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悼む色は赤            「憎い相手を喰えたなら」

「『変なモノ』が出てきた? 壁から?」
 午後の業務はアクルの携帯電話に掛かってきた緊急連絡から始まった。


 のんびりとした冬晴れの昼下がり。年末調整も終えて事務方は一段落。会社にいつもいるメンバーはいつもより緩慢に生きていた。
 赤松は解体を依頼された工場についての資料を読んでから遠い目で窓の外を見ていた。かなりの難工事なのに依頼主がケチなので、殆ど利益の出ない見積を作る気になれない様子だった。
 イノリとアクル、そしてクエの三人は円柱型の石油ストーブで餅を焼き、干し芋を焼き、鍋でココアを練っていた。こちらもこちらで寒い月曜日はどうにも働く気になれない三人が冬限定の間食を楽しんでいた。幸いアクルに来客予定がある程度で、他に急を要する仕事は無かった。餅はイノリが食べ、干し芋はクエが食べ、ココアはアクルが飲む。「会社でストーブ出してきて餅焼いたの初めてです」「今日はもう仕事しなくて良いんじゃないか」「あったかいねぇ」なんて会話をしながらのんびりと過ごす。
 気を利かせたイノリが社長の分も、と餅を焼いていたところでアクルのスマートフォンが鳴った。会社から支給されているモノだ。この携帯に電話が掛かってくるということは間違いなく急を要する仕事の連絡だ。
 アクルはマグカップを置いて2コール目には電話に出た。現場に出ている作業員からだった。
「はい、ああ、斉藤さんどうしました?」
 席を立って赤松のところへ向かいながら彼女は電話を続ける。良くない話のようだった。
「・・・・・・『変なモノ』が出てきた? 壁から?」
 アクルの声に赤松が振り返る。餅が焼き上がったので、様子見を兼ねてイノリは餅を運ぶ。
「お餅でーす」
「悪いな」
 イノリが恐々と「事故ですか?」と尋ねる。赤松は肩を竦めた。
「違うな。事故だったら俺に掛けてくるようにしてるから」
 彼の視線の先にいるアクルの顔は険しい。
「・・・・・・そうですか、どんな感じになってるとか・・・・・・あー、なるほど、両手を交差して、あー・・・・・・分かりました。もう見なくて大丈夫です。外に出てください」
 アクルは諦めを含んだ表情で赤松に「社長、クエさん案件です」と告げた。社長は「マジか」と言い、ストーブの前で温まっていた老人を呼んだ。クエは「はーい」とトコトコやって来る。
「クエさん、今から出てもらいたいんだけど」
「大丈夫ですよ。でももしかしたら明日お休みを頂くかも知れません」
「いいよいいよ。一番大変な役回りなんだから」
 「詳細はアクルに聞いて」と赤松は言う。まだ彼女は電話で話していた。
「触った人は・・・・・・あー、ベトナムさん他にはいない? じゃあその実習生達は別に確保しといてください。ええ、元請には触らせないで、警察も呼ばせんでください。理由は適当につけといて、なんか言われたら発狂したフリして乗り切るか社長に電話させてください。とにかく、クエさんが到着するまで現場に入らせないように」
 追い縋るような中年の声が電話口から聞こえてきたが構わずアクルは通話を切った。それから赤松達に説明する。
「廃ビルの解体で、作業前の確認をしていたら地下のフロアの壁が割れていたそうです。前日までは無かったと。別業者の施工班が何か埋まってるのに気付いて壁を少し剥がしてみたら、死体が出てきたと。半生みたいなミイラ。多分生き埋めだと思います。で、その死体が数珠と経典ぽいの握って両手交差させてると」
 「確実に障る系ッスね」というアクルの言葉に赤松とイノリは「げぇ〜」とリアクションし、クエは「あら〜」と苦笑する。
「じゃあ僕行ってきます。あ、何か持って帰らなきゃダメかな?」
 彼はアクルに尋ねる。彼女は腕組みして思案する。
「多分、死体は四方の壁にあって・・・・・・中央に本尊的なヤツがあると思います。本尊破壊しないと駄目でしょうね」
「じゃあ車のほうが良いよねぇ」
 すると赤松は「じゃあ尾上さん一緒に行ってやってくれ」と言った。イノリは急に指名されて「えっ」と驚いてしまう。
「あっ俺ですか?」
「うん。俺は今日のうちに見積出さなきゃいけねぇし」
「私は三時にリクルートと新卒の話をしなきゃなんで」
 赤松もアクルも予定がある。クエは既に免許を返納していた。専ら電車移動をしているクエの為に誰かが車を出さなくてはいけない。
 別にイノリは構わなかった。赤松が「なんかあったら明日休んで良いから」と言うのにかなり引っ掛かったが。



 クエを乗せて、イノリは問題の廃ビルへと車を走らせた。会社から車で一時間弱のところにそのビルはあった。
 新しく開通した、特急が停まる駅のある街。再開発計画が立ち上がり解体工事の案件も出てきた。赤松の会社が引き受けた仕事の中に、小さな雑居ビルがあった。

 その雑居ビルは新興宗教団体の持ち物だった。家賃収入が目的なのか、地下以外には最上階の四階まで居酒屋や台湾料理屋が入っていた。テナントは全て埋まっていたが、異常に入れ替わりが早かった。
 入っていた店の従業員が病気で休む、怪我で休む、傷害事件を起こす、人を殺す、自殺する、火を点ける。店の中でそんなことが起きるようになった。
 宗教団体が消えた後に残されたビルは日を置かぬ内に廃ビルとなった。不思議と、そのビルについての怪談は出なかった。

 クエが貰ってきたビルについての資料を読み聞かせてもらい、イノリは青い顔をする。そういう「噂の出ない場所」なんて曰く付きの極みではないか。
「あ〜怖い・・・・・・怖いよぉ〜・・・・・・死にたくない・・・・・・」
「大丈夫だよ尾上くん。死んだら怖くなくなるから」
「ウワァーン! 優しい顔で怖いこと言ってくる!」
 そんな車中で到着した廃ビルの前には現場担当である斉藤が待っていた。
「あっイノリちゃん! クエさんも! 遅い! 遅いよ!」
「すみません斉藤さん。それで、あの・・・・・・どんな感じですか?」
 四十過ぎの痩せた現場担当は滝のような冷や汗を掻いていた。口周りには涎の跡があった。
「さいやく、さいあくだよ。ベトナム達、胃の中全部出してひっくり返っちゃったよ」
 怖い単語ばっか聞こえてくる、とイノリが涙目でいると彼の後ろからひょっこりとクエが顔を出した。
「先に実習生くん達のとこ行こうか」
 斉藤は嫌そうな顔をしたものの、「こっちッス」と現場事務所の裏手へと案内する。
 事務所の裏に、ベトナム国籍の外国人実習生二人が蹲っていた。二人は母国語でぶつぶつと呟いている。
「あぁ、これじゃあもう駄目だねぇ」
 しみじみと老人が呟くのが一層の恐怖を煽った。クエは彼等に近寄る。そしてその痩せぎすの肩をぽんぽんと軽く叩いた。
「ハイハイ、大丈夫? 心配だなぁ僕。可哀想になっちゃうなぁ」
 彼がそんな風に声を掛けた瞬間、獣のような悲鳴を上げて実習生は飛び上がった。バタバタと手足を動かして逃げ出した彼等を斉藤が追い掛けていった。後に残されたのはクエとイノリだけだった。
「な、なんですか今の?」
「・・・・・・元気になる魔法かなぁ」
「いや絶対違うでしょ」
 イノリの言葉は聞こえなかったことにしてクエはスタスタと先に行ってしまった。置いてかれまいと彼は追う。
「あ、尾上くん。コンクリ斫るからピック借りてきてくれるかな?」
「えぇ? わ、分かりました」
 イノリは事務所で訝しげな視線を受けながら道具を借りてくる。それを持って、イノリ達は廃ビルの中へと入った。
 既に内装は取り払われていて、下地が露わになっていた。なんとなく、イノリには室温が低く感じられた。地下へと降りる階段は奥にあった。
 地下は壁がなく、ワンフロアになっていた。あるべきはずの柱は無かった。
「よくこんなモノ建てられましたね・・・・・・」
 有り得ないというリアクションをするイノリに「多分設計したのも検査したのも同じムジナだろうね」とクエは淡々と返す。階段側の壁、その中央のコンクリートが剥がされていた。
 剥がされた部分に近付いて見て、イノリは呻いて口を覆った。苦悶の表情を見せるミイラは交差させた手首を、何本もの釘で打たれて繋がれていた。その手にはボロボロの経典と、割れた数珠が強く握り締められていた。
 イノリは言葉も出ない。クエは「うーん」や「あらー」と間延びした声を出すだけだった。

 イノリ達の背後で、三方向から同時に「ばきり」と音がした。

 驚いたイノリは振り返る。正面、そして左右の壁の中央にヒビが入っていた。割れた場所からミイラが覗いていた。
 恐怖によって声も無く嗚咽するイノリに、のほほんとした声でクエは言った。
「あー・・・・・・真ん中、剥がしてみよっか」
「俺、死んだりしません?」
「三割くらいの確率で生き残れるよ」
「低い! まあまあ低い!」
 半泣きのイノリだが仕方ない。「助けて社長」と祈りながら部屋の中央まで行き、コンクリートに電動ピックを当てた。激しい打突により硬い床は割れた。破片を退かせば、棺が現れた。
 ヒュッ、とイノリの喉が鳴る。脇に立っていた老人を見る。
「クエさん!」
「多分これが大元だろうね」
 出さないと、とクエが言うのでイノリは必要な分だけ床を砕いた。
 コンクリートの中から現れた棺は木製で、全長は1m程度だった。蓋には封印が貼られている。
「・・・・・・剥がさないほうが良いですよね」
「うん。僕等が剥がさなくても勝手に剥がれるよ」
「えっ?」
「うん?」
 恐怖で暴れ出さない自分をイノリは褒めてやりたかった。クエはスマートフォンを覚束ない操作で使い、どうにかアクルに電話を掛けた。現状を説明して対策案を話した。
「僕ん家持って行くのが一番かな。一人じゃ運べないから尾上くんに手伝ってもらって、うん。だから尾上くんも明日お休みで。はい、宜しく。元請さんには社長から連絡してもらったほうが良いかな。うん、はい。ご苦労様ですー」
 電話を切ってクエは「じゃあ運ぼうか。車に積んじゃおう」とイノリに指示する。
「あの、クエさん・・・・・・説明して欲しいです俺」
 困惑と恐怖の最高値を更新し続けているイノリに、彼は「そうだねぇ」と少し考えてから答える。

「一緒に運んでもらう箱、触るだけで死ぬと思うんだよねぇ」

 それを聞いてイノリは今年一番の絶叫を上げた。



 車に棺を積み込み、イノリは道案内をしてもらいながらクエの家へと向かった。もう夕方近くになっていた。
 チェーンのうどん屋で早めの夕食を取ったが、イノリは殆ど食べられなかった。うどんの味がおかしかった。普通の釜揚げうどんのはずなのに、どうにもドブのような臭いがする。不味くてとても食べられたモノではない。
 イノリの様子から察したクエは稲荷寿司を食べながら教える。
「ああいうのに触ると味覚駄目になっちゃうよね」
「アーもう嫌だァー・・・・・・」
 泣いている彼に老爺は笑う。
「それなら会社の場所も最悪だよ。あそこ、確か処刑場じゃなかったっけ。よく『変なモノ』がいるでしょ?」
「心当たりしかないです」
 イノリは真顔で頷いた。年の功、という態度でクエはアドバイスする。
「寿命が死ねないからね、この会社」
 最早イノリは笑うばかりだった。


 クエの家は郊外の古い一軒家だった。二階建てで、純日本風の邸宅らしく門まであった。空っぽの車庫に車を停めて、二人は棺を下ろした。
 クエが車庫のシャッターを下ろしている間に玄関を開けて置いてくれと鍵を渡してきた。鍵を受け取ったイノリは古過ぎて無用心にも思える鍵を開け、玄関の引き戸を引いた。
「お邪魔しまーす」

 何気なしにそんな風に声を掛けた。すると奥から「どうぞ」と若い女の声がした。

「えっ?」
 イノリが戸惑っているとクエが声を掛けた。
「あれ、どうかした?」
「クエさん、一人暮らしでしたよね?」
 年末調整の書類を見ているので彼の家族構成をイノリは知っている。クエに同居者はいない。離婚しており、子供達は既に成人して絶縁状態だと聞いている。
 クエは「そうだよ」とだけ答えて、棺を運ぶのを手伝うように言った。
 古い家は広いが殺風景だった。棺は一階の仏間に置かれた。それからクエはイノリを居間に案内し、茶を出した。
 恐縮するイノリにクエは今後について説明した。
「今晩ここに居れば問題は無いから。怖い目には遭うけど」
「遭うんだぁ・・・・・・」
「あと、僕は一人暮らしだから。誰かいても気にしないで。あと悪いけどお風呂は今日入らないほうが良いよ。怖いのが出るだろうから」
「凄い怖いこと言ってくる・・・・・・」
 半泣きのイノリをクエは宥めてテレビを点ける。酒は置いておくとすぐ腐るから、ということでイノリ達は茶を飲むしかなかった。


 夜の八時には布団を敷いて寝ることになった。あの仏間の隣が寝室だった。寝るまでに家のあちこちから物音が聞こえてきてイノリは恐ろしかった。
 クエと枕を並べてイノリは眠ることになる。物音がずっと聞こえてきて気になる。暗闇の中、隣の仏間に寝ているであろう「客人」も恐ろしかった。
「気になっちゃうよね」
 唐突に、クエが声を掛けてきた。真っ暗な部屋に声が聞こえた。イノリは「は、はい」と小さな声で返事をする。クエは苦笑していた。
「あの、ガタガタ煩いの、死んだ奥さんなの」
「えっあの、り、離婚されたって」
「うん。離婚して戻った郷でね。当てつけみたいに、結婚式の時に着ていた白無垢を着てね」
 ぽつぽつと、クエは語り出した。イノリは黙って聞いているしかなかった。
「僕とアレは見合いでね、結婚するつもりは無かったんだ。でもあんまりにも仲添えがしつこくてね」
 クエの話が進むごとに、物音が近付いて来ているようにイノリは感じた。二階でしているのが多かった物音が、階段の辺りからしている気がした。
「勝ち気、ってわけじゃあないんだけど。しつこい性質でさ。子供を二人も作ったけど、全然好きにならなくってさ」

 誰か、女のような、何かの足音が階段から降りてきた。

「結局、僕は仕事を言い訳にして家に帰らなくなった。女の子のいるお店に入り浸って、馴染みになった子と遊んで。アレはその度に泣いて喚いて、大変だったな」

 二人の寝ている部屋の前で、ずっと、何かが喋っているのがイノリには聞こえた。

「やんなっちゃって。僕も若かったから手が出ちゃって、そんじゃマズイって思って、殺す前に別れようって切り出した。強引に離婚届書かせたんだ。そしたら死んだんだよ」

 部屋の前にいた何かが襖を開けるのを聞いた。

「・・・・・・くっ、クエさん、あの、あの!」
 イノリは体を起こしてクエを呼ぶ。すると彼も半身を起こした。安心したイノリだったが、クエが発した言葉に息を忘れる程恐怖した。
「あ、お客さんにお茶出してなかったね」
 クエの視線が仏間へと向けられていることを、イノリは何故か闇の中で感じた。老人は仏間に向かって声を掛ける。

「お、おぉーい」

 決して大きな声では無い。だがイノリはその声の虚さに総毛立った。

 仏間から、木の蓋が畳の上に落ちる音がした。

 イノリは自分の口を抑える。悲鳴が出て、自身が知覚されでもしたら恐怖に耐え切る自信が無かった。

 イノリ達のいる部屋と仏間を隔てている襖が空いた。足音がおかしかった。異常に、それの足は多かった。

「憎い・・・・・・憎い・・・・・・」

 若い女の呪詛が聞こえた。

 イノリは耐え切れず頭から布団を被った。クエの声が聞こえた。
「憎い相手が喰えたなら、お前は成仏するんだろうな」
 憐れみを含んだ声だった。それに合わせて女の啜り泣くような声が聞こえた。異常な足音は止んだ。イノリが「あれ?」と思った刹那に絶叫が響いた。何十人もの、男女の悲鳴だった。
 布団の中でイノリは身を硬くする。静かになった室内に、女の啜り泣きのような声が満ちた。彼は、やっと気付いた。女は啜り泣いているのでは無く、「笑いを噛み殺している」と。
 恐怖で肌が泡立つ。布団の外でクエの呟きが聞こえた。
「今日も僕を守ってくれたんだなぁ」
 絶対に違う、と思ったイノリの耳元で女の声がした。

「馬鹿だねぇ もっと ひどい目に 遭うから 生かしてるの」

 イノリは人生で初めて気を失った。


 翌朝。目が覚めるとテキパキとクエが布団を片付けていた。その顔は晴れ晴れとしていて、イノリは昨夜の話など出来なかった。









終幕


登場人物紹介

イノリちゃん(尾上 猪里)
・とにかくぎゃあぎゃあ悲鳴を上げる役
・赤松のための生き餌


アクル(阿久留 ××××)
・家賃補助の上限目一杯使って滅茶苦茶良いマンションに暮らしている。

クエ(久江 彦一)
・労安担当のおじいちゃん
・危険な現場があると其処へ行って厄を集める係
・嫁がマジの鬼嫁


国定 赤松(くにさだ せきしょう)
・嫁が怖い。いろんな意味で。


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