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11エレクトーンの思い出 松田昌さんとか柏木玲子さんとか酒井潮さんとか

T先生の音楽教室で、ミニコンサートに出ていた頃のこと。小学3年生から4年生頃だったろうか。自分よりも大きい生徒が弾く曲に衝撃を受けた。

まず、松田昌さん作曲の「ベアーズ ビアード」という曲だ。当時高校生くらいの生徒が弾いていた。あまりのかっこよさに、雷に打たれたような衝撃を受けた。実際にこの曲を弾いたのは、数年後の小学6年生の時だったと記憶している。

また、自分と同じくらいの年頃と思っていた雅子ちゃん(実は私よりも何歳か年上だった)が弾いていた「イン ザ ムード(グレンミラー)」。楽しげなメロディーに衝撃を受けたし、同じ年頃なのによく弾けるなー!と羨ましくも思った。

他にはその頃、酒井潮さんがアレンジした「ジャズタイム」というオルガンジャズ調のエレクトーン曲集の演奏テープをT先生からダビングしてもらって、音が擦り切れるほど聞き、演奏もした。「クリスマスソング」や「I remenber Clifford」など、収録されている全ての曲のアレンジが最高にカッコよかった。

ボブジェームスがアレンジした「白鳥」とか「we are all alone」などが収められた曲集が出たのもこの頃ではなかったか。

さて、ミニコンサートをしなくなって、エレクトーンがFSからHSに変わった頃には、私は小学校高学年になっていた。

この頃は、松田昌さんのオリジナル曲とか、とても良いアレンジ譜が発表されていた黄金期であった。

オリジナル曲といえば、松田昌さんの「ベアーズ ビアード」は最高にカッコ良かったが、他にも「くまさんの散歩」「パルピニオン」「ニューヨーク パッション ストリート」「クッキーダンス」などもとても気に入ってよく弾いていた。教室のHSでレジストレーションを組んで弾いたのをよく覚えている。

「クッキーダンス」に関しては、こんなことがあった。この譜面を貰ったレッスンの帰り道、バスに乗っている最中に譜読みを開始した私は、面白い曲だなーと読み込んでいたら降車するのをすっかり忘れてしまった。つまり、この頃には、弾かなくても楽譜を読めばどういう曲なのかわかるようになっていた。この能力は、後々とても役に立つことになる。

アレンジといえば、松田昌さんの「サマータイム」や、柏木玲子さんの「A列車に乗って」は、名アレンジ中の名アレンジであった。

他には、井上晴夫さんや沖さんなどさまざまなアレンジャーの方が、スタンダードジャズのアレンジ譜を出していた。T先生はジャズが好きだったので、ジャズもエレクトーンで数多く弾かせてもらった。

誰のアレンジだったかは思い出せないが、ビルエバンスの演奏で有名な「イスラエル」のアレンジが秀逸だった。

また、これも誰のアレンジだったかは覚えていないが、ドビュッシーの「月の光」のエレクトーンアレンジ版を、クラシックピアノの名曲だとは知らずに弾いていたのもこの頃だ。

スタンダードジャズやボサノバの名曲を多く知るようになったのも、この頃であった。

また、当時はフュージョン全盛期とも重なっていた。Tスクエアやカシオペアの曲も、エレクトーン譜としてたくさん出ていたので弾きまくっていた。「宝島」とか「dans sa chambre」とか「フルーツサラダサンデー」とか「いとしのうなじ」「go for it」など。スクエアの「遠雷」のアレンジ譜はとてもよくできていた。

これらの珠玉のアレンジやオリジナル曲を弾いて楽しんでいたのは、T先生が独立してから6年間も続いた。つまり、私が小学4年生から中学3年生までの間だ。エレクトーン史的には、FSからHSの時代にあたる。この時代は良い譜面がたくさん出版されていて、弾きがいがあった。エレクトーンが一番楽しい時代でもあった。生徒人口も多かったに違いない。1991年にELシリーズが出るまでは。

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