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グッバイ・ペーパーカンパニー

 同じ業種にいる人間は一目でそれと嗅ぎ分けることができる。パッキングされた新聞片を素早く捲る手つきや、バラ売りされた古書の紙片に印刷されたタイトルを一瞬で黙読する視線。決して広いとは言えないデパートのスペースで開かれたこの古本市で、旧世紀の「お悔やみ欄」を捲る女は俺と同じものを探している。観察する限り、彼女は俺と同じ「製本師」だ。無知な好事家を騙す詐欺師だ。
 2000年代が三百年も過ぎれば紙の本が姿を消すのは道理だ。今世紀は天然記念物がクローンで再現されて人工林に放たれる時代で、所謂「一冊の紙の本」は消滅した時代だ。ペーパーバック、ポルノ雑誌、週刊誌、ハードカバー、ライトノベル、機関誌、学術書、図鑑に至るまで悉くが消滅した。人間は絶滅しそうになる頃になると漸くその存在の重要性に気づき始める。ニッポニア・ニッポンのように。そして俺の仕事に需要が芽生える。
 「製本師」は今ではコレクターしか見向きしない高級なアイテムである本を、無価値な紙屑を継ぎ接ぎすることで生み出す仕事だ。ゴミの塊を一等地に立つ戸建てと同じ値段で馬鹿に売る仕事。歴とした詐欺。聖書は教皇庁がすぐ裁判沙汰にするので面倒だからやらないのが常識。ノーベル賞作家は「愛読版」として読めるオブジェが売り出されているのであまり売れない。村上春樹は狂信者共が無限回収しているので新人にお勧め。この製本師という仕事は、クリエイティブで益体のない仕事だ。
 俺は隣の同業者を観察し、声を掛けた。美しいブルネット。肌に影を落とす睫毛。色のない唇。伏せた黒い瞳。美貌が声を掛ける切欠の一つだったのは間違い無かった。
「探してるのは、落人家系の人名かい?」
 手を止めた彼女はちらりと俺を見て答えた。
「いいえ、父の名に相応しい名を」
 俺は彼女の光彩を見て驚いた。黒い瞳には製造番号が刻印されていたのだ。同業者だと思った美女は、精巧なガイノイドだった。

つづく(798字)

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