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頑張り屋からの卒業 結果を出る理由を【頑張りのせい】にしない

6月9日岐阜県飛騨高山で
第12回飛騨高山ウルトラマラソンが開催!!

2024年はゆっくり長く走る(マラソン用語でLSD)を
中心にした練習をしようと思っていて
より楽しむために何かいいレースがないかな?と探していたところ

ぎりぎり募集されており
すべり込みでエントリーすることができました

久々の春のウルトラマラソンです(100キロ)
春と言っても25度ぐらいは毎年気温はあがるので
過酷なレースです。

飛騨牛が食べれるのも
おすすめな大会

なぜゆっくり長く走ってるのか?というと
フルマラソンのベストタイムを更新するために
頑張って一生懸命追い込むような練習を
この数年間していたんですが

なかなか結果が出ず・・・。

何かやり方が間違っていると考え
原点に返り、長くゆっくり走ろというところに
行き着いたわけなんですが

ついつい【頑張り屋】さんは
【頑張らないと結果が出ない】
思ってしまう考え癖があるんですよね。

そして結果が出ないと
【すべて頑張りのせいにしてしまう】



もっと言えば
【頑張らないのが怖い】
【できない自分はダメだ】
【努力してない自分はダメ人間】

そんな風に裏返しで思っているのかもしれません。

これはマラソンの練習だけでなく
普段の生活、仕事、人生にも当てはまることで

結果=頑張りや努力の量


だと思い込みすぎているということです。

頑張りや努力の量だけではなく
他にも
人との出会い
運、タイミングなど
さまざまな理由があるのに
【頑張りのせい】にしてしまう。

だから
頑張って、頑張って
体や心を壊してしまう人も
多いんですね。

なぜ頑張ってしまうのか?
なぜ頑張らないと罪悪感を感じてしまうのか?

幼少の頃に頑張らない自分を【誰か】に否定されたり
頑張ること、結果出すことで【誰か】に喜んでもらえたり
頑張り続けること、成長し続けることを【誰か】
期待されたり、求められたり・・・。

さてさて
【誰】の顔色伺ってたんでしょかね。

よーく思い返すとほとんどの方が
【親】→【お母さん】ではないでしょうか?

あの頃のお母さんに
喜んでもらうため、褒めてもらうため。期待に応えるために
頑張ってたのではないのでしょうか?

そんなことをしている内に
【頑張らないこと】
【成長しないこと】
【そのままでいること】

【罪悪感】を持ってしまって頑張り続けてしまう。

そんな循環を人生で繰り返しているのではないのでしょうか?

頑張ること、努力することで
結果が良くなるということは
間違いではないと思いますし
頑張ることも楽しいと思います

ただ全部
【頑張りのせい】にしてしまうと
【頑張り続けないといけない】
ずーとエンジンを蒸かし続けた車みたいになっちゃい
どこかでガタが来てしまいます。

頑張らなくても、期待に応えなくても
あなたは認めてもらえるし、褒めてもらえるし
愛してもらえる。

あの頃の自分を癒してあげる。

そんなことから
頑張ることを手放すきっかけになります。

頑張らなくても
自分が楽しめることを存分にやってみる。

もちろん結果が出る時もあるし
結果が出ない時もある。

そして
結果が出るという経験をした時に

頑張りだけじゃなかったんだなということを
少しでも感じてもらえると嬉しいなと思います。

そして最後に
自分自身のマラソンの結果と言うと

飛騨高山ウルトラマラソンスタート地点

12時間13分24秒で
このコースでの自己記録更新となりました。

77キロでちょっとハプニングがあり
胃がやられて走れなくなって
最後は歩きが多いゴールとなりましたが

4月、5月の長距離練習がよかったせいか
77キロ地点までは楽しい旅路となりました
こんな楽しい思いをしながら走った
ウルトラマラソンは初めてでした。

笑顔で楽しく疾走中

心肺をあげることなく
無理することなく
マイペースを貫いて

今年のフルマラソンどうなるやら。
もうすでに猛暑がやってきて
今年も暑くなる感じですが

夏終わるころまで
ぼちぼちゆっくりと
カラダの負担をかけないように
走っていこうと思います。



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