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23エレクトーンの思い出 マンネリを打破できないまま休会する

私が中学生の頃に、エレクトーンはHS時代を迎えた。T先生の教室では、普通の大学生でエレクトーン歴の長い生徒Jさんに教わることになった。

ピアノに比べれば簡単な曲ばかりのエレクトーン。新曲を練習してもすぐに弾けるようになってしまう。レジストを組むのが好きなJさんは、試行錯誤してレジストを組んでは私に弾かせる。私は家にHSを持っていないので、Jさんの組んだレジストで弾いてみるだけ、Jさんからは特に奏法のアドバイスは無し、とにかく早く仕上げて弾くばかり、のルーティーンに陥ってしまった。

そして、HSは3年ほどの寿命だった。ELシリーズが登場したのだ。中学生だった私は大きなショックを受けた。100万円もする高価なものは、もう買ってもらえない。Jさんはすぐに購入してもらっていた。

エレクトーンを弾くのは好きだ。だけど、マンネリが打破できない、しかし、辞めるのもなんか違う気がする。思考がぐるぐるしていた。受験が終わったら、また考えればいいではないか。

こうして、高校受験期に差し掛かっていた私は、中学受験期と同様に中学3年生の冬にレッスンを休むことにした。

後になって考えてみると、ヤマハ系列のエレクトーン教室ならば、グレードを取ったり、コンクールにでたりというイベントを通じて、上級のマンネリを防いでいるのだと思う。しかしT先生は、独立とともにヤマハからも離れてしまった。ヤマハの枠外でヤマハの楽器であるエレクトーンをやるというのは、そもそも無理があるのではないだろうか。

つくづく難しい楽器だ。いや、やはり楽器ではないのではないだろうか。

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