ただ働くために生きずに、生きるために働きたい
働くとはどういうことか
我々は生きるために仕事をする
そして、その「仕事」とは、何を生業にして食べているのかとイコールで言い換えられる。
本来私たちは食べていけたら充分に生きていける。それなのに、どんどん世の中は発展していき、豊かさを求めて欲深くなっていく。現代の都市には人口が集中し、人と物と情報が溢れ返っている。人と人がすれ違っても、あたかも存在しないかのようにただただすれ違っていく。自分たちが口にするものが一体どこからどうやって来ているのかも知らずに、既に加工された魚や肉を当たり前のように口にする。本来の魚の形や動物の形を知らずに。
そう、何のために生きているのか分からず働き、何を食べているのか分からずにスーパーで買ったものを口にするのである。
なんて虚しいんだろう。
なして私はこんな生活の中で平気で生きてこれたんだろう。
もっとより自然で、原始的な生き方がしたかった。人と人がすれ違ったら、「こんにちは」って言える世界線で生きたかった。欲深くならず、生きるのに必要な分だけ食を得る。困っている人がいるから助ける。自分が困っているから助けてもらう。そういう純粋な助け合いが基本に成り立つ社会。その延長線上に生まれたはずの「お金」というコミュニケーション媒体は、いつしかそれ以上に人間の生きる価値を決めるステータスであるとか、そういうものに化けてしまったような気がする。
それが何とも虚しく何とも切なくもどかしい。
私は生まれた時代を間違えたのだろうか。生まれた場所を間違えたのだろうか。
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