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旅で生き返ってまた明日

この記事(ふらっとどこかへ)を書いていた時は割と底を這うように息していたような。自分が暗い夜道を歩いている気持ちでした。

でも、コメントで「気を付けて、いってらっしゃい」と伝えてもらって、読んだときに思わず泣きそうになって「ああ、温かくて嬉しい」と思って安心して眠れました。ありがとう。

自分は生きることに不器用だったり、自分の人生に関わる空想的なものや抽象的な事柄について探ることが好きでその裏目が「考えてもしょうがないことについてうだうだと考え込んでしまう」ということであったり、「しんどい」「つらい」と「嬉しい」「楽しい」を行ったり来たりする昨今ですが、“ふらっとどこかへ”で訪れた旅行先で知らないものやこと、美味しいものや感銘を受けたあれやこれらに包まれて支えられて、勇気や活力をもらって「なんだか、私、少し考えすぎてたな」ってわかって「きっとこれからも変わらないけど、また落ち込んだら旅に出ればいっか」と久々に心がスーッと軽くなりました。

胸の中が震えるような自然の偉大さを痛感した「宍道湖の夕日」

美味しすぎて微笑んだり、これを食べずにしんでしまうなんて!と思った「野村のデミカツ丼」「島根で味わったしじみ汁」

約2年前に心が震えて、なんてすばらしい場所なのだと実感した「にしむら珈琲店」も変わらず素晴らしくて、嬉しくて嬉しくて。

その約2年前に「高いから別の場所にして」と親に言われて、行けなかった場所で自分の感受性やセンスがビシバシ刺激されるけれど落ち着いている場所に一人で行って、約2年前の“高い”を親からではなく自分でがんばって手に入れたお金で得ることが叶えられたこと。ここは秘密にしたいほど素晴らしい場所でまた絶対に行こうと思いました。場所についての詳細はいつか何かのカタチで共有するかもしれません。

移動手段はフェリーとバスでお金はアルバイト代しかないので、移動手段の快適さよりも安さを取ったけれど、それでも知らない街を歩き回ったり、いろんな場所に行ってみたり、気の向くまま食べたいものを食べたり。

考えなきゃいけないことも度々頭をよぎってきたけれど、でもどんどん自分の気持ちが軽やかになっていって「旅をするように生きれたらなあ」なんて思ったり。

この旅は“ふらっとどこかへ”で述べたように、あの時の自分が行くべき(旅に出るべき)だったのだと思います、ビジコンは決勝に進む前に敗れちゃったけど、でもそれで良かったのだろうと今では頷くことができます。

やさしい友人知人たちとのコミュニケーションや、気の抜けたようなありのままの自分を肯定してくれるような日本語ラップなどのいろんな音楽が今の自分を支えてくれていると思っていましたが、やっぱり旅は自分にとって必要だし、旅も私を支えてくれるのだと改めて思いました。

お昼ごろに家に帰って、そこからバイトに行くというハードスケジュールで、夜に家に帰って母から「あんたもう帰ってきたのね」といわれて、なんだか複雑な気持ちになったけれど。

つい最近喧嘩した時に「お土産とか迷惑なの!!」と言われて傷ついたこともあって、今回はお土産を少なめに買って帰ったら「私にはお土産2つだけ?」と言われてまたもやるせない悔しさ悲しさを感じたけれど。

それでも、私は私の選択で生き延びれるし、生きるし、幸せになれるからいちいち傷つかずに受け止めはするけれど、傷ついた分強くなって、誰かを救えるようになりたい。

気を抜きすぎたらやってくる希死念慮に潰さそうになっても負けたくないし、苦しくて悔しくてたまらなく孤独な日もあるけれど、その時はまた自分を忘れるために旅に出ようと思う。

転んでもただでは起き上がってこなかった人生だし、辛くても這いつくばって、傷ついても部外者に対しては何もないように笑いながら少しずつ前進して、自分の欲しいものや幸せは手に入れてきた。

感受性の強さ、繊細さは生まれつきですべてがすべて魅力だと胸を張っていえない日もあるけれど、それでも私はわたしらしく。自分らしく在りたい。

旅先で前向きにそのときの自分がしんで直ぐに生まれ変わって、地続きの明日へ。

ああ、はやく次の旅に出たい。

そのためにバイトしなきゃ。

でも、“無理しすぎず、ぼちぼち”を忘れずにやっていこうと思う。

さて、明日も生きてやるぞ。ぼちぼちね。



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