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家族だったとき

「家族だったとき」という言葉には私の家族で共通認識があって、離婚する以前の父母子どもとフルメンバーが揃っていたときのことを指す。

家族だったあの時、家族じゃなくなった今。

疑いもしなかった家族のつながりと、いつか離れちゃうんじゃないかと思うようになった人との関係。

父が切り取られた私の幼いころの写真と、別の人の手に渡った私たちが育った庭付きの家。

家族だったとき。

昔住んでいた家にはたくさんの本があった。
両親は教育熱心だったから読みたい本は全部買ってくれた。家には本があふれて、どんどん本棚が増えていった。母は私たち兄弟と同じ名前の主人公が出てくる絵本を探してくれて、父はよく図書館に一緒に行ってくれた。

だから私は本が大好きになったし、今は食費は10円単位で削るのに気になった本はためらうことなく買ってしまうようになった。

冬はみんなでスキーに行った。
陸上とかマラソンもやっていたけれど正直全然楽しくなかった。でもスキーだけはとても楽しくて好きだった。頑張れば頑張るだけ上手になれるし、父がビデオで私たちの滑りを撮ってくれて、母はゴールで寒がりながら待っていてくれて、毎年ニセコやルスツにみんなで行くのが楽しかった。

札幌や遠くにお出かけしたとき、父が運転席、母が助手席に座って私たちは後ろで寝ながら帰るのがお決まりだった。ふと目覚めたとき、ふたりが「エグザイル聴く?」「いいね」と話していたのを覚えている。ふたりが同じ曲を聴こうとしているのなんて初めて見たし、仲良さそうに見えて変な感じがした。

家族でオーストラリアに行ったときは、初めての海外ですごく楽しかった。海もきれいで、ご飯も美味しかった。ツアーの観光客が参加するパーティーで、思春期だった私が踊るのを拒むと母に「ノリが悪い」と怒られた。それでも意地を張って踊らなかった気がする。

中学最後の学力テストで、高校が決まっていた私は全然勉強しなかった。学力テストなんだからいいや、と思っていたら得意科目は普通だったけれど苦手な数学は本当に最悪な点数を取ってしまった。案の定はちゃめちゃに怒られた。数学は小さい頃から苦手で嫌いだし、別に数学がわかるようになりたいなんて思ったことがなかった。黙る私にしつこく詰め寄る父に初めて「うるさい」と反抗した。そしたらもっと怒られた。

高校入学後すぐに父は家に帰って来なくなった。
土日だけ家に帰ってくる生活になったけれど、私も新しい学校や友達で忙しかったからそこまで深く考えなかった。離婚が決まってから父が引っ越す準備をしていたとき、母方の祖母に「ダンボールってどこにありますか」と普通のテンションで聞いていたのを見てもっと申し訳なさそうに言えないのかと思った。

「家族だったとき」という言葉には、もうあの頃のようにお金持ちじゃないんだぞという半分本当の冗談や、弟がシャーベットアイスを落としただけで怒鳴った父はいないぞという意味や、バツイチの母という笑いが込められている。

アイロニーだと思う。

家族だったとき、に閉じ込められてしまう時間や、高速道路を走る車の後部座席からの景色を思い出す私を。

ちょろい女子大生の川添理来です。