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自分のルーツに気づく旅

こんにちは!
響心(にこ)です。

みなさま、お盆はいかがお過ごしでしょうか?
私は1泊で実家へ行ってきました。
今回は、そのときのことを綴ります。

消化しきれない気持ち

私の人生に大きな影響を与えているのは
間違いなく、母と姉です。

面倒見の良い姉は、
小さい頃からよくあそんでくれました。
私にとっては、歳が離れていたから尚更
何でも知っている有能なおねえちゃんに見えて
「憧れ」に近い感情もあったかもしれません。

母と姉、ふたりのことは大好きでしたが
性格が強いクセモノなため
単純な「好き」以外の複雑な感情も持ち続けていました。

私の生きづらさのベースにあるのは
母と姉への消化しきれてない感情だという確信もありました。

ここ1年ほど自分と向き合ってきたことで
「今の私」はこの2人とどう接したら良いのか?
ちょっとずつラクになっているのに、
直接会ったらまた引っ張られて
昔の関係性に戻ってしまうのではないか?

そんな、恐怖にも似た微妙な感情が拭えず、
何となく実家に帰りたくない(会いたくない)気持ちから
今年も大々的なお盆休みの予定は組みませんでした。

会いたくないけど心配

そんな中
「母が入院した」との連絡が入ります。

結果、大事に至るような病状ではなかったのですが、
近くの病院では検査しきれないので
大きい病院に回された、と聞いて咄嗟に
これは顔を見ておいた方が良いかもな、、と思いました。

十数年前に父が亡くなったのですが、
その直後に母も一度入院して死にかけており、
それ以来「母の死」をどこかで覚悟してしまっているのです。

それに、
母のことを1人で全部対処している姉のことも心配でした。
姉は一度メンタルを病み退職してから
現在も自宅療養中なのです。

会いたくない。けど心配。
という絡み合った感情を持ったまま
実家へ行くことにしました。

生きづらさのカラクリ

今回姉に会って気づいたのは、
今までとは違う見方ができている自分でした。

具体的には、
姉は「いつもちゃんとしてなきゃいけない」
に縛られてることに気づきました。

そして遠い昔、
私も「姉のようにならなきゃ!」と
勝手に姉の価値観を採用していました。
私自身「いつもちゃんとする」ことを
土台に持っており、そのルーツは姉でした。

今まで生きづらかったのは、
その価値観から外れる人に対しては
いちいち私(姉)の型にハメようとしてイライラしてたし、
私自身が姉の価値観からはみ出してると見なされたときには
無価値感でいっぱいになっていたからです。
モロ他人軸ですね。

姉や母と、自分の間に境界が引けていなかった。
心理的に癒着していたのですね。

「癒着」という概念は
根本さんのブログで度々目にしたことがあったけど
それを自分に当てはめたくない気持ちが
どこかにあったんですね。
でも今回なんかあっさりと、
「あー癒着だな」と認められました。

気づくことで解放される

癒着に気づき
価値観の大元である姉を一歩引いて見れたことで、
ひとつ気持ちがラクになりました。

【気づいたこと】

  • 私は私でいい

  • 私も相手に「わからせよう」としている
    →相手には相手の考え方があるから、それを尊重する

  • 姉に対して感じる「そんなに世話焼かなくてもいいのに」
    →姉は姉で、不安から動いているのかもしれない
    →してくれることは感謝とともに、素直に受け取ろう

姉は、比較的自由な兄と私に挟まれた中間子として
空気を読んで我慢したり
不満に思うこともたくさんあったんだろうな
と、不思議と寄り添う気持ちも湧いて
引っ張られそうな不安はどこかへ消えていました。

ちなみに、母にも面会できました。
手術後数日しか経っておらず
傷がまだ痛み、身体中に管が何本も通っているにも関わらず
超饒舌で話していました笑。

あーそうだ、この人こういう人だわ。。
と謎に納得しましたし、
顔色も良かったので安心しました。

母が元気になったら、2人を温泉にでも誘って
ゆっくり過ごそうと思います。

おまけ

ちょっと前に
「幼少期の小さな幸せ」に想いを馳せるワークを
やっていた時期がありました。
(このワークについてはここにもチラッと書きました)

そのとき私が繰り返し思い出したのは
祖母の家でした。
地味だし当たり前にあるから意識してなかったけど
私は、自分が思う以上に
おばーちゃん家が大好きだったことを
ワークを通して思い出しました。

今回、せっかく帰省するなら
仏様のお迎えも手伝おうと、
久々に祖母宅にも行きました。

祖父母はもういないし
あの頃と変わってしまったことがたくさんあるけど、
お盆の支度をしながらご先祖や祖父母の話にもなり
懐かしい思いでいっぱいでした。

短い滞在でしたが気づきが多く、
奇しくも自分のルーツを再認識する帰省となりました。

じーちゃんばーちゃんも、父も、
私が死んだときは
三途の川まで迎えにきてくれるかな。

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