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『ことり』著 小川洋子における「小」に対する考察

こんにちは、nichiwaです。
今回は初の試み、小論文。

1.序論

 小説の考察をするにあたって私が題材として選んだのは、平成24年度芸術選奨文部科学大臣賞(文学部門)を受賞した「ことり」だ。著者は「博士の愛した数式」や「妊娠カレンダー」などで数多くの文学賞を受賞している小川洋子である。
 この作品は、人間の言葉は話せないが小鳥のさえずりを理解する兄と、兄の言葉を唯一わかる弟の一生を描いている。やがて兄は亡くなり、遺された弟は一人での生活を送るうちに「小鳥の小父さん」と呼ばれるようになるのだが、私はこの弟が、物語を一貫してひらがなではなく漢字の「小父さん」と表記されていることに疑問を持った。

2.本論

 ここからは、なぜ弟が「小父さん」と表記されているのかという問いの答えを探るべく、小父という漢字表記が持つ意味、小説内に出てくる他の「小」を含む物事や人について、物語全体における小について、の三つの視点で考察を行なっていく。

(1)小父という漢字表記が持つ意味

 まずはじめに、漢字表記に焦点を当て小父さんとは何かについて考えてみる。goo辞書で検索してみたところ、『よその年配の男性を親しんでいう語。子供に対して、大人の男性が自分を指していう語。』という意味があるようだ。
 この物語には、小父さんを「小鳥の小父さん」と呼ぶ幼稚園児たちが登場する。園児が通う幼稚園と小父さんの関係は物語において重要なものであるため、簡単に説明しておく。その幼稚園は、小鳥の囀りを理解する小父さんの兄が生前、園庭にある鳥小屋の小鳥を見るために、敷地と道路を隔てるフェンスが凹むほど夢中になり毎日通い詰めた場所である。兄が亡くなった後、小父さんはその兄が夢中になった鳥小屋の掃除係を始めた。しかし小父さんは子供が苦手なので、毎朝園児が登園する前に鳥小屋を完璧な状態に整えるのだ。それでも園の行事などで園児と鉢合わせてしまうことはあり、鳥小屋を掃除してくれるおじさんの存在に気づいた子供達は彼を「小鳥の小父さん」と親しみを込めて呼ぶようになった。
 この経緯を踏まえると、園児たちはgoo辞書にある『よその年配の男性を親しんでいう語』と言う意味を持って小父さんを小父さんと呼んでいたことがわかる。鳥小屋のある幼稚園と小父さんは密接な関係であり物語における重要な要素であることから、「小父さん」という表記には、小父さんが小鳥の小父さんと呼ばれるようになった経緯が反映されていると考えていいだろう。

(2)小説内に出てくる他の「小」を含む物事や人について

 (1)にて、小父さんがこのような表記をされている理由に対しての結論は出たが、まだ小父さんを小父さんたらしめる理由は他にもありそうだ。この視点を持って物語を再読してみると、「小」という漢字を含む言葉がいくつか登場していることに気づく。ここからはその言葉たちと小父さんの関係について考察していく。
 まずはじめに「小鳥」だ。題名にもなっているくらいなので、考察する必要はもはやないかもしれない。小鳥は、小父さんにとってかけがえのない大切な存在だった。なぜなら小父さんの最も身近で生活を共にした兄は小鳥のさえずりを理解し、小鳥のさえずりと似た独自の言葉を話し、小鳥の描かれたキャンディーの包み紙でブローチを作り、メジロのさえずりを真似できたのだから。兄は小鳥の理解者であり、小父さんは兄の唯一の理解者だった。そんな兄が亡くなってからも小父さんは鳥小屋の掃除係を申し出て、図書館で小鳥の本ばかりを読み、怪我をしたメジロを保護した。この物語は、小父さんとお兄さんと小鳥たちの話なのだ。
 次に「小間使い」だ。小間使いとは雑用などを行う下役のことである。小父さんは金属加工会社のゲストハウスの管理人、すなわち小間使いとして働いていた。そのゲストハウスの半地下には日の当たらない管理人専用の部屋があり、そこで行う事務作業は何も新しいものを生み出さないものだったが小父さんは満足していた。
 この小間使いとしての仕事も、物語に大きく関わってくる。特別大きな出来事が起きるわけではないが、小父さんの日常であり社会との繋がりなのだ。
 三つ目に「小箱」だ。この小箱は河川敷で出会った老人が持っている虫箱であり、中には一匹の鈴虫が入っている。そしてその老人は通りすがりの子供達に小箱の中身を聞かれ、「小人」が入っていると答えた。これは先述のゲストハウスの仕様がかわり、小父さんの日常に変化が生まれ不安定になり出した頃の出来事であるため、物語の中の一つの分岐点だと受け取ることができる。人との関わりが増えた忙しない日常と小箱のなかの小人の音に耳をすませるという構図が対比のようになっており、その時の小父さんの状況や心情を描く効果があると考える。
 最後は「メジロ」だ。メジロ自体には「小」という文字は含まれていないが、前後の小父さんのセリフに「なんて小さいんだ...」とあるため、小さいものとして捉える。このメジロは物語の終盤で、怪我をして小父さんに保護されるという形で登場する。歳をとり、ひどい頭痛を薬とこめかみに貼った湿布で誤魔化しどうにか生活していた小父さんにとって、小鳥を世話し共に生活することは心の栄養となった。最後の亡くなるシーンで鳥籠に入ったメジロを抱き抱えていることからもメジロに心を開いていたことがわかる。また、兄がメジロのさえずりを真似することができ、小父さん自身もそれを好み真似していたことから、ふと家に舞い込んで来たメジロにお兄さんの面影を見出していたのかもしれない。
 このように、この作品には小さいものがたくさん登場する。そしてそのどれもが小父さんに何らかの影響を与えており、物語の分岐点となっている。わざわざ「小父さん」と表記されている理由は、この作品において「小さい」ということが一つの要素として重要な役割を果たしているからだと考えることができそうだ。

(3)物語全体における「小」について

 (2)では、物語に登場する単語から「小さい」がこの作品のキーワードになっていると考察した。ここからはそれを踏まえて、物語全体に視野を広げてみる。
 まずはじめに触れておきたいのは、この物語に登場する小父さんとその兄はおそらく何らかの障がいをもったマージナルな人物だということだ。全体を通して三人称で語られてはいるものの小父さん目線であるため、そういう世界観なのだと飲み込みそうになるが、一歩引いた視点から見てみると明らかにそうではないことがわかる。お兄さんは人間の言葉と認識されない言語を話し毎日同じ行動を繰り返しながら生活している、少しの変化が苦痛になるような人物であり、そのお兄さんの唯一の理解者であり変わらない生活を自ら望んで共にした小父さんもまた、社会に適合することに困難さを抱えているのだろう。
 この視点を持ってこの小説をのぞくと、とてもとても小さな世界の話をしていることに気づくだろう。登場する人物は小父さんとお兄さん、父母、行きつけの商店の店員、幼稚園の人、図書館の司書、虫箱の老人、メジロを100羽飼う老人くらいだ。その他にも登場する人物はいるが、小父さんと関わりがあると言えるのはこれくらいだろう。それにその誰も名前が明らかになっていない。主人公の小父さんでさえも。登場する場所はいつも家から自転車で行ける範囲内にあるし、その場所に一つでも変化があれば細やかな描写がされる。つくづく変化に敏感な作品である。
 また、作中に『鳥籠は小鳥を閉じ込めるための籠ではありません。小鳥に相応しい小さな自由を与えるための籠です。』という一文がある。この一文を読むと、小父さんとお兄さんの過ごした不自然なほどに変化のない、閉じ込められたような不自由ささえ感じる人生は、彼らに相応しい小さな自由だったと解釈することもできる。なぜなら彼らが求めたのは保存と安全だったからだ。それに小父さんは保護したメジロに、この一文をキャッチコピーとする鳥籠屋の鳥籠をあてがった。それは偶然の出来事として描かれていたが、私は小父さんの求めているものと与えたいものと、この小説のテーマが示唆されているのではないかと考察した。

3.結論

 小父さんという表記がされている理由に対する考察を行った結果、小父さんには「よその年配の男性を親しんでいう語」という意味があり、それが小父さんを「小鳥の小父さん」と名付けた幼稚園の子供達からのものであることと、幼稚園の鳥小屋が持つ意義の大きさがわかった。
 また、小父さんに何らかの影響を与え物語の節目となる出来事には、小父さんという字にも含まれる「小」という意味を持つ言葉が登場しており、それは小父さんとお兄さんが生涯求めた小さな自由を示唆させるものであることから、作品のテーマとしても「小」が重要なのであるという考察結果に至った。  

参考
小父さん(おじさん)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書 



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