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8 T先生のエレクトーン教室でのミニコンサート

T先生がヤマハ系列の音楽教室から生徒とピアノの先生二人を引き抜いて独立したのは、私がちょうど小学4年生になった時。

新しい教室内で、独立記念の立食パーティーがあったので、とてもよく覚えている。

T先生は後年、「(ヤマハ時代は)働いても働いてもヤマハに持って行かれて全然儲からなかった」と幾度となく懐古していた。教室で生徒に教える仕事の他に、演奏の仕事にも行っていたそうだ。T先生は、今で言うところのシンママであった。家族のために稼ぐ必要があってたくさん働いたけれどもそれでも全然儲からなかったとのこと。だから、独立は必然だったのだろう。

独立当初は、T先生はまだ若かかったし、自分の思い描く音楽教室の形というものがあったように思う。

例えば、発表会は大手の音楽教室では1年半か2年に1回しか行われない。T先生は、発表の機会は多い方がいいと考えたのか、教室内で小規模なコンサートを数ヶ月おきに開いていた。

この、ミニコンサートでは、生徒全員は入りきらないので、年齢や進度別に何回かに分けられて行われた。私は、前の音楽教室での発表会同様に最後まで残って、他の人の演奏を楽しみにしていた。

そして、気に入った曲は、どんどん弾いていった。レパートリーが急に高度になったのも、この頃だった。

また、この頃は生徒のお父さんで録音技師の方がいて、好意で録音を撮っていてくれた。このカセットテープを後日、擦り切れるほど聞いていたのも、良い思い出だ。誰がなんの曲を弾いて、どこでどのように間違えるのかも正確に記憶していた。こんなに他人の演奏テープを聴きまくっていたのは、両親が音楽をしないものだから、家にはそのくらいしか聞くものがなかったからだ。

さらに、このミニコンサートの後には、近所のケーキ屋のケーキをお土産として振る舞ってくれた。時代を感じるサービスでもある。

このミニコンサートは、最初の1年か1年半くらいの間、行われていた。いつ頃やらなくなったのかは、全く記憶がない。

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