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「変わってる人だよね」という言葉

伝えたいことをnoteに綴っていたら、やけに長ったらしい文章になってしまって、「これじゃあ読みにくいな」と思っては何度も書いては消しての繰り返しをしてる。

端的に言うと、ここ数年「ニッキーさんって変わってるよね」という言葉が苦しく感じるということだ。

私とあなたは違う人間だというのは自分もあなたもわかっていることだと思うのだけれど、「変わっている」という言葉を使って自分とあなたは違うというふうに伝えられたら、どこか嫌味というかエグみのようなものを受け取ってしまう。

じゃあ、変わっていないってどういうことを意味するの?

なんで変わってるって伝えてくるの?

というふうに自分の頭の中で相手に対しての質問が渦巻いてくる。

相手に質問攻めをしたとしても、なんか嫌だ思われてしまうということは、とうの昔に学んできたことだし、わざわざ嫌われにいきたいという気持ちもないので、なんとなく思いついた言葉で特段責めず(攻めず)に明るく返答するのがいつものお決まり。

私はよく言葉足らずで相手に自分が思っていた気持ちと相手が受け取った気持ちとでズレが生じていることもあるから、もしかすると言葉足らずだったのかもしれないけれど…

それでもやっぱり、変わってるという言葉は、ヘンという風に読むこともできるし、ヘンということを好意的に思う人もいるとは思うが、たいていの人は好意的な意味を抱いていないことが多い。

だから遠回しにdisられてる気もしてくる。

私はヘンということは時と場合によって受け取り方が異なるし、仮に言葉足らずだったとして、「変わってるけどそこが良さだよね」という風に伝えないとただの悪口になるかもしれないなと最近思った。

現時点でnoteのユーザーさんとオフラインでかかわっていないので私に対して「変わってる」という言葉を使うことに頭を特段悩ますことはないとは思うのだけれども、

あくまで私はこれから自分以外の人に対して「あなたって変わってるよね」と思った時、もしくはうっかり(?)この言葉を呟いた時には

「でも、そこがあなたらしさだよね」

「そこが良いところだよね」

と、けしてあなたを悪く言いたいわけではないということを伝えたいと思った。

あなたがもし、だれかに「変わってるよね」といわれたとしても

私はその“変わってるよね”が指す、あなたの何かがきっとあなたらしさだと思うし、あなたという存在をつくる大事なかけらのようなものだと思うから、どうか大事にしてほしいと思う。

でも、あくまで私の考えだから、考えた末にその“変わってる”ところを手放す選択をしたとしてもそれはそれで良いとも思う。

しかし、何よりも他人の言葉で自分の存在を否定するまで追い込むことは避けてほしいという気持ちが強いからこそ、あなたの“変わってる”ところをいい意味で肯定してる人が少なくともここに居るということは覚えていてほしい。

…伝えたいことだけをまとめたらだいぶスッキリした。

相変わらず、noteで自分の思ってることや言いたいことを文字に起こすと長ったらしくなるけれども、こうして読んでくれてる読者さんが尊いです。

いつもありがとう。

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