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何が正しくて、何が間違いか



僕たちが生きる日常の中で、

「正しい」や

「間違っている」と

判断していることは、

本当に「正しく」、
本当に「間違って」いるだろうか。




自分が"正しい"と思っている事は、

別の視点からすれば間違っていたりする。



自分が"間違っている"と思っている事は、

別の視点からすれば正しかったりする。





僕は批判や否定の感情を抱く事はあっても、
それを表現するまでには至らない事が多い(と思っている)。




何故ならそれはあくまで僕の感覚であって、

他者はそう感じていない、
むしろ肯定している事もあるからだ。




批判や否定を見たり聞いたりすると
ネガティブな感覚や嫌な気持ちになったりもするし、

可能な限り、肯定して生きていたい。





という事を考えていると、


僕は自分自身を否定したり、
批判する癖が
30年近く生きてきた大半の間にあったのだと気づいた。




外向きには「否定より肯定を」とか言いつつも、

自分に対しては否定する方が多かった。




それが自分を鼓舞するエネルギーであり、
成長につながると思っていたのかもしれない。


「自分はまだまだ」
「これくらいしか出来ていない」
「こんなものじゃない」



こうやって自分を低く見積もれば、
ある種"できていない"自分が
虚構の安心感にもつながってくるから厄介だ。


でも、

「自分はまだまだ」は
外から見れば
結構出来ていたりする。


「これくらいしか出来ていない」は
外から見れば
「めちゃくちゃ出来ている」
だったりする。


「こんなものじゃない」は
外から見れば
「案外こんなもの」だったりする。


視点が違うだけの話なのだ。





そしてそもそもの話、
何かを成そうが成さまいが、

僕は僕だ。
僕以上でも以下でもなく、

僕でしかない。

僕である事だけで、もう充分だ。

あなたはあなたであるだけで、充分だ。

もう、足りているし、満ちている。





人間はみんな、幸せになりたい。

幸せになるには、
足りないと感じるものを埋める事が必要だと考える。

でも、それが充足した時に、
また別の不足感がやってくる。


「あの時の不足感から、満ち足りた今」
という事実は忘れて。


本当に幸せになるには、
「もうすでにそうなっている」と気づく事だ。



その為には自分の感じる事を感じるままに、

表現し、行動し、創造していることが大事なのだと思う。




だからこそ、矛盾しているようだけれど、

自分の正しさは誰かの間違いである以上、

そこに本当の正しさは存在しない訳で、

そこに上も下も右も左も存在しない。

善も悪もない。



自分の感じる事、

それがポジティブであってもネガティブであっても、
それはそれでしかなく、

それを表現する事は、自分を大事にすることでもある。





もっと、自分を沢山表現していいし、
もっと、自分を褒めてもいい。





自己肯定をベースにした行動と、
自己否定をベースにした行動は、


感覚的な軽やかさも違えば、
どっしりとした安定感も
前者の方が圧倒的だ。


後者は重く、暗く、苦しいが、
前者は軽く、明るく、嬉しい。






30歳を目前にした今、
改めて自分への決心をする次第です。

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