陰影を強く描き出している。
遠いカメラによるカット割りは、どこを切り取っても構図が決まっている。美しい風景は、時に幻想的な光景を見せる。
マジックリアリズム。シュルレアリスムに端を発する、ラテンアメリカ文学の掲げた理想であり広告。現実と幻想をかき混ぜ、時として寓話的に、時として歴史的に描き出す、文学的実験。20世紀の終わりにあった、そんな時代を思い出す。
昔読んだ本を思い出す。それはこんな風に始まる。
やがて暗号と偶然の下僕と成り果てたシュルレアリスムが、もともとは人間の意識を表現するための絵筆だったように、マジックリアリズムは現実の世界を描く技法だったと思う。
広く読まれ得るだけの分量の小説という小瓶に、現実の世界という大海をどうにか注ぐために、非現実的な描写や挿話を作家たちは積み重ねた。それは意味を圧縮するという点で象徴主義だった。それは空間だけでなく、時間をも圧縮した。
やがて敗れるマジックリアリズムの夢を、このゲームは真摯に追い続けている。神秘的な現象は多々起こる。しかしそれは、あくまでこの土着的な物語を結晶化させる手法に他ならない。簡潔明瞭な物語はどこにも用意されていない。あるのは、おびただしいまでの膨大な細部のみだ。だからこそ描けるリアリズムがあり、その名をマジックリアリズムと呼ぶ。
だからこそ、日々を生きる燃料になる。
だからこそ、夜な夜なプレイし続ける。
現実の世界とは、細部の積み重ねに他ならないのだから。
ここに描かれているのは、自分の現実でもあるのだから。
好きな作家が死んだ日も、ドアを開けなければならない。
親しい知人が死んだ日も、喉は渇き、腹の音は鳴り響く。
体が動く時は、いつだって自分の都合でいっぱいだ。
現実を生きる人間とはそういうもので、だから救いがいる。
こめかみを指でこじ開けて、意識を飛ばしてくれるものが。
このゲームには山程の引用と参照が出てくる。文学、美術、映像、エトセトラエトセトラ。同じぐらい、独自の表現も出てくる。それは巨人の肩の上に立っているという歴史への敬意と、それを表明するだけの自負を感じさせる。
実際、作中では古典的なゲームの一作を再現したシーケンスが存在し、実際に遊べる。そして、そのゲーム内容と本作とに繋がりを持たせてすらいる。それは現在という名の、過去と未来との界面に生まれる泡を思い起こさせる。
食事が終わる。皿を洗い風呂を掃除し、シャワーを浴びる。
時計を見ると、月曜の朝まで36時間。
また仕事が始まる。帰宅して、一日を終える支度を整え、仕事を始める時刻までの時間を計算し、寸前までゲームをする日々が始まる。
果てしない仕事という細部によって築き上げられた、この現実の世界を生き延びる日々が。
自分の仕事も、誰かの日用の糧になっていると祈る日々が。
ゲームは最終盤に差し掛かっている。場面ごとに変わる視点人物たちが一堂に会し、亡霊とともに馬たちへ歌を捧げる。
https://ashi-yuri.hatenablog.com/entry/2023/07/24/005551
そしてゲームが終わる。
薬を飲んで眠りに備える。
やがてくる、今日のために。
馬たちへ捧げられた歌を繰り返し再生しながら床につく。
光を消し目を閉じ意識を失うまでの束の間、祈りを捧げる。
このゲームを作り、運んできてくれたすべての人々へ。
Thank you for playing。遊んでくれてありがとう。
ゲームとことば Advent Calendar 2023 9日目
「ゲームに疲れた人にオススメしたいゲーム」
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