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Happy New Year そして私の生い立ちを解放

こころ笑うサロンNICOLA、3年目の年が始まりました。
今年もみなさんの心と身体に寄り添うサービスをお届けできるよう、日々精進してまいります♥️
よろしくお願いいたします。

写真は北九州市八幡西区の、私が11歳から20歳まで暮らした場所です。息子を連れて離婚した時も1年間暮らしました。市営住宅や公団住宅、企業の社宅など、団地だらけの場所です。
私の実家は市営住宅で、母は今もそこに暮らしています。

今年の私のテーマは『解放』。
昨年から少しずつ進めていますが、感情、才能、愛、自分らしさ、モノ、お仕事、全ての面でシンプルになるべく解放していきます。

私の出自のようなものも、ここに解放。


私の父はバリバリの営業マンでしたが、心身のバランスを崩して #アルコール依存症 になりました。幼少の頃、父はいつもワンカップを片手に運転して、私は酒屋さんでお菓子を買ってもらうのが楽しみでした。

私が7歳のとき、自分でコントロールしきれず危機感を覚えた父は、精神病院に駆け込み、そのまま4ヶ月間入院しました。
退院してからは、会社に復職はできたものの、名古屋から遠く九州に飛ばされてしまいました。ここから母の苦労人生の始まりです。アルコール依存症は、病院に行けば治るというものでなく、一生付き合っていかないといけないからです。

九州に来て3年ほど経った頃、父の勤めていた会社は倒産。バブルに沸いていた時代でしたが、経営者の不正か何かで倒産したそうです。
ここで、私の『ピアニストになる』という夢が絶たれました。月謝が、払えなくなってしまったので。
この経験があるので、私は子どもに対して「お金がない」という理由で何かを諦めさせることは絶対にしたくないと思っています。

50歳を過ぎていた父は、退職金で起業するも仲間割れで空中分解。職を転々としたあげく、付き合いのある精神病院で雇ってもらえることになりました。
そして60歳で、ソーシャルワーカーの資格取得。そんな年齢になってすごいって、尊敬してました。

でも父を尊敬してることも、父を好きだということも、本人にも家族にも言ったことがありません。母の顔色を伺って、そんな素振りは見せられなかったんです。

脳梗塞の発作を何度も何度も繰り返した後に70歳で寝たきりになった父は、80歳で息を引き取りました。
寝たきりになったのが息子Hayatoが生まれた年、亡くなったのが娘Yuiが生まれた年でした。

去年のおわりに私は「私は母から愛されている」んだということを、初めて実感できました。それは母に何か言われたのでも何でもなく、自分で心と身体を整えて、自分を深掘りしていった結果でした。

最終的に力を貸してくれたのは、#マナカードコーチング をしてくださったスミエさんでした。そこに至るまで、色んなセラピーやヒーリング、カウンセリングなどを受けました。

母に愛されてる、と気づいたら、生きるのがとても楽になり、世界が輝いて見えるようになりました。そして色んな身体の不調が改善されていったり、会う人会う人から明るくなった、柔らかくなったなどと言われるようになりました。

実家が市営住宅であること(=貧しさの象徴)や、父や母のことでコンプレックを持ってたことも、気にならなくなりました。
父のことを好きだと、今なら母に打ち明けることができます。それを聞いて母が喜ぶであろうことも、分かります。

生きづらさを抱えてる人は
こんな感じなのかもしれません。
何か一つ、要になってる鍵を解いてあげると
スルスルと色んなことが解けてラクになっていく。

今の私みたいに。

そんな手助けの一端を担う私でありサロンでありたいと思います。

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