千個の青[読書感想]
読了はたくさんあるのにもかかわらず、感想を書くことに時間を割いていないことに反省したnicoです。今回は、千個の青(チョン・ソンラン著)の作品を紹介します。
物語の内容に触れる部分がありますのでご了承ください。
①本の紹介
千個の青 チョン・ソンラン著
②登場人物
○ヨンジェ ロボット研究者の夢に挫折してはいるが、ロボットに関する知識や技量が豊富な15歳
○ウネ ヨンジェの姉(小児麻痺のため、車椅子使用)馬房で馬の世話をしている。
○トゥディ 競走馬
○コリー 競走馬の騎士(ロボットの騎士)
○ボギョン ヨンジェ、ウネの母
○消防士 ボギョンの夫(亡くなっている)
○ジス ヨンジェの級友、ヨンジェの家庭と違い裕福である。ヨンジェを共同研究の仲間として誘う
○ポッキ 獣医
○ソジン テレビ局時事企画部記者。ウネ・ヨンジェのいとこ
○ジュウォン ウネの初恋の人
③本の内容
競走馬トゥディは、数々のレースを経て関節を痛めた競走馬。
コリーは、ヒューマノイド(人型ロボット)の騎士であり、トゥディの相棒である。
コリーは、ロボットでありながら、人や馬の感情を理解しようとする珍しいロボットである。ある競技の際に、落馬して姉妹、下半身は破損してしまった。
ウネは、馬房の中の馬の中でも特にトゥディを可愛がっていた。
「走る姿が好き」歩けないウネが自分自身を投影しているかのように。
ヨンジェは類まれな才能を持ち合わせているものの、ソフトロボット研究プロジェクトのメンバーを目指しつつも、たった一つの質問に答えられなかったというところで挫折してしまう。ヨンジェはコリーと出会い、コリーを治すと決意する。
④本の感想
ヒューマノイドの騎士という世界がどのような世界なのか、想像できるだろうか?
機械やコンピューターなどのめまぐるしい発達を遂げて、人型ロボットが色々なことができる世の中になった、そんな韓国でのお話である。
そんな世の中でありなながらも、韓国の収入格差は現代のままで、類まれな才能を持つヨンジェは燻りながら生活をしていた。
そんな時に、競走馬としては走ることが難しくなったトゥディとその騎士であるコリーに出会った。
コリーは、ヒューマノイドでありながら色々な感情や言葉を理解しようとするロボットであった。「馬の鼻筋をどうして撫でるの?」「どうして馬に乗って走る競技が生まれたの?」その一つ一つの疑問は、当たり前のようになっている日常に水を刺すような言葉ではなく、まだ何も知らない子どもと話しているかのようであった。
同じように他の登場人物ともやりとりをしていく場面が多くある。
コリーはトゥデイが楽しんでいる様子や幸せな感情を鼓動から感じていた。
生きていても楽しくない。数々のレースでの勝利をあげていく中で、もっと走るようにもたされた鞭でコリーは、トゥディが楽しんでいないと感じることに。
トゥディとコリーのやりとりは、実際の場面は思い浮かべづらいが、簡単な言葉とシンプルな感情が、忘れてしまった日常の楽しさや閉鎖された心が浮かび上がってくる。
今、楽しいの?
何をしている時が楽しいの?
やらされていることでなく、自分で選んでいることなの?
そんなことを問われているような気がしました。
落馬してしまい壊れてしまったコリーは、やがてヨンジェの手により再起する。
再起するまでの間は、母のボギョンのよき話し相手になる。
ボギョンは幸せな愛に満ちた結婚生活を送っていたが、消防士である夫を突然亡くしてしまう。障害がある姉のウネとヨンジェに対する対応の違いを感じつつも、それにどう向き合うべきなのか、わからなくなってしまっていた。
コリーが来たことで、その事実と向き合い、そして姉のウネとヨンジェの関係も変わってきた。
諦めなければいけない現実と向き合いながらも、コリーを治していくことは、コリーの希望であるトゥディに乗りたいという純粋な想いに自分の気持ちや可能性を託したかったのかもしれないと思いました。
そして、ウネにとってもトゥディを諦めないということは、いつか治るという幻めいた自分の体でなく、今を幸せにしてあげたい。そんな気持ちが詰まっていたようにも思います。
自分が夢中になれることに懸命に向かうことで、自分自身を幸せにし、他の何かを幸せにすることができるのだ。そんな気持ちにもなれた作品でした。
そんな数々の人間の気持ちを揺さぶったコリーが
「幸せとは生きていると感じる瞬間のことです。生きているということは呼吸をしているということで、呼吸は振動として感じられます。その振動が大きい時が幸せな瞬間です」と話すところがあります。
何だか、この文章ググッときました!
言葉を説明することは、経験からくるもの、おおよその人がそう感じていて定義づけられているものと私は考えているのですが、バシッと心にハマりました。
競走馬として、再び走るトゥディは、早く走るのではなく幸せに走るためにコリーはゆっくり走る練習をした。
競うことが大嫌いだった私は、ヨンジェがリレーで別な方向に走っていったということが、わかるなぁと感じていました。自分の気持ちがそちらでないってことだった象徴性を感じました。そんな彼女だからこそ、きっと自分で選択できる人になると願いながら、読んでいました。
いつだってゆっくり走っているつもりだったけれど、時には早く走る必要もあると思います。でも、その走り方は自分が幸せな方向に進みたいですね。
最後まで読んでいただきありがとうございまいした。
ラストは少しジーンとしてしまいました。コリーと一緒にいろんなことを考え、そして自分なりの答えを見つけつつ、物語の登場人物たちも少しずつ未来、そして幸せに向かっていったことを感じて心が温まりました。
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